第10話 閑話休題 篠宮vs矢野原

「こんにちは」

 篠宮が涼しい顔で雑誌をめくっている男に声をかけると、男はまるで予期していたようににっこりと微笑んで顔を上げる。

「こんにちは、篠宮さん」

 以前顔を合わせた時はまるで人形のようだと思った顔も、明るい陽の下で見るとまた印象が違う。

 今の矢野原は微笑みかけられたらドキッと胸がときめく様な普通のイケメンに見える。近寄りがたさは和らぎ、微笑みにも血肉が通っている。

「ご合席よろしいですかね?」

 篠宮は返事も聞かずに矢野原の向かいに座り込み、店員にコーヒーをオーダーする。

 矢野原が行きつけだというカフェは新しい今風の内装なのに居心地が良い。時間がランチからずれているので店内に客の姿はなかったが、昼時はさぞ混雑している事だろう。

 煙草を取り出そうとして、灰皿が無い事に気づき、ポケットに戻す。

 店内は禁煙ではないようだが、矢野原が吸わないのなら同じテーブルで吸うのはマナーとしてやめておいた。

「大学講師とは思いませんでしたよ」

 ホテルを訪ねてきた矢野原はとても堅気だとは思い難い雰囲気で、篠宮が普段付き合いのある連中に似通ったものがあった。

 陸は友人だと言っていたし、その言葉を今は疑うつもりはないが、やはり得体の知れない奴の事は把握しておきたい。

「陸はああ見えても優れた物理学者で、彼とは国際会議で知り合って以来の仲だ。……と、言えば納得するかな?」

 本題に入った途端にすうっと表情が変わる。

 自分の容姿をよく理解していて、その使い方も熟知した男だなと思う。

(頭ん中が表情に出過ぎだけどな)

 矢野原はどんなに調べても気になるところが何もない男だった。

 陸に調べさせればまた変わるのかもしれないが、身内らしき人間を漁らせる事はさせない。情が入れば情報は歪むし、陸が必ずしも全ての情報を渡すかもわからない。

 矢野原新。国立大学非常勤講師。専攻は数学。発表された論文は評価が高く、次の人事では准教授の座が噂されている。

 私生活では交友が派手で、常に数多の女性を伴っているのを目撃される。現在独身。都内の一戸建てに兄とその教え子と共に同居している。

 ざっくりと篠宮の頭の中にあるデータを目の前の人物に当て嵌める。

 女遊びが派手な美人。

 しかし、交友関係でトラブルは一切なく、常にクリーンなイメージを保ち続けている。別れた女性たちは憑き物が落ちたように矢野原に興味を失って離れて行く。その為に、次から次へと新しい女性を伴っていてもトラブルが全くない。

 陸とあまりに違う華やかな私生活を持つ男が、研究だけで繋がっているとは思い難い。

(ただの研究者仲間が、血相変えて飛び込んでくるとは思えん)

 まさしく、あの時の篠宮は血相を変えていた。

 にこやかな笑顔は浮かべていても作り物のそれで、その奥には薄暗いモノが透けて見えるような気迫があった。

 そして、今も、篠宮が陸の話を匂わせただけでこの変化だ。

「ご友人……ねぇ」

 篠宮も意味ありげに笑い返す。

 挑発してボロを出すような相手とは思わなかったが、この掴み処のない男の反応が見たい。

「派手なご交友で浮名を流しておられるようだが、陸もその一人という事ですか?」

 そうでないのは確認の上。

「下世話な想像は程度が知れる。僕は回りくどい話は好きじゃないんだ。言いたいことがあればはっきり聞いてもらえないかな?」

「特に話は。今日はご挨拶に伺っただけなので」

「陸から何を聞いたか知れないが……何かあれば、前にも言ったように僕が始末に行く」

 確かに矢野原はこの前もそう言った。

 陸に何かあれば「助けに」ではなく「始末に」行くと。

「……始末とは物騒だな」

「言葉通りだ」

「アンタは陸の友達じゃなかったのか?」

 不意に矢野原が立ちあがり、テーブル越しに篠宮に顔を寄せる。

 そして、くんっと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐような仕草をしてから席に座りなおした。

