第3話 押しかけ社員 その参
篠宮は陸を調べ始めた。
未知なることが恐怖の根源。東條陸という男を知れば、不安定な状態は脱せる。例え、陸がどんな人間であっても。
手がかりは少ない。陸の提出した履歴書位だ。
しかし、陸は別に自分のことを偽るつもりは全くなかったのか、履歴書に書かれた経歴を追ったら、すぐにそれは発見できた。
「東條……陸……」
最初、大学受験の時の予備校のインタビューにその姿を見つけた。
驚いたのは陸が海外の大学を出ていることは知っていたが、それ以外にも国内の名立たる有名大学の合格者名簿に名を連ねていた。
『もっと、世界を知りたい』
そうインタビューに答えて、海外の大学に留学を決めた後も、常にトップクラスの成績、物理学の国際会議の参加、アジアから来た天才少年などというタブロイドの記事もあった。
それらの情報に添えられた写真を見る限り、陸本人に間違いはない。
だが……。
(こんなに表情のない奴か……?)
どの写真も人形のように表情の乏しい澄ました顔ばかり。
あのへにょっと情けなくヘタレた犬耳が見えそうな陸には見えない。
(整形して入れ替わっている?)
そんな突拍子もない事を思わず考えてしまうほど違う印象。
しかし、耳の形や歯並びまで現在のデータと一致するところを見ると整形とは考えづらい。
家族の事も調べたが、外科医の父と大学医学部教授の母と言う医者一家。頭がいいのは親譲りか。特に母親の方は経歴を追っても優秀で、この親の血を引いていたら天才も生まれるんじゃないかと思わせるほどのサラブレッドだ。
ざっと追いかけただけでも経歴はクリアで、怪しいところは何もない。
念のため戸籍も調べたが、何も怪しいところはなかった。
頭が良い事を除けば、ごく普通の青年だった。
そして、それがすごく気にかかる。
モニターから顔を上げると、篠宮が新しく買い揃えたパソコンデスクに向かっている陸が見える。
今日は別に何も仕事を言いつけてはいないのだが、仕事のない時は一日中モニターの前に座って何かを調べている。
一回何をやっているのかと、リモートで履歴を追ったことがあるが、その時はただひたすらに更新されるwikiを追い続けていた。
(よくわかんねぇな)
その腹の中まで探る術があったら。
(そんな情報まで抱えちまったら、あっという間に破綻するだろうけど)
世の中にはオーラの色が見えるなんて連中もいる。テレパシーなんて能力もあると言われている。そういう異能力者たちが本当にいるのかどうかわからないが、自分以外の人間を背負い込む重みに耐えられるのだろうか。
人の気配を感じて再び顔を上げると、陸が目の前に立っていた。
「……なんだ?」
「ご主人様、おれのこと、調べてるんですか?」
隠す気はなかった。
陸ほどのクラッカーならそのくらいの監視はしてるだろうと思っていた。想定の範囲内だ。
「従業員の身上調査だよ」
「何が知りたいですか?」
「……特別知りたいことがあるわけじゃない。履歴書の裏を取った程度だ」
「おれも、ご主人様の事、知ってます」
逆鱗ってのがあるんだと思い知った。
陸が篠宮の事を知っていると言った瞬間、瞬間湯沸かし器のように激昂した。
「うるせぇっ! お前は従業員なら黙って仕事してろよ!」
椅子に掛けてあったジャケットをひったくるようにして持つと、陸の横を通り抜ける時にわざと彼を突き飛ばした。
「何でも知った面しやがってっ!」
「ご主人様! 出かけるならおれも!」
「ついてくんなっ! ついて来たらお前はクビだっ! 役立たず!」
わざと陸が怯える言葉を使った。
陸は青ざめてその場に立ち尽くしたが、それを振り返りもせずに篠宮は部屋を出て行った。
篠宮の名前を知る者なら、検索をかければすぐにわかる事実がある。
前科は警察が公開しなくとも、事件当時の報道の記録や裁判記録を辿れば簡単に知ることができる。
篠宮には傷害の前科があった。当時は殺人未遂と報道されていた。
婚約者の父親を刺したのだ。
