第5話 閑話休題 陸と結と矢野原と
「ご主人様ぁ?」
陸の言葉を聞いて、彼の数少ない大学時代の友人は眉間にしわを寄せた。
成績優秀で何かに特化されたような奴は変わり者が多いが、この東條陸と言う男はそれに輪をかけておかしい。しかも斜め上に。
「だって、雇用主だから」
「雇用主は普通社長とかだろ」
「んー、でも、ご主人様って感じなんだよね」
「……お前、なんか、変な仕事してるんじゃないのか?」
友人にはまだ業種を打ち明けていない。就職が決まって住み込みで働いてるとだけ言ってある。
多分、どこかの企業の研究室に就職が決まり、その企業の寮に住んでいると思っているだろう。
実際には得体の知れない情報屋に押しかけ表向きはラブホの従業員としてラブホの一室に住んでいるわけだが。
「変な事じゃないよ。おれの才能が遺憾なく発揮できるところだよ。就職はそういう所を選べばいいんだろ?」
「お前の能力ねぇ……」
「……まだ見習いだけど、ご主人様の役に立ちたいんだ」
「ホントに変な所じゃないだろうな?」
陸は頭は良いが、ぶっちゃけ世間知らずだ。
それをよく知る友人は、陸と話せば話すほど不安になってくる。
「矢野原がそんなに誰かを心配してるのって初めてみた」
食後のコーヒーを持ってきた店員は友人の顔見知りらしく、からかう様に声をかけてくる。
気難しいと思っていた友人がこんな風に人と接しているのを初めて見た陸はちょっと驚いた。
「新って、他人と話すんだ!」
「ぶっ!」
陸の言葉に、店員が噴きだす。
「失礼だなっ!」
「だって、新っておれと一緒に居てもご飯食べてるか数独やってるかだし、人間はそんなに好きじゃないし、ずっと数学やるしかないんだと思っていた」
友人――
お互い同族と言うのもあり、比較的一方的に陸がなついた結果ではあったが友人として続いている。
「あれ? 店員さんも同じ?」
矢野原の新たな一面に驚いていて気が付いていなかったが、声をかけて来た店員から同族の匂いがする。
「ああ、矢野原と同じなんだな。初めまして。
「おれは東條陸です。新と同じです」
はっきりと言葉にしないが、同族とわかれば隠しもしない。
随分濃く匂っているので一瞬同族かと思ったが、結は融合した人間らしい。
これだけ濃く匂っているということは、融合がかなり進んでいるのだろう。それはとても関係が良く行っている証拠だ。
「いいなぁ、おれも早くご主人様と分かち合いたい……」
「ご主人様っ!?」
矢野原と同じく、結も驚きの声を上げる。
「どんな仕事なんだ? 大丈夫か? それ」
「ほらみろ、普通はこういう反応なんだよ」
矢野原と結に揃って心配されると、さすがにちょっぴり不安になる。
こういう時の表の職業かと、素直にそれを打ち明けることにした。
「実はラブホテルで住み込み従業員で働いてるんだけど……」
「ラブホテル!?」
「ラブホの住み込み!?」
「そう! ラブホテルで住み込み!」
二人とも「ラブホ……」と呟いたまま、なんだか意味ありげに二人で目線を交し合ったりして、陸には全くわからないものの気まずい沈黙が流れる。
「矢野原、お前、友達ならもうちょっと就職とかちゃんと相談乗ってやれよ」
「僕が想定してた方向と違い過ぎだ。大体、東條、お前ラブホの住み込みなんてどこで見つけた仕事なんだ?」
「ネットで探した」
嘘ではない。
篠宮に会いたくて必死に探した結果見つけたのだ。
「……これ、どう考えても変な求人に騙されてんじゃないの?」
結が不安そうに陸を見る。
体格が良く、一見理系には見えないが、愛想のいい顔つきからは世間知らずのお坊ちゃんと言う雰囲気しかない。それか、カモがネギ背負って何とやらだ。
「給与と勤務体系は?」
「えーっと、歩合制でフレックス、先月は住み込み分の雑費を抜いて120万位もらったかな」
「……」
陸のざっくりした説明に二人とも完全に言葉を疑う。
歩合制でフレックス、先月は120万の報酬なんて絶対真っ当なラブホテルじゃない。
「鋼に相談するか?」
結が矢野原の脇を軽く小突いて、ヤバそうなら第三者を入れたらどうかとせっつく。
鋼は結のパートナーで彼らと同族であるだけでなく、弁護士として働いている。
「それは最後の手段だな。その前に……東條、お前の勤めているラブホテルを教えてくれ」
「いいけど、どうするの?」
「キミほどの優秀な物理学者が雇われている所がどんな職場なのか気になるんだ。一回見に行ってみたい」
「えっ……」
陸はしばし戸惑う。篠宮と仕事をしているところは対外的には絶対に秘密だ。その為のラブホ勤務なんだが、実際ラブホで働いたことは殆どない。一度、夜の忙しい時間にパートの人たちでは手が足りず手伝ったことはあるが、陸はクリーニング品の山積みになったワゴンを運んだくらいしか仕事をしたことが無い。
そんな仕事っぷりを見せても矢野原は安心できないのではないだろうか?