「陸の匂いがする」

「っ!?」

「セックスはまだだけど、陸にマーキングされてる」

 唐突に際どい所に踏み込まれた。

 セックスの話が恥ずかしいわけじゃない。極めてプライベートなことを暴かれたことに驚く。

 しかし、篠宮も素人ではない。そこで表情を変えるような失敗はしなかった。

「下世話な妄想はどっちだかな」

「僕のは妄想じゃない。事実だ」

「大学の先生なんか辞めて、うちで働く方が向いてるんじゃないか?」

「生憎、この仕事は気に入ってるんでね」

 取っ掛かりなど見えもしない。

 挑発すれば挑発を返してくる。

「そういや、学者一家だったか。同居してるお兄さんも大学の先生だ」

 篠宮はカードを一枚切った。

 矢野原の兄は大学教授だったが、実験中の事故で命を落としたとされていた。

 ところが実は重傷で命は助かっており、長い療養の末、教え子の一人と共に共同で研究を再開し始めた。

 事故当時の記録では重症と報道されていたが中には死亡となっていたものもあった。事故後は大学はもちろん退職し、出国の記録はなく、国内での療養先も不明。

 時間が無くて追い切れなかったのもあるが、あまりにも足取りが無く異様な位だった。

「流石、情報屋。人の神経を逆なでするのが上手いな」

 矢野原は目を眇め、嫌な笑いを浮かべる。

 ホテルの部屋で見たあの笑い方だ。

「処分に行くと言ったのは、処分に行くからだ。陸もそれはわかっている。キミにはとばっちりかもしれないが、陸と関わった以上、何かあればキミも処分する」

「何かってのは具体的になんだ」

「情報漏洩」

 篠宮は眉を顰めた。

 陸と自分が知ることで、外部に漏れて困る情報は一つしかない。

(コイツは陸の正体を知っているという事か)

 陸は自称地球外生命体だ。実際に人間ではない。宇宙から来たというのはどうかと思うが、ホモサピエンスではない知的生命体だ。

 ゴシップばかりのタブロイドでも最近はこんなネタは扱わないだろうと思うくらいベタな話だが、陸を見ていて考えを改めた。

 陸の特異な能力はやはり彼の正体に由来するのだろう。コンピューターを凌駕する演算能力が喉から手が出るほど欲しい連中は幾らでもいる。

 矢野原はそういう連中に情報が漏れることを危惧しているのだろう。

(こいつは何者なんだ?)

 陸を保護しているように見えるが、何かあれば「処分」などと物騒な言葉を使う。

 陸自身を守るのではなく、陸を処分してでも守りたい情報があるという事。

 そこから導き出される解は一つ。

(まさか……)

 矢野原は作り物のような綺麗な顔で篠宮を見ている。

 その顔が本当に作り物なら。

 陸のように人間の皮をかぶっているとしたら。

「あんた、陸と同じなのか」

「なんだ。陸からとっくに聞いてるのかと思ったよ」

 篠宮の言葉に動揺もしなかった。

「陸は自分の話以外しない。俺も興味が無いから聞いていない」

「……その言葉が本当ならいいけど」

「マジか……」

「僕はあなたのように情報操作なんて温和なことはしないよ。情報漏洩の元を抹消してしまえばそこから先は追えなくなる」

 迂闊なことを漏らすつもりもないし、陸や矢野原の正体に興味が無いと言ったらウソになるが、それがどうであっても篠宮には関係ないと思っていた。

 だが、そのくらいのことは当たり前なのかもしれない。

 彼らの正体が何であれ、卓越した能力と特殊な生体を持つというだけでも十分な価値がある。彼らの情報は多分世界中のあらゆるところで必要とされ、高値で取引されるだろう。それこそ国家レベルで扱われても不思議ではない。

「あんたは番犬ってわけか」

「そこまで物騒じゃない。気のいい牧羊犬程度だよ」

 矢野原にも何か特化した能力があるのだろうか?

 大学講師というからには頭がいいのは確かだろうが、頭がいいと言うだけではないと感じる。

 矢野原から感じる一番強い印象は恐怖だ。

 仕事で知り合う事のある連中にはアウトローな人種も多く含まれているが、そんな連中の中でもめったに感じないほどの恐怖だ。

 同じような恐怖を与えた人間の1人を今も篠宮は覚えている。

 篠宮から買った情報を使って、広域指定暴力団のトップを殺めた男だ。

 警備や側付きの連中を匕首一本で躱し、自らの身体に銃弾を受けても、目的に食らいつきその喉笛を掻っ切った。

 警察に逮捕される前に男は死亡したが、あの覚悟の座った目を今でも覚えている。

「おっかない牧羊犬もいたもんだ」

 ふーっと息をつくと、篠宮はポケットから煙草を出して吸っていいかと矢野原に聞いた。

「どうぞ。僕は気にしないので」

 嫌がるかと思ったが矢野原は予想に反して気にしない性質のようで、軽く手を上げるとカウンターにいる男に灰皿を頼んだ。

「俺は結構煙草臭いと思うんだが、それでも陸の匂いがわかるのか……」

 ふと思って口にした言葉だった。

 そしてそれに対する答えは意外な方向から帰ってきた。

「煙草の匂いくらいじゃ消えないよ」

「え?」

 顔を上げると灰皿を持ってきた男が笑って立っている。

「匂いって言うけど、正確には嗅覚で感知する匂いとはちょっと違うかな。そうなると分かるんだけど、全身で感知するマイナスイオンみたいな感じ」

「マイナスイオン?」

 何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、こんな話をするという事はこの男も陸や矢野原と同じものなのか?

