第4話 押しかけ社員 その肆

「……お帰り」

 陸がホテルに戻ると、すでに篠宮は戻って来ていて自分の机に座って何か作業をしていた。

 出て行った時のあの恐ろしいまで激昂していた様子は無くなっていたが、どこかとげとげした冷たい雰囲気がする。

(まだ、怒ってる)

 そのくらいはわかるし、あれだけ怒ったのだからそんなにすぐに元通りになれるわけがない。

 でも、ここで陸が余計なことをしたらまた怒らせそうで怖い。

 手に持った紙袋の取っ手をぎゅっと握りしめる。

「どこ行ってたんだ?」

「え? あ、買い物に行ってきました」

「買い物?」

「はい。あのっ」

 思い切って紙袋を篠宮に差し出す。

「これ、買ってきました。食べませんか?」

 さっきいろいろ調べて、篠原が甘いモノ好きであることを知った。

 そこで評判のいいケーキ屋を探して、好きそうなケーキを買ってきたのだ。

 喧嘩した時の仲直り。ネットのどこかで読んだそんな情報に縋るような気持ちで飛びついた結果だった。

 なのに、篠宮はケーキ屋の紙袋を見るなりますます険しい顔になる。

「……誰に聞いた?」

「え?」

「このケーキ屋」

「ご主人様が好きかと思って……」

 嫌いなケーキ屋だったのだろうか?

 篠宮は苦虫を噛み潰したような顔をして、「俺はいらない」とまた部屋を出て行こうとした。

「待って!」

「っ!」

 このままじゃまた喧嘩してしまう。

 このままじゃだめだ。

「いかないでくださいっ! ご主人様!」

「ご主人様なんて呼ぶなっ!」

 篠宮のシャツを掴んだ手が振り払われる。

「お前のご主人様は俺じゃねぇだろうがっ!」

「!?」

「お前がしっぽを振る相手が別にいるのはわかってんだ」

 しっぽ? 篠宮以外の相手?

