第2話 押しかけ社員 その弐

 バカだバカだと思っていたが、ここまでバカとは思わなかった。

「バカ! 後ろだ! 後ろっ!」

 志村じゃねーんだし、そんな登場あるかと怒鳴りつけたかったが、このままではバカでも一応部下らしい陸がヤバい。

「ふぇ?」

 すごい剣幕で怒鳴る篠宮に陸はきょとんと首をかしげた。

「チッ! ったく!」

 篠宮は仕方なく陸の腕を引っ張り真横に突き飛ばす。

 追跡者は一瞬ターゲットを見失うが、目の前にいるのが篠宮だとすぐに認識すると躊躇わずにナイフの刃を突き出した。

(くそっ! 刺される)

 こういう時の為に厚手の皮のライダースを着ているが、薙がれるのと刺されるのではダメージの度合いが違う。咄嗟に腹を庇うように自分の腕を巻き付けた。

「ぐ、ぁっ!」

 次に襲ってくるはずの衝撃はなかった。

 その代わりに男のうめき声が聞こえる。

「?」

 顔を上げて声の方を見ると、目の前の男がナイフを構えたポーズのまま停止している。

「もー。ご主人様、危ないですよ」

「え?」

 見れば男は陸の腕から伸びるロープで拘束されているようだった。

 黒いロープなので分かりづらかったが、よく見れば見事に全身を拘束し動きを封じている。

「おれ、役に立ったでしょう?」

「あ、ああ……」

 陸はぐっとロープを引き寄せて男を確保する。

 男は全く身動きが取れずなすがままだ。

「でも、どうしましょうかこれ? 傷害未遂か銃刀法違反で通報しましょうか? 多分、書類送検程度で出てきちゃうと思いますけど」

「……いい。放してやれ」

「えー?」

「面は覚えた。何かあれば手加減はしない」

 そう言ってロープを解くように促したが、陸はまだロープの端を握ったままで、納得がいかないようだ。

「でも、また来ますよ、こいつ」

「来たら社会的に抹消する」

「え?」

「俺の取引相手はヤクザばかりじゃない。その反対の組織にコイツの個人情報の一切合財を送り付けてどこにも隠れられないようにしてやる。それだけじゃない。こいつに関わる人間の個人情報をガンガンばら撒いて、こいつに人が関わらないようにしてやる。そうすればこいつは食い上げだ」

 男への脅しのつもりはない、陸への説明のようなものだった。

 当然、今上げたのは一例で、陸がいる今、こいつが使用する銀行口座を全て抹消してしまい私財を奪うこともできる。

 金を動機に動く連中に、これ以上痛い事はない。

 個人情報とぼかして言ったが、男にはその言葉が十分に伝わっているだろう。

 男はぐっと唇を噛みしめて篠宮を睨みつけている。

 篠宮はスマホを出して男の顔写真を一枚撮ると、陸に言った。

「おい、顔写真は押えたから、あとでこの男の個人情報を特定しとけ」

「それを貸していただければ、今すぐでもできます」

 自信満々に言う陸に、篠宮はロックを外してスマホを手渡した。

 スマホに見られて困るデータはない。ネットにつながるただの端末だ。

大木信夫おおきのぶお、……生まれ34歳、国籍日本、住所は東京都大田区番地まで確認。家賃引き落とし口座の名義は塚村信康……」

 5分もしないうちに陸は男――大木の情報をつらつらと読み上げ始めた。

「大木信夫が関連している別名義の銀行口座を7件特定しました。全部、消去しましょうか?」

「止めてくれっ! わかった! もう手は出さねぇ」

 大木がギブアップした。

「口約束では信用がありません」

「もういい、放せ」

「でも!」

「金で動く奴が、金握られたと知ればもう手は出して来ねぇよ」

 それでも陸は納得ができない様だったが、「ご主人様がそう言うなら……」と渋々ロープをほどいた。

 どういう仕組みになっているのか、鞭のように手元の一振りで大木の身体を拘束していたロープは全て解けて陸の手の内に収まった。

 拘束が解けるなり大木は踵を返して逃げて行った。

 逃げたところで意味がないのは大木にもわかっているだろうが、ここに居てこれ以上暴かれるのを目の当たりにするよりはマシだろう。

「……予想以上だったな」

 逃げていく大木の背中を未練がましく見ている陸に声をかけた。

「おれは、こんな事しかできないんです」

 篠宮は褒めたつもりだったが、陸はションボリと俯いてしまった。

「調べることは沢山出来ます。でも、おれはその使い方がわからない。データは無限に蓄積されるけど、おれはそれだけで、大学みたいに試験もないし、研究だって発想が無いとダメだって言われた。おれにはできることが無い……」

