第8話 ご主人様と犬 その参

 篠宮がリザーブしたホテルではなく、すぐ側の目についたラブホテルの空き室の表示に引きずり込まれるように二人は部屋に転がり込んだ。

「んっ、あ、ぐっ……」

 部屋に入った途端、陸は触手で篠宮の四肢を拘束すると、引きはがすように服を脱がした。

 指くらいの細い触手が器用にボタンを外す傍ら、シャツの開く隙間と言う隙間から触手が中に入り込み、するすると篠宮の素肌に巻き付いて行く。

 文句を返そうとする口も触手が入り込んで塞がれいて、唇の端からだらだらと唾液がこぼれて触手が濡れて行くが、陸は一向に気にしないようだった。

「んんっ!」

 全て服を脱がされると拘束されたまま身体を抱き上げられる。

 荷物のように肩に担ぎあげられて、目の前に1つだけある大きなベッドの上に降ろされた。

 陸は以前のように人間の皮は脱いでおらず、背中から回り込むように触手がのばされている。その量はどう見ても陸の着ている人間の皮に納まるような量を越えていたが、増えたり減ったりするのだろうか。

 身動きの取れない篠宮だったが、思いのほか冷めた目で陸を見ていた。

 触手があふれ出ているのは不思議な光景だが、自分に圧し掛かってくる男と言うのは珍しいモノではなかった。

 興奮して、欲情して、劣情を果たすべく篠宮の身体を使うだけだ。

 ホテルの部屋に入ってから陸は無言のままだった。

 背中から触手をあふれさせたまま圧し掛かってくる陸は、感情の乏しい、人形のような顔で篠宮を見下ろしている。

 忙しなく篠宮の身体を撫で擦ったり、柔らかく巻き付いてくる触手の方がよっぽど表情と言うか感情があるように見えた。

(あ、そうか)

 陸の本体はこっちの触手の方なのだ。

 口を塞いで、手足を拘束して、ベッドに押し倒して圧し掛かってくるのに、その先どうしていいのか躊躇っているような沈黙。

『ご主人様……』

 ぽわんと頭に直接響くような声。

 触手の先が髪をかき混ぜるように触れてくる。

『ご主人様、ごしゅじんさま……ごしゅじんさま……』

 口を塞ぐのは強引なのに、響く声は切なげで、顔に触れるのは遠慮がち。

 まるで頬を撫でるようにやわやわと触手の先が撫でてくる。

(めんどくせぇな、童貞か)

 篠宮が腹の中でつぶやくと、それが顔に出たのか触手がビクッと震えて緩んだ。

 緩んだ瞬間に口の中に居た触手を吐きだし、巻き付く触手から腕を引き抜くと、逆に離れようとする触手をガッと掴んで引き寄せた。

「ガキが……」

 篠宮は足を伸ばして圧し掛かる陸の身体に絡めて抑え込む。

 うねっと動くのを感じたが思ったよりしっかりとした塊で、絡めた足を引き寄せると引き寄せることもできた。

『ごしゅじんさまっ!』

 焦っているらしい陸の様子は無視して、掴んだ触手に舌を這わせ始める。

 触手が何に煽られるのかは全くわからなかったが、舌先をとがらせて筋を辿るように舐めあげると触手全体がぶるっと震えた。

(全部連動してるみたいだな)

 まるで陰茎でも舐めしゃぶるように、舌を這わせ、先を口に含む。くびれも何もないつるんとした触手は舐めてもビクビク震えるばかりで固くも柔らかくもならないが、舌先に感じる触感はすべすべで気持ちよかった。