 その疑問が思わず顔に出たのか、男――高遠結は矢野原とは真逆の笑みを篠宮に向けた。

「陸のご主人様ってあんたでしょ?」

「!?」

 結と言ったこの男も陸の知り合いなのか。ここは地球外生命体のたまり場になっているのか!?

 流石に、矢野原以外にもいるとは思わなかったので少々面食らった。

 しかも、ご主人様と言われたことで、陸がここの連中に関わりあるのは間違いない。一体、篠宮の事を自分の仲間に何と言っているのか?

「あんたも同じなのか?」

「似たようなもの……かな。俺の恋人が矢野原や陸と同じなんだよ」

「恋人……」

 恋人が地球外生物だという結の顔をじっと見る。

 どこかで見たことのあるこの男は、陸や矢野原のように変わった雰囲気もまるでなく、ごく穏やかな普通の人間に見える。

 あの触手の塊たちは、こういうごく一般的な人たちと恋に落ちて人間に紛れて暮らしているのかと思うと気が遠くなるような気がした。

 人間に対して、どのくらいの比率で彼らは存在しているのだろうか?

 もしかしたら篠宮が知らないだけでかなりの数が存在しているのだとしたら。

 なんだか足元が覚束なくなるような不安さを感じる。それは取り留めのない事で、篠宮が見て信じてきた世界が覆るような恐怖でもあった。

 いまここで矢野原や結と話をしている事は、陸に地球外生命体だと告白された時よりショックかもしれない。

 例外は一つだから例外なのであって、それが多数あるならばそれはすでに例外ではなく原則だ。

「大丈夫?」

 顔色を失い、言葉を失っている篠宮を結が心配そうに覗き込む。

「ああ、大丈夫だ」

 世界が覆される感覚は何度味わっても気分が悪い。

 それでも、それを事実として認められるなら情報は更新されるべきだ。

 更新して常に新しい事実を握っていてこそ世界は成り立つ。覆された後の世界の上に立つためにも。

「自分の命が脅かされることより、宇宙人に取り囲まれたことで青褪めるとはね」

 矢野原が呆れたような顔をしてこちらを見ている。

「死ねば、もう怖いものはないじゃないか」

 篠宮の口を吐いて出た言葉。

 そんな風に深く考えていたつもりもなかったが、ぽろっと口を吐いて出てしまった。

「そんなっ、あんたがそんな風に簡単に死んで、残された陸はどうするんだよ!」

 その言葉に過剰に反応したのは結だった。

「陸はあんたが居なきゃ生きていけないんだぞ! そんな簡単に死んだら終わりなんて考えるなよ!」

「待てよ。陸は確かにガキだが俺が死んだくらいで死ぬわけないだろ!」

「死ぬよ!」

「止めるんだ、結」

 矢野原が結を止める。見れば結は目尻に涙を浮かべて肩で息をしている。

 それだけ真剣に篠宮の死は陸の死でもあるというのか。

「篠宮さん、僕はあなたにお願いしたいことは実は二つある。一つは情報を漏えいしない事。もう一つは中途半端な気持ちで陸と親しくなろうとしないで欲しい」

「なんだよ、それ」

「一つ目は僕の役目だ。仲間を守るために情報を漏らすならば処分する。二つ目は陸の友人としての願いだ。陸の為に生きられないのならば、陸の事を突き放してキミは勝手に死ねばいい。キミが死ぬのはキミの選択だ。だが、懐いた陸を残して死ぬようなことはやめてくれ。それならば、これ以上親しくなる前に陸を突き放せ」

「過保護すぎだろ……」

 彼らの話の論点が良くわからない。

 一つ目はわかる。彼らの生存の問題だ。

 しかし、二つ目はたかが色恋如きの話じゃないか。

 確かに陸は一途に想い込むタイプのようだ。篠宮のように刹那的に関係を持って切り捨てることができるタイプじゃないだろう。

 篠宮が死んで居なくなっても、こんなに陸の事を想う連中が周りに居れば、すべては時間が癒し元に戻るだろう。

 そう思うと同時に、篠宮に捨てられないようにと必死になっている陸の顔が浮かぶ。

「訳が……わかんねーよ」

 吸いさしで置かれた煙草はとっくに燃え尽き、篠宮は二本目に火をつけようとしてやめた。

 これ以上、ここで会話しても何も得ることはないだろう。

 こいつらが地球外生命体であることがわかればもうそれで十分だった。

 気軽にセックスしてくれるなというなら、この間のようなまねは改めよう。

 陸と深く関わらなければ、篠宮には関係のない話だ。

 ことが終わるまで、陸と離れるつもりはないが、すべて終わったら陸には十分な報酬を与えて、彼らが言うように突き放せばいい。

「分かったのかっ?」

 立ちあがった篠宮の腕を結が掴んで聞いた。

「ああ、良くわかった」

 結の腕を振り払う。

「陸には深入りしない」

 そう言うと、篠宮はコーヒー代に千円札をテーブルの上に置いて、そのまま振り返りもせずに店を出て行った。



―― 閑話休題

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