 言いながら陸はボロボロと泣きだし、その憐れな姿に言いようのない罪悪感がこみあげてくる。

「お、おい、ちょっと待て、そのだな、あー、落ち着け」

「ごしゅ、じんさまが……やれって言ってくれないと、おれは何も、できな、いんです……おれ、役に立たないと……」

「あーっ! くそっ!」

 子供のようにしゃくりあげながら泣きはじめた陸の手を引っ張り来た道を戻る。

 大の男が泣きじゃくってるのもアレだが、どうにも篠宮が泣かせているようで気分が悪かったし、ホテル街で男泣かせて立ち話なんてのはゲイの痴話げんか以外の何ものでもない。

 篠宮のホテルに戻り、まだ清掃中の札が立ってるのを押しのけ、入口に居た清掃係に「どっか鍵!」と束の中から一番手近な部屋の鍵をひったくった。

 連れてる間、ずっと陸は泣き続けで、えぐえぐとしゃくる声が聞こえている。

 そして、部屋の中に入ると、陸をベッドの上に放り出す。

「泣くな! 迷惑だ!」

 泣いてる相手に声をかけるにしてはもうちょっとかけようもあるだろうと思う様なストレートさだったが、その一声で陸はピタッと泣き止んだ。

「嘘泣きかっ!?」

「ちが、い、ます、ご主人さ、まが……泣くな、て……」

 口を開けば再び泣きそうになるのをぐっと堪える。

「あー……泣くな」

 篠宮も為す術がなく途方に暮れる。自分に刃物を向けてくる男に恫喝するのは何ともないし、女に泣かれたところでうるせぇの一言で終る。しかし、陸を相手にするとどうにも納まりが悪い。叱っても宥めても、まるで自分が悪い事をしているような罪悪感がじわじわとしみ込んでくるのだ。

 ベッドの上に座り込んでしゃくりあげてる陸の隣に座ると、篠宮は煙草に火をつけた。

「落ち着け、話は聞いてやる」

「……ご主人様……」

 篠宮は辛抱強く陸が泣きやむのを待った。元々こんな仕事をしているくらいで、短気な性ではない。

 タバコを吸いながら横を見ると、陸がこぼれる涙を拭おうと一生懸命手で擦っていたのでポケットにあったティッシュを渡す。

「ん」

「ありがとうございます」

 履歴書を信じるなら陸はもう24になっているはずだった。24のしかも身長も高くそれなりにガタイのいい大男が、ぐずってるだけでも鬱陶しいはずなのだが、陸にはそういうものを感じない。

 どうも陸はちぐはぐだと思った。

 天才的な技能を持ち、頭の回転も悪くない。しかし、言葉遣いはどこか幼く、こんな風に情緒不安定な部分もある。だが、外見は完全な大人で身体能力も見た限りアスリート級だ。

 能力と精神と身体のバランスが不安定な感じだ。

(天才ってやつはそんなもんなのか?)

 天に与えられた才を使いこなせない子供。

『使い方がわからない』

 さっき、陸はそう言って泣き出した。

 使い方の分からない技術をどうやって習得する?

 言われるままに方法だけ覚えることも可能だとは思うが、教えた奴は陸以上の天才になる。

 そんな存在が居ないわけではないだろうが、どういう目的で陸にこんなことを仕込んだのか?

 考えれば考える程、腑に落ちない事ばかりだ。

「……ご主人様はどうして俺を雇ってくれたんですか?」

 少し落ち着いたらしい陸が、篠宮の方をじっと見ている。

「お前が雇えって言ってきたんだろう」

「おれが、雇ってくださいと言ったのは正解でしたか?」

「……どうだろうな。結果ってのは時間が経たないと出ないもんだ」

 陸を雇ったのが正解かどうか。

 篠宮にとって助けにはなっているが、こんなアンダーグラウンドな部分にも触れる仕事が陸にとって正解かどうかはわからない。

「おれは……どうしたら、雇ってもらえますか?」

「クビにするって言ったつもりはないぞ」

 篠宮は煙草をベッドサイドの灰皿に押しつけて火を消す。

「おれ、役に立ちますか?」

 陸は煙草を消すために背を向けた篠宮のジャケットの裾を掴んで言った。

「おれ、ご主人様に必要ですか?」

 その仕草に篠宮が強張る。

 なんだこれは。

 雇主と従業員の関係をはるかに超えたものを求められている気がする。

 振り向くとジャケットの裾を掴んだまま、陸がすがるような眼で篠宮を見上げている。

 なんだこれは。

「お前は、どうしたいんだ?」

「おれは、ご主人様といたい」

 なんだかもう完全に色んなものを見失っているような気がする。

 そうじゃねぇだろ! と突っ込みたいが、陸に言っても通じないだろう。

 これは完全に子供だ。迷子の子供が優しくしてくれた大人にしがみついてるのと同じだ。

(俺は優しくした覚えはねぇんだがなぁ……)