 味も匂いもない、ただすべすべする物を口に含んで舐めまわしているだけなのに、触手の震えが体全体に伝わってくると、篠宮も不思議なことに少しずつ昂ぶってくる。

 気がつけば一旦は引いていた触手は、再び篠宮に絡み始めている。

 触手を弄ぶ腕は自由なままでいるものの、触手を寄せるように絡めた足はその上から更に触手に巻き付かれていた。

『あ、ああ、あ……ごしゅじ、さまぁ…あ……』

 頭の中に喘ぐような声が響く。

 触手は篠宮の身体を持ち上げ、するりと絡められた足から抜け出すと、ゆっくりと俯せになるようにベッドへ下した。

 もう人間の皮は脱ぎ捨ててしまっていた。

 真珠色の不思議な光沢のある触手が絡まり合い、篠宮の身体に圧し掛かってくる。

「んっ……」

 俯せの腹の下に入り込んだ触手が腰を持ち上げ、まるで四つん這いで尻を上げているような格好にされる。

『ごしゅじ、さ、まぁ……』

 舌足らずな、エコーがかかりすぎてブレて聞こえる声で篠宮を求める。

 しゃぶっていた触手から口を放すと、篠宮は自分の手を後ろへ回し尻を掴んで挑発した。

「ヤリたいんだろ?」

 身体に巻き付いた触手たちがビクンッと脈打つように震えた。

 ぺたぺたぺたと触手の先が腰に腿に尻に触れる。

 それはそっとくっついているだけなのに、大きな手でつかまれたように身動きが出来なくなる。

 服を脱がせた時のように、太い触手に細い触手が絡まり、手のひらでつかんで揉みしだくように双丘を開かれた。

 触手だけなのに、欲情しているのが伝わってくる。

 眼も顔もないのにじっとりと秘所を見つめられて、息を荒げてもいないのに昂ぶりに走りだしそうなのを堪えているのを感じる。

 劣情ははじける寸前なのだろう。

 篠宮はにやりと笑った。綺麗だが、昏くてきつい笑顔だった。

「お前も他の連中と同じだ」

 篠宮は吐き捨てるように言う。

 ぴたっとすべての動きが止まった。

 あたりの空気が冷えたように、陸の気配も消えた。

「ご褒美が欲しいんだろう?」

 下半身は押えつけられたままだが上半身は自由だったので、背をひねって篠宮は陸を見た。

 ラブホテルの品のない色の間接照明の中でも、淡くオパールのような不思議な光沢をたたえた触手はとても綺麗だ。

(こういうのが綺麗って言うんだな)