被害者は命を取り留めたが、婚約者は父に殺意を向けた男を許さず、その婚約者の父の支援で自営の企業を保たせていた両親は息子を許さなかった。
自分を取り巻くすべての人間に否定され、コミュニティを追われた篠宮が行きついた先が場末の裏路地のようなこの世界だ。
最初はタブロイド紙の記者やヤクザに情報を売り、多少頭角を現したころにはかつて自分を捕まえた警察が篠宮を非合法に利用した。
何をするのも決して借りは作らず、金で清算した。
そうやって組織の環から完全に外れて、その環の蠢きを見ている立場になった。
彼らは自分たちの環の外にいる篠宮を決して助けてはくれないが、必要以上に害意を抱くこともない。
この間のようにチンピラをけしかけられても、上手く対処してきた。
一人で上手くやってきたのだ。
一人でいれば、胸の内を漁られる必要もない。
知らない奴らが勝手に知っている情報には価値が無い。自分と結び付けられて始めてその情報には価値が生まれる。
『おれも、ご主人様の事、知ってます』
最初から篠宮を知っていたのだとしたら。
陸の存在は大きく意味合いを変える。
過去の事で脅されるほど価値のあるネタではないが、篠宮に衝撃を与えるには十分だ。
過去を切り捨てて来たのに、過去の関係者がやってくることほど恐ろしい事はない。
実際には殺人未遂にもならず、傷害で執行猶予も付いた。だが、当時篠宮を取り巻いていた人間たちは篠宮を許してはいない。
それだけは、いつも確認してきていた。
両親からは分籍され、苗字が同じだけの他人にされている。
別の人間と結婚した元婚約者は、自分の父を労わりながら篠宮を呪い続けている。
わかっている。
その連中が、居所の掴めない篠宮の行方を陸を利用して探していたとしたら?
彼らにはそうしなくてはいられない理由が十分にある。
今のところ彼らと陸に接点は見つけられなかったが、陸の技能ならば篠宮にそれを隠すのは簡単だろう。
(犬っころみたいな外見に騙されるところだったな)
犬は嘘をつけないから好きだったことを思い出した。
しかし、陸は犬ではないのだ。
どうするか考えなくてはいけない。
篠宮が部屋を出て行ってしまって、陸は途方に暮れていた。
無性に込み上げてくる涙を唇を噛んで堪えて、どうしたらいいのかを一生懸命考えた。
しかし、陸には篠宮の気持ちを察することも、どうしてこんなことになってしまったのかもわからない。
ただ、嬉しかっただけなのに。
篠宮が陸に興味を持ってくれたのが嬉しかった。
押しかけて無理やり雇ってもらって、篠宮にやっと近づけた。
でも、篠宮は陸の手なんか借りずとも立派に仕事をしていて、陸はお手伝いしかできない。このまま役立たずでは篠宮に捨てられれしまうと思っていたところで、篠宮を助けることができた。
そして、やっとこっちを振り向いてもらえたと思ったのに。
「ぅ、うぅ……」
怒鳴りつけて出て行った篠宮は本気で怒っていた。
陸が篠宮の事を知っていると言ったのが拙かったのはわかった。
でも、それがどうしていけなかったのかがわからない。
考えても考えても陸にはそれがわからない。
このままでは捨てられてしまう。
篠宮は陸が居なくても何も困らない。
もっともっと必要だと思ってもらって、側に居たいのに。
陸には誰にも言えない秘密がある。それを知っているのは自分の両親たちと同じ秘密を持つ仲間だけだ。
その秘密を打ち明けられる相手を探しなさい。そう、両親に言われて、陸は家を出された。
いつまでも家族に頼っていてはダメ、この先は家族では助けてあげることが出来ないから。誰か、陸とすべてを分かち合ってくれる相手を探しなさい。その人を大切にして生きて行きなさい。
その話をされた陸は今と同じく途方にくれた。
秘密を打ち明けるのは誰でもいいわけじゃない。
その秘密を知っても、陸を受け入れてくれる人。一緒に生きて行ける人。
そんな人がいるのだろうか?
そんなことが可能なのだろうか?