 陸にとって就職できたことはそんなにしがみつきたい事象であったか。

 たしかに、使いどころの難しい存在ではあるが。

「お前は良くやっている。雇用も継続する。お前が必要だ」

「ご主人様っ!」

 篠宮の言葉にぱぁっと満面の笑みを浮かべる。

「……助けてくれてありがとうな」

 そう言って、陸の頭をくしゃっと撫でた。

 思わず、だった。

「はわっ」

「うおっ」

 驚かれて慌てて手を引っ込めた。

「ご主人様……」

 なんだかものすごく感動したようなキラキラした目で篠宮を見つめ返してくる。

「な、なんだよ」

「これが、ご褒美というものなのですね!」

「はぁ?」

 あまりの衝撃に声が裏返る。

「そうですよね! ご褒美ですよ! 褒められて与えられるものはご褒美だと知っています!」

 そう言って、陸は自分で自分の頭にそっと触れる。

 くしゃくしゃと髪を掻き乱してから、何かに納得したように頷いた。

「嬉しくない! 自分でやっても嬉しくないです!」

 そういう割には嬉しそうだなと言い返しそうになるが堪えた。

「そ、そうか」

「ということは、ご主人様にしてもらえるから嬉しかったんです」

「はぁ……」

「ご主人様、これからもがんばりますので、ご褒美を下さい」

 ちょっと待て、なんか違う関係になって来てるぞと思ったが、篠宮はそのキラキラと期待の籠った眼差しに言い返すことができず、「おう」とだけ答えた。



 その晩、篠宮は夢に魘されて目が覚めた。

 起き上がると、エアコンで程よく調整されているにもかかわらず、嫌な寝汗をびっしょりとかいている。

 夢の内容は振り返らずとも脳裏に焼き付いている。

 情報屋としての篠宮の根底にある物だ。

 篠宮は情報は武器だと思っている。

 ナイフなどなくても人は殺せる。社会的にも物理的にも。情報に追い込まれ、行き場を失い人を殺したり、自死を選ぶ奴もいる。

 そういうものは凶器と呼ばれるものだと思う。

 篠宮は自分は武器商人だと思っている。

 自ら手を汚すことはなくても、人の生き死にを左右するものを扱って金に換えて生きている。

 汚職を暴くような正義であっても、ヤクザの恫喝のネタであっても、第三者がどう思うかはわからないが、篠宮には飯の種だ。

 そこには義憤も正義も怨嗟もなく、ただの商品でしかない。

 遠い昔、篠宮は強大な武器を手にして正義の立場に立とうとした。

 しかし、武器が強すぎて、制御しきれず、自爆した。

 その威力は篠宮のみならず周囲の人間も巻き込み、篠原の世界は一転してしまった。

「あいつの所為か……」

 陸が来て、陸の威力を知って、篠宮は正直なところ恐怖を覚えたのだ。

 陸が泣き出して有耶無耶になったが、スマホを触って大木という襲撃者の情報をいとも簡単に暴き立てた時は背筋がぞっとした。

 自分はまた扱いきれない強大なものを手にしてしまったのではないか。

 泣きながら縋りついてきた陸を、本当は突き放して追い出すべきではなかったのか。

 ちょっと様子を見るだけと思ったのが、間違いだったのではないか。

 この先、陸をどうするのか……。

「あんなガキが……」

 ガキだと思う。ポンコツだと思う。天才的な才能があってもその使い方がわからないポンコツだ。

 では、その天才的な才能を「使う」のは誰だ?

 それは他ならぬご主人様の篠宮だ。

 陸は篠宮の言いなりに等しい。篠宮が望めば望むだけその才能を発揮するだろう。その天井がどんなものかは知らないが、その天井を知りたいとも思わないほど高性能な「武器」だ。

「とんだモンスターを拾っちまった……」

 でも、それを手放すのも怖い。

 それが篠宮の正直な気持ちだった。


―― 続

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