触手な彼氏と女王様。

貴津

第1話 押しかけ社員 その壱

 犬は可愛い。

 頭が良くて、忠誠心が高い。

 ちょっとくらい飼い犬が意地悪しても、きゅんきゅん困った声で鳴きながら、それでも飼い主が恋しくて、くっついて回るのは堪らない。

 そんな訳で篠宮侑弥しのみやゆうやは犬が好きだ。

 だから、大人になったら犬を飼いたいと思っていた。

 実家は親が犬は好きだがアレルギーで飼うことがならず、社会に出て一人暮らしを始めたらペット可の物件の家賃に打ちひしがれて飼うことができずにいた。

 出来ればいつか犬が飼いたいなぁと思っているうちに早幾歳。そんなことを思っているうちに三十路に突入してしまった。

 そして、今、やっと犬が飼える環境を手に入れた篠宮が拾ったのは、頭だけは滅茶苦茶良いけど、それ以外がかなりポンコツな犬男だった。



「就職面接に来ました」

 ドアを開けるなり、いきなり切り出された。

 インターホンなんかない所に住んでいたので、激しくドアをノックされて出てみたら、ドアの向こうには篠宮より10cmほど背の高い男が、履歴所在中と書かれた封筒を持って立っていた。

 少し赤味のある茶髪を七三に撫でつけて、リクルートスーツと思われるチャコールグレーのスーツを着て、なのにワイシャツは派手なピンクでネクタイは黒だ。

「うち、求人してないけど」

 篠宮は少しアンダーグラウンドな仕事をしている。

 その為、事務所などは一切公開していないし、求人募集をかけるなどは以ての外だ。

「おれ、就職しないと困るんです」

「はぁ……」

 男は篠宮の言葉を聞くなり、へにょっと眉尻を下げて泣きそうな顔になる。

 まるで犬のようだと思った。

 髪の色のせいかもしれない。どこかゴールデンレトリバーのような大型犬を思わせるその髪の色の主の頭の上には、困り切ってぺたんと寝てしまった耳が見えるようだ。尻尾があったらきっとションボリヘタレている事だろう。

「学校を卒業したら、自分の技能に合った仕事を見つけて就職しないとゴクツブシになるって怒られるんです」

 間違ったことは言ってないな。

「だが、俺ン所は求人してないって……」

「でも、人で足りてないですよね? あと、おれ、役に立ちます。すごく使えると思います! 面接でちゃんと説明します!」

 男は直訴状でも掲げるみたいに履歴書を差し出して頭を下げた。

「お願いします!」

「……」

「お願いしますっ!!」

 放っておいたら土下座でも始めそうだ。

 別に人の目があるわけでもないので、このまま土下座させてもいいかなと思った時にそれを感づいたのか男は篠宮を見て言い放った。

「面接してくれるまで、おれ、帰りません!」

 おいおいおいおい、勘弁してくれよ。

 くわえ煙草で見ていたが、どうにもこうにも引き下がりそうもない。

「お願いしますうう……」

 涙目で篠宮を見ている男に絆されたわけではない。

 どうにも入り口でやり取りしているのが面倒くさくなって、篠宮は折れた。

「……入んな」

 男はその一言に満面の笑みを浮かべると「ありがとうございますっ!」ともう一度頭を下げた。

 後ろで見えない尻尾がぶんぶん振られているような気がした。


「で、うちに何の用?」

 応接セットなどないので、リクライニングの足元に置かれていたオットマンを椅子代わりに男を座らせた。

 篠宮は自分のデスクの椅子を引っ張ってきた。

東條陸とうじょうりくと申します」

 陸と名乗った男は、履歴書と一緒にファイルを取り出して広げた。

「ゴクツブシにならない為に就職活動しています」

 もしかして、それが就職動機のつもりなんだろうか?