「え、いいよ。大丈夫だよ。お給料もらえてるし、困ってることないし……それにラブホテルは恋人がいない人が来る場所じゃないよ」
矢野原の綺麗な笑顔がビキッと固まる。
「僕も恋人くらいいるけどな」
「新のは恋人じゃないでしょ。そういう乱れた生活送ってると痛いめみるよ」
再び、結が堪えきれずに噴きだした。そして笑いを必死に堪えようとしているが、身体を震わして悶えている。
矢野原はこれ以上ないくらい苦い顔をしていたが、気を取り直してもう一度陸に言った。
「僕の事は置いておいて、今日は東條の就職先の話だろ。なんなら、この後、僕とコイツで行ってもいいんだけどね」
不意に矢野原に指名されて、今度は結が表情を強張らせた。
「何で俺が矢野原とラブホなんか行くんだよ。絶対嫌だね!」
「僕だってやきもち焼きの鋼に付け狙われるのはごめんだ」
矢野原と結の間に火花が飛び散る様な視線が交わされる。
仲がいいのか悪いのか。
しばらく二人のやり取りを見ていた陸だったが、このままではどうにも埒があかなそうだったので、仕方なく提案した。
「じゃあ、これからおれの職場見学、くる?」
その言葉に矢野原はしばし考え込む。
素直に見に行っても、矢野原の疑うところは晴れないだろう。
「いや、いい。雇用主の名前だけ教えて」
「あ……」
陸は一瞬躊躇う。
矢野原に名前を言えば、多分いろんなことがばれてしまう。
同族である上に年かさの矢野原には陸と同じような、もしかするとそれ以上の技能があるかもしれないからだ。
「大丈夫だよ。別に、本当に変な仕事してるわけじゃないし」
「説明できないっていうのがすでに怪しい仕事だ」
「ラブホで働いてるって説明してるのに」
矢野原はいつになく食い下がってくる。
元々、自分のこと以外に興味の薄い人で、陸の事に関してもこんな風に構ってくることはなかった。
同族であること、同じ理系の研究者であることくらいしか接点もなく、陸と会っていても数独パズルの本から顔を上げないような人だったのに。
「何でそんなにおれの就職なんかが気になるんだよ」
「キミはその雇用主を気に入っているんだろう?」
不意に言われたその言葉にギクッとする。
気に入っているというのは陸たちにとって少し特別なことだ。
「僕たちは迂闊な人間に情報を握られてはならない。それはキミだけの問題じゃないからな。疑わしきを近づけたくはないんだ」
ラブホテルと言う業種自体がアウトローなことではないが、歓楽街の側に居る人間の交友関係は十分注意するべきものだと思う。
「……そんなヘマしないよ」
「キミがしなくても、相手がするかもしれない」
「ご主人様はそんな人じゃない」
「僕はキミから聞く情報だけでは、それを信じることはできないな」
返す言葉がみつからず、ぐっと黙り込んでしまった。
信用を得るためには篠宮の事を詳細に話す必要がある。
しかし、それは篠宮との約束に反する。
自分たちの正体と同じくらい、篠宮のことも明かせない。
それをどう説明したら納得してもらえるのかと思うと、次の言葉が出てこない。
「東條くん困ってるじゃん」
助け舟を出してくれたのは結だった。
「何か起きる前に対処するのも必要だけど、それを疑って何もかも潰していくのはまた話が別だよ。何かあれば助けるつもりがあることだけ、東條くんにわかっててもらえばいいんじゃないかな」
「遠野さん……」
ぱっと表情を明るくして、結の言葉にうんうんと肯く。
「ありがとうございます。おれ、新の言ってることもわかる。でも、今は頑張ってる最中だから、話がちゃんとできるようになったらする。それに、ヤバい時も必ず相談するし、その時はおれが動く」
「……」