そう思って途方にくれたまま探し始めて、見つけたのが篠宮だった。
組織に属さず、情報屋なら陸でも役立てることがあるかもしれない。そう思ったら居ても立ってもいられなかった。
すぐに篠宮の居所を探し当て、履歴書をもって突撃した。
ドアが開いて目の前に現れた篠宮は、情報で知っていた以上の存在だった。
あまり身なりに構わない性質なのか、シンプルな黒のVネックのシャツに洗いざらしのGパンというスタイルだったが、陸よりやや細いその体のラインはとても綺麗でしなやかそう。猫のような丸のみあるツリ目も、細く通った鼻梁も、煙草をくわえる薄い唇も、どれも女性的ではないのに綺麗なという表現がぴったりの顔。
言葉遣いは少し乱暴だけど、そんなのはまるで気にならないし、逆にそんなギャップもカッコいいと思えた。
そして、何よりすごくいい匂いがした。
煙草の匂いはあまり好きではなかったのだけど、篠宮からは優しく香ばしい匂いと何とも言えぬ甘い匂いが漂ってきて、陸は一瞬で夢中になってしまった。
この人と一緒に居たい。できれば、この人にだけは秘密を打ち明けて、ずっと一緒に居たい。
そう強く思ったのに……。
陸は篠宮を怒らせ、ついて来たら追い出すとまで言われてしまった。
「どう、したら……」
ぼろぼろこぼれる涙を手の甲で乱暴に拭って、陸はなんとか篠宮の役に立ちたいと考えた。役に立てば、許してもらえるかもしれない。
役立たずを返上して、篠宮に必要とされたい。
篠宮の手が陸の頭を撫でてくれた感触がよみがえる。
少し乱暴な仕草だったのに、すごく嬉しかった。
もう一度、ご褒美が貰えるように。
必要としてもらえるように。
陸は涙を拭っていた手で、ぱちんと自分の両頬を叩いて気合を入れると自分に与えられたモニターの前に座った。
陸にできることをやらなくては。
あてどなく歩いて、目についたカフェで一服してから篠宮はホテルに戻った。
そして、部屋に戻る前に、ホテルの方の事務室に寄って監視カメラのチェックをする。
監視カメラはいたるところに仕掛けられており、篠宮の外出中にホテルの中や周りで起こったことは全てわかる。
もちろん違法ではあるが、各客室の中にもカメラはある。
昔なら盗撮ビデオでひと稼ぎなんてのもあったかもしれないが、見目のいいAV女優が沢山いる中で、所詮はド素人のセックス動画、一部の盗撮マニア以外需要もないので客室の中の様子を見ることはあまりなかった。
「ん?」
エントランスの録画をチェックしていると、陸が外出して行くのが映っていた。
篠宮が出て行ってから1時間ほどたった頃だ。
続けて入口のカメラに切り替えると、やはり陸が出て行くその背が映っている。
(出かけたのか……)
別に外出を禁止してはいない。出かけるのは勝手だ。
そう思って倍速逆再生でチェックを勧めて行くと、入口に気になる人影が見えた。
「……」
通常再生でもう一度確認する。
その人物は、入口の目隠し代わりに設置されているデジタルサイネージモニターの横から中を窺うように覗き込んでいた。
こういう場所に慣れていないのだろう、決して入口から中を見ることはできないのだが、自動ドアが反応しないギリギリまで近寄って中を探ろうとしている。
そして、顔がはっきりと映ったところで映像を止めた。
サングラスをしていたので、静止画をキャプチャーし、解析ソフトに転送する。
幾つかフィルターを設定し、骨格やサングラス越しに透けて見える輪郭を抽出してサングラス無しの顔を描き出すのに10分もかからない。
その顔を見て、篠宮は唇を噛みしめた。
忘れようと思っても忘れようのないその女の顔。
「……
篠宮の元婚約者の顔だった。
「あいつが……」
今更とは思わない。
彼らは憎い篠宮を探し続けている。
ただ単に篠宮をやっと見つけ出したというだけだ。
多分、陸を使って。
元婚約者の沙英子がホテルの前に来たのは、陸が出て行く5分前。
陸と連絡を取って、ホテルから出てくるのを待っていたのか。
なにやら腑に落ちたのと同時に、腹の底がすうっと冷えたのを感じた。
すぐにも陸を追い出してやろうかと思ったが、今追い出して相手に手の内を晒すのはバカらしい。
篠宮の手の中にはまだ大きな凶器が握られたままなのだ。
黙ってやられるわけにはいかない。
―― 続
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