 言う言葉の意味が全く分からないが、このままではダメな事だけはわかる。

 さっきみたいに諦めたら、きっと後で後悔する。

 陸は振り払われた腕をもう一度伸ばし、思い切って篠宮にしがみつく。

「おれはご主人様だけですっ!」

 ぎゅうっと力いっぱいしがみついて、もう一回言う。

「ご主人様以外の人なんて嫌だっ!」

 そして、無意識のうちに陸は更に篠宮にしがみついた。

 もう、二度と振り払われないように。

「ひっ! う、あぁっ!?」

 篠宮は変な悲鳴を上げて固まった。

「な、な、なんだ……これ……」

 陸の腕の中でじっと固まったまま。

「え?」

 篠宮の異変に気づき、少ししがみついた腕の力を抜こうとして……できなかった。

「あ、うわっ! あああああっ!」

 今度は陸が変な悲鳴を上げる。

「おいっ! お前っ」

「ごめんなさいっ!」

 慌てて篠宮の身体から離れる。

 しかし、あまりに慌ててしまって絡まってしまった。

「あ、あ、あ、離れられませんっ……どうしよう……」

 目尻に涙が浮かぶ。

 もう何もかも台無しだ。

 陸は篠宮に抱き着いたまま、自分の背中からあふれ出てしまった触手を呆然と眺めていた。


「一旦、落ち着け」

 篠宮は陸にそう言ったが、自分にもそう言い聞かせた。

 なんだこれは。

 自分より背の高い男の胸の中に抱かれていることも異常だが、それ以上にその抱き着いている男と一緒に何かに拘束されている。

 見えるのはロープのようなもの。

 だが、それはよく見るとそれは淡い白色をした何かだった。

 素材は良くわからないが、多分生き物のような気がする。篠宮と陸をグルグル巻きにしている淡い白色をしたものの先端がうにうにと蠢いているのだ。

 落ち着け、落ち着け、と何度も唱えながら自分の記憶の中で一番これに近いと思われるものを探り出す。

「……触手……」

 思わずつぶやいた言葉に、陸がビクッと震えて反応する。

「これは……触手か?」

 形状や質感は少し違う気もするが、篠宮の記憶の中で一番これに近いモノはイソギンチャクの触手だった。

「ごめんなさい……」

 篠宮の肩に顔をうずめた陸が小声で謝る。

「これが何かお前は知ってるのか?」

「……」

「お前のシャツの背中が破けてそこから出ているように見えるんだが……」

「……ごめんなさい」

「謝るだけでは説明にならない。これが何か情報をくれ」

 しゃくりあげるように泣きはじめた陸を少し宥める様に、声のトーンを落として説明を求めた。

「おれ、です」

 パニックから脱したのか、陸がぽそぽそと説明を始めた。

 それと同時にゆっくりと触手も解けはじめる。

 どうやら本体(?)と密接に連携している様だ。

「この触手はおれです」

 そこから先は到底信じられるような話ではなかった。


「おれは人間じゃありません」

 陸は地球外生命体なのだと言う。

 正体は人間の形状からは程遠い、触手だらけの丸いイソギンチャクのような姿をしていて、この陸の外見は「外装」と呼ばれる人間を模した全身タイツのようなものらしい。

 そこまで聞いて、すでに篠宮はキャパシティオーバーだった。

「そんなことをいきなり言われてもな……」

「見せます」

 陸はそう言うと破けたシャツを脱いで上半身裸になると、ぶるっと犬が水気でも掃うように震えた。

「あ……」

 まるでズボンのベルトが切れてストンと下に落ちて脱げる様に、陸の全身が下に脱げた。

 人間ごと脱げた後には、螺鈿のように淡く色々な色の光沢がある乳白色の触手の塊が現れた。

 触手の太さはまちまちで、細いモノは人の指くらいから太いモノは成人男性の腕くらいある。

「本当に触手……」

 触れるとほんのり温かくて柔らかい。

 触れたのは好奇心からだったが、触れているともうちょっと触っていたくなるような不思議な感触だった。

 面白くなってきて、つい触ってしまう。

 もぎゅもぎゅと握ってみても陸は何も言わない。

 気がつけば、篠宮は夢中になってその触手の触感を楽しんでいた。

 そのうち、一本の触手がおずおずと篠宮の顔の方へ延びて来て、こめかみのあたりにちょんと触った。

『あの……』

「わっ!」

 不意に篠宮の頭の中に陸の声が聞こえた。

 明らかに耳からではない、なんだか反響するような声。

『ごめんなさい、この姿の時は触らないと声が出ないんです』

「あ、骨伝導か……」

『ご主人様は……あの、こわくないですか?」

「怖い?」

 手に触手の先を握ったまま。

 怖いとは考えなかった。完全に未知なるものへの好奇心が勝っていた。

「怖くはないが、よくわからねぇ生き物だとは思う」

『おれは、人間じゃないけど、ご主人様の側にいてもいいですか?』

 声色は良くわからないが、手に握っていた触手がきゅっと強張る。

『おれはご主人様の側に居たいんです』

「……沙英子の為にか」

 再び、すうっと腹の底が冷える。

 この何だかわからない生き物は、どうしてそこまで沙英子に尽くそうというのか。

『サエコ……? それはご主人様の元婚約者の大島沙英子さんのことですか?』

「それ以外に誰がいる!」

『日本国内には同姓同名が相当数いますが……そういう事ではないですよね? おれには何故ご主人様がおれがご主人様の元婚約者の大島沙英子さんに尽すと言っているのかわかりません』

「お前は沙英子に依頼されてここへ来たんだろう?」

『ご主人様とおれの間には誤解があると思います』

 陸は躊躇いもせずきっぱりと言い切った。

「誤解?」

 いまさら何を。

「さっきだって沙英子に会っていたんじゃないのか? お前が外出する前にこの周辺で沙英子を確認している。それに、お前の買ってきたケーキ屋は沙英子が良く使っていた店だ」

『それは誤解です!』

 じっとしていた触手がわさっと震えだし、数本が篠宮の方へ延びて来て巻きつく。

『おれは、ご主人様がここのケーキをよく食べていた情報を得てケーキを買いに行きました』

 篠宮の外出中、陸はずっと篠宮の情報を調べていたのだという。そこでまだ沙英子と婚約していた頃に沙英子がFaceBookで上げていた写真の中に、3回ほどこのケーキを食べる篠宮が映り込んでいるのを確認した。

 写真に写るケーキの形状から店を特定し、篠宮が好きそうなケーキを購入してきたのだと言う。

「何故、そんなことを」

『仲直りしたかったんです。おれがご主人様を怒らせたから……』

 陸はそろそろと篠宮に巻きつける触手を増やしてくる。

 篠宮は黙って陸のやりたいようにさせている。

 この人間じゃない生き物を信じていいのかどうか。

 この触手すら何かの特殊技術で、篠宮は今騙されているのではないか。

 ただ、陸の様子を見ているとその疑いはどうしても薄れてしまう。

 嘘を見抜けなければ純度の高い情報は得られない。そうやって生きてきたはずの篠宮の目には、陸の言葉に嘘が見当たらない。

「何故、そんなに俺の側に居たいんだ……?」

『ご主人様が、地球に地球以外の生き物がいた方が楽しいって言ってくれたから』

 陸はどんどん篠宮に触手を巻きつかせて、ぎゅうっと抱きついて来る。

『ご主人様が14歳3カ月の時にTVのバラエティー番組のUMA特集で街頭インタビューに答えています。「地球に地球以外の惑星から来た生命体がいると思いますか?」と言う問いにご主人様は「元々、地球の生命体も宇宙から来た物質から進化した説もあるし、それに地球に地球以外の生き物がいた方がたのしいじゃないですか!」と答えました』