納得がいかないという顔をしていたが、矢野原はとりあえずこれ以上の追及はやめた。答えの出ない問答を繰り返すのは生産的ではない。
「心配してくれてありがとう」
ぺこっと頭を下げる陸の姿を無言で眺めながら、矢野原は冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
「矢野原があんな風に人に入れ込んでるのを初めて見たよ」
「僕だって同族の心配くらいする」
陸が帰った後、冷めてしまったコーヒーを淹れなおしてた結が向かい側に座り込む。
「まあ、少し幼い感じだったから心配なのはわかるけど」
「彼は特殊なんだ」
矢野原は熱いコーヒーを少しずつ飲みながら言った。
「同族の中でも彼はずば抜けて能力値が高い」
「へぇ。そんな風に見えないけど……あ、でも、首席卒業だっけ?」
「そんなだけじゃない。彼は持てる機能のほぼすべてを思考することに割り振っているタイプなんだ」
「機能?」
「ざっくり言ったらスパコン以上の演算能力があるAIみたいな感じ」
「ん?」
ざっくり言われてもピンと来ないが、頭がいいというのとは少し違って、誰かがコマンドさえ入れたらものすごい高機能でそれを実現するというものらしい。
「じゃあ、東京全域を停電させろとか無茶なこと言ってもできちゃうってこと?」
「彼なら簡単なんじゃないかな。手元にあるスマホから電力会社の制御中枢へ侵入して機能を停止させるだけだ。彼以上のコンピューターなんてこの世界には存在しないからデジタルで制御されているセキュリティに意味はない」
「デジタル専門なら、ネット絡まなきゃ大丈夫なんじゃ……」
「今、この世界でデジタル制御を受けていないものがどのくらいあると思う? 彼は国会議事堂を破壊しろって言ったら、躊躇わずに旅客機をその上に落とすだろうね。それで国会議事堂は破壊される」
「そんな……」
「唯一救われているのは、彼はとても純朴で破壊行動をしたいと自発的に動くタイプじゃないことだけど、もし彼にそれをやらせようという人物が現れたら別だ」
「……矢野原は今の東條くんの雇い主がそういう人間じゃないかと思ってるの?」
「知らないから分からない。なので情報が欲しかった」
「うーん……」
流石にこうなると頭が痛い。
矢野原たちが地球上の生命体を凌駕する能力の持ち主であることは理解していたが、陸に関しては規模が違いすぎる。
「彼のご両親はあえて彼をああいう風に幼く育てたんだ。間違っても自発的に反社会的な行動をとり始める思想を持たないように。だが、純朴であるが故に、極端な思想にも染まりやすいのではないかと不安になる」
「……まあ、心配はわかるけど、あまり追い詰めても逆に悪い方へ逃げちゃうかもしれない。とりあえずは様子見じゃないのかな。ご両親もご健在の様だし」
それを聞いて矢野原は今までの深刻な様子とはまた違う溜息を盛大についた。
「なんだよ、その溜息」
「東條のご両親は優秀な方々なんだが、何と言うかその……大変楽天的で細かい事は気にしないタイプなんだ。それに息子が成人した今、再び新婚時代に戻ったと二人の事で頭がいっぱいのどっかのバカップルみたいな状態なんだよ」
「……バカップルで悪かったな」
結は矢野原の言葉に眉をしかめる。
鋼と出会って数年経つが、愛情は薄れることなく高まるばかりの有様だ。
「ま、俺たちみたいなパートナーがみつかればいいんだよな。平和的な」
「……これ以上、同族にバカップルが増えるのは安易に賛成はしたくないけどね」
そう言うと矢野原は、はーっとワザとらしくため息をついて、残りのコーヒーを飲み干したのだった。
―― 閑話休題
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