 ひどくサディスティックな気持ちになる。

 綺麗なら、同じ泥沼の中に落として、篠宮と混じりあって、汚れてしまえばいい。

「ご主人様なんて呼んで傅いて、セックス目当てとは良いご趣味だな」

 自分でも笑顔が引き攣るのがわかる。

『ご主人様……』

 再び陸の声が頭の中に響く。

「いいぜ、来いよ。相手、してやる」

 挑発するように言って嗤うと、触手に体を抱き起された。

『泣かないで……』

 触手の塊と向かい合うように座らされると、何本もの触手が篠宮の頬を撫でる。

『傷つけて、ごめんなさい』

 頬を撫でている触手が濡れているのを感じて、初めて自分が涙をこぼしているのに気が付いた。

「うるせぇ……やるなら、とっととやれよ」

『おれが、欲しいものはご主人様の身体じゃない』

「はっ、いまさら何を」

『おれは、ご主人様が欲しい。ご主人様の心が欲しい』

「……」

『おれのものになったら、おれは、ご主人様が二度と傷つかないように、大事に、大事にして守れる。おれだけ見て、おれと二人だけで、おれが、幸せにしたい』

 頬だけでなく、肩も腰も抱きしめられるように触手が巻き付く。

『ご主人様が辛いなら、おれが大事にするから』

 だから、ください。

 甘く響く陸の声が麻薬のように頭の中をとろかして行く。

 誰かに求められたことが無いわけではない。

 恋人もいた。婚約者もいた。もう思い出すこともできないけれど、子供の頃は親が優しくしてくれた。

 しかし、恋人とは別れ、婚約者には恨まれ、親は篠宮を目障りだと切り捨てた。

 それ以降、篠宮を欲する者は全て何かの代償に快楽を貪れる見目が良い道具として欲した。

『ご主人様』

 陸は篠宮の側に居たいと言った。

 陸の正体を知っても側に居ることを許している篠宮を手放したくないのだろう。

 動機は同じように利己的かもしれないが、陸は関係の継続を望んでいる。

 ずっと一緒に居るために、篠宮の事を想い、関係を築こうとしている。

『大事にします』

 触手の先が、そっと唇に触れる。

 柔らかくふにっとした触感がキスを思わせた。

『ごしゅじんさま……』

 巻き付く触手にぎゅうぎゅうと抱きしめられて、触手の先がふにふにと唇に頬に触れてくる。

 たったこれだけの事なのに、気恥ずかしくて振りほどきたくなるほど、陸は気持ちを甘く伝えてくる。

「やめろ……」

 身動きが取れないのは触手に拘束されているからで、顔が背けられないのは拒否られた時の情けない陸の顔が浮かぶからだ。

 全裸で触手に巻きつかれているのに、もう性的な匂いは微塵もない。

 ただ、陸が好きで好きで仕方のない気持ちをぎゅうぎゅうと伝えてくるだけだ。

「放せ」

 嫌だと言葉にはしないが、ぎゅっと抱きつく触手にさらに力がこもる。

「このままじゃ、苦しいんだよ」

 不機嫌さを丸出しにして低い声で唸ると、やっと陸は触手をほどいた。

 どれでも、それが身体から離れることはなくて、ずっと遠慮がちに緩やかにとりまいている。

 息がつまるような苦しさではなかったが、気恥ずかしいのと良いようにされているのとで、篠宮は眉を顰めたままふーっと息をついた。

 その溜息を聞いて、触手がビクッとする。

 この触手は本当に表情豊かだと思う。

 思ったこと感じたことが正直に表れている様を見ると、これ以上悪しざまに罵る気もしなくなる。

「陸」

 篠宮は初めて陸の名前を呼んだ。

 今まで、オイとかお前とか呼んでいたが、名を呼んだのはこれが初めてだ。

 もちろん、互いにそうと分かっているので、陸は緊張した様子を見せる。

 そんな陸の触手の一本を篠宮は救い上げる。

 女の腕程の太さのそれは、ついさっきまで情熱的に篠宮の身体を抱きしめていた。

 あの力強さが嘘のように、今はくったりと力が抜けて、篠宮がなすがままに引き寄せられた。

「お前は俺の側に居たいのか?」

 幾度か聞いたことのある質問。

 色々と理由は聞いた。

 篠宮の何気ない言葉がきっかけで、ストーカーのように調べて調べて目の前までやってきた。

 そして、篠宮に辿りついて、陸はそれで良かったのか?

 篠宮は決して理想的な人間ではない。顔が少しばかり整っていると言われるが、それを餌に人を操ることもある。傲慢で不遜な人間だ。

 それを知っても陸は篠宮の側に居たいのか?

『側に、居たいです』

 手に持っていた触手の先が、くるんと猫の尾のように手首に巻き付いた。

『ご主人様と一緒に居たいです』

「そうか……」

 篠宮はそのまま黙り込んでしまった。

『おれは、ご主人様の盾になります。誰がご主人様を狙っても必ず守れるように頑張ります』

「……」

『もし、ご主人様が傷ついても戦うと決められたなら、おれはご主人様の剣になります。ご主人様が望むなら、おれは、ご主人様以外の人間の敵になっても構わない』

「陸……」

『ご主人様の命が狙われてると思った時、ものすごく胸が痛かった。ご主人様が居なくなってしまうと思ったら、もう我慢が出来なかった。ご主人様を自分のものにして誰にも触れさせないようにして、大事に大事に何処かへ隠してしまおうかと思った。ご主人様を傷つけるのが、例えそれがご主人様自身だとしてもおれは我慢が出来ない』

 触手がゆっくりと持ちあがり、緩く篠宮を抱きしめる。

「放せ、陸」

『嫌です』

「……陸」

『……』

 篠宮はもう一度深くため息をついた。

「俺はお前に何も返してやれない」

『ご主人様?』

「お前がどんなに俺を好きだと言って、俺の側に居て、俺に尽くしても、俺はお前に何もやれない」

 この陸の事を憐れだと思う。

 こんなにも真摯に一途に想っても、無理なことは無理なのだ。

「お前が俺の側に居るのは正直助かる。お前の能力は非常に高いし、俺の役にも立つ。だが、どんなに思われても俺はお前に思いを返すことはできない」

 無邪気に気持ちを返せるほど、篠宮の傷は浅くはなかった。

 すべてに裏切られ、何もかもを一度失った苦しみはいまだに癒えず、何も持たないことで再びその苦しみに襲われる恐怖から逃げているのだ。

『それでも、いいんです』

「陸?」

『おれ、言いました。ご主人様をくださいって。ご主人様の気持ちも身体も貰えなくても、おれのご主人様になって守らせてください。そして、側に居させてください。それだけでいいです』

 ご主人様のお隣をください。

 声として認識するにはあまりにも微かな言葉が届く。

「……わかった」

 身勝手なことを言って、この憐れな子供を束縛する権利はない。

 だが、今は、陸に隣に居てほしい。

 ズルくて汚い大人は詭弁を弄した。

「居たければ、居ればいい。俺は陸を追い出しはしない」

 陸にだってそれがどんなにズルい事かわかる。

 でも、それでも、陸は側に居たかった。

 篠宮が大好きだと分かったから。

『ありがとうございます。ご主人様』

 ぎゅっと抱きしめてくる陸の好きなようにさせる。

 しかし、篠宮は決して抱き返すことはしなかった。



―― 続

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