「……」

 そんなことを答えただろうか。

 中学生の頃、TVの街頭インタビューを受けたのは微かに覚えている。

 たかがそんなことで篠宮を見つけ出してきたというのか。

『おれは人間じゃないから……それでもいいと言ってくれる人を探していたんです』

 だから、篠宮のその映像を見つけた時は衝撃だった。

 迫害される恐ろしさを両親には叩き込まれた。

 決して正体を明かしてはならない。

 明かすことができる人は陸の存在を受け入れてくれる人だけ。

 それを笑って言えるこの人ならと一瞬で脳裏に焼き付いた。

『それからずっとご主人様の事を見てきました。ご主人様が婚約されたのはショックでしたが、おれが色んな事ができるようになれば大丈夫かもしれないと思って頑張りました。でも、ご主人様は……』

 その後、事件が起きる。

 拘置所に収監された篠宮には流石に手が届かず、陸は篠宮を見失ってしまった。

『あの事件はご主人様はなにも悪くなかったのに……』

「……悪くなかった?」

『あれは大島沙英子の父親が仕組んだ狂言じゃないですか。巨額横領の証拠を掴まれたあいつがご主人様を社会的に抹消する為に仕組んだんだ……なのに……』

「そこまで、知ってるのか……」

『おれにできるのは調べることだけだったんで……』

 篠宮の拘置所での様子が知りたくて、陸はどんどん情報収集精度を上げていった。違法を承知で侵入し、アンダーグラウンドな世界にも入り込んでいった。

 それでも再び篠宮の居所を掴むまでかなりの時間がかかってしまった。

 ラブホテルの登記の中に篠宮の名前を見つけた時は、再び世界が開かれたような気持ちになった。

『ずっとずっと探してて、やっと見つけて、側に居られて、おれ、幸せなんです。おれが幸せにしてもらってる分を必ずご主人様にお返ししますから、おれを側に置いてください……』

 この地球外生命体にも感情があるのだろうか。

 篠宮の体に巻きついている触手が細かに震えている。

 泣いているような、怯えているような、悲しげな振動が伝わってくる。

 大体、なんでこんな得体の知れない生き物に泣きつかれているのを呆然と受け入れているのか。

(人間じゃないからか……?)

 陸が人間ではないと言い出したとき、確かに驚いた。

 外装を脱いで触手だらけのイソギンチャクが出てきたときも驚いた。

 理解の範囲を超えるような事態ではあったが、それに対して感じたのは驚きと好奇心だけだった。

 嫌悪も恐怖もなく、そこにいる生き物をただ見ている。

 陸の正体が知れ渡ったら、それはパニックになるだろう。陸が普段の生活を失い、実験動物か見世物にされるのは火を見るより明らかだ。

 それを陸がわからないわけはないだろう。

 確かに、これを打ち明けるのは、並大抵の決意ではないように思う。

 そして、ただひたすらに、本人も覚えていないような言葉を信じて、篠宮を探して、篠宮だけを信じて、陸はここへやってきた。

(だから……)

 それは、少しは、信じるに値する誠意なのではないだろうか?

 同時に、再びなぜ犬が好きなのかを思い出した。

(人間じゃないから)

 それでもまだ完全に信じることはできないけれども、嘘をつく人間よりはマシなのではないか。

(……とっくに絆されてたと言う事か)

 激昂したのも、イライラしたのも、全て絆されていたのに裏切られたと思ったから。

 その証拠に、裏切られたのでないと分かれば、こんなにも気持ち凪いでいる。

『ご主人様ぁ……』

 触手に顔はないから表情は読めない。

 でも細かに伝わる振動と、その震える声で……。

(触手の塊に犬耳としっぽが見える気がする)

 重症だと思ったが、それ治す薬はないだろう。

「わかった」

 篠宮は出来る限り低い声で言った。

 何もかも許したわけじゃないから。

「雇用は継続する。ちゃんと働けよ」

『!』

 花弁が早送りで開くようにふわりと触手が広がって、よりぎゅっと篠宮に抱き着いた。

『がんばります! ご主人様!』


 こうして篠宮と地球外生命体との奇妙な関係は始まったのであった。



―― 続


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