 篠宮ははるか昔に受けた覚えのある面接を微かに思い出してみたが、こんな得体の知れない話をした覚えはない。

 気まぐれに差し出された履歴書を見ると、ちょっと驚いた。

 そこに書かれているのが嘘でなければ、海外の――篠宮でも知ってるような有名大学を首席で卒業していることになる。

「お前、うちに何しに来たの?」

「就職活動です」

「就職活動して、うちに勤めるつもりな訳?」

「もちろんです。ここならおれにぴったりの仕事もあるし、お給料はあんまり気にしません」

「ぴったりの仕事?」

 最初から少し引っかかっていた。

 篠宮の仕事は誰もが知る様な仕事ではない。

 と、言うか、篠宮がこの仕事をしていると知る者が殆どいないはずだった。

「はい。おれ、情報収集が得意です」

 篠宮の仕事は情報屋。クライアントと顔を合わせることなく、金銭と引き換えに要求された情報を提供する。

「なるほどね」

 咥えていた煙草に火をつけると、大きくひとふかしする。

 陸はにこにこして篠宮の様子を見ている。

 どこまで本当かわからないが、篠宮が情報屋だと知り、居所まで嗅ぎつけて来たのだとしたら相当なものだ。

「そういや、お前、どうやってここまで来たの?」

「えーと、それはアクセスでしょうか? 志望動機でしょうか?」

「……両方だ」

 にこにこにこにこ。害の無さそうな屈託のない笑顔。

 無理やり七三に分けているせいか珍妙な外見になっているが、よく見ればやや童顔で愛想のある顔をしている。イケメンと呼んで差し支えはないだろう。

 背が高く、何かスポーツでもやっていたのかスーツの上からでもわかるくらいガタイが良かったが、威圧感をほとんど感じないのはこのファニーフェイスゆえかもしれない。こんな界隈をうろついていたら、美人局にでも引っかかってケツの毛まで毟られそうな人の良さそうな笑顔だ。

「こちらの事務所に決めたのは、情報収集する仕事を探していた時にお見かけしたので志願しました」

「具体的には?」

「はい。大手新聞社のメインサーバに侵入して、個人情報を収集した後、それらを全て解析、情報流通に関係する部署の社員がプライベートに使用している情報提供者をリストアップして、さらにその先に篠宮さんのお名前を見つけました。その後、お名前から住所、業務内容の詳細、業務規模を特定。先だっての防衛大臣の収賄事件のキー情報をリークしたのがこちらの事務所だと分かり、志願するに至りました」

 にこにこにこにこ。害の無さそうな笑顔が、こんなに恐ろしいと思ったのは初めてだった。

 確かに収賄事件の情報を提供したのは篠宮だった。

 だが、それは絶対にわかるはずのない第三者を立てての取引だった。もちろん、関係者に接触した痕跡も残していないし、提供された側だって篠宮だとは認識できていないはずだ。

 冷や汗が背中を伝う。

 気まぐれに招き入れた子犬は、とんだモンスターだった。

「この部屋までどうやって来た。入口からでいい。説明しろ」

 篠宮の事務所兼住居は篠宮がオーナーをしているラブホテルの最上階にあり、有人監視カメラのあるエントランスから、従業員用のエレベーターに乗って暗証番号を打ち込まないと辿りつけない。

 ホテル利用者では篠宮の部屋があることすら気が付かない。

「上から来ました」

「上?」

「おれ、ロッククライミングとか得意なんで、屋上まで上がって1つ下に下りました」

 要は壁伝いに屋上へ上がって侵入したってことか?

 この辺りのラブホの屋上には、胡散臭い連中がペントハウスで居を構えている場合も多く、そういう連中の警備網は相当なものなので隣と言えど壁を登っている男を見つければ相当警戒する。

 下手をすれば、ホテルに乗り込んできても不思議じゃない。

(隣のヤクザビルの監視を掻い潜ってここまで来たってことか)

 篠宮のラブホテルの隣は有名な広域指定暴力団の事務所があるビルだった。本部ではないものの、幹部連中のよく出入りしている大きめな事務所だ。そこの監視が隣のビルを登ってる奇妙なリクルーターを見逃すとは思えなかったが……陸は無事にたどり着き、ここで就職面接に扱ぎつけている。

 それに、その前にさらっと流したが大手新聞社のサーバにアクセスしたと言っている。しかも、ただサーバにアクセスしただけじゃない。個人情報の深いところまで潜り込み、記者が個人的に使用している情報屋を探り出し、さらにその後ろにいる篠宮までたどり着いたというのも尋常な話ではなかった。

(大アタリか、大ハズレか)

 物理的な侵入も、情報源への侵入も、人離れした才能の持ち主。

 どこまで本当かよくわからないが、少なくとも目の前に居て篠宮を知っているという時点で情報屋としては合格点以上だ。

「……条件は?」

 荒仕事は篠宮の管轄ではないが、当てがないわけでもない。

 自分の正体を知る、この見知らぬモンスターを黙って街に帰すわけにはいかない。

 とりあえずは手元に置いて監視して、対策を考えよう。

 手に余るようならば、貸しのある連中に処分を頼めばいい。

 自らの手を汚していなくても、篠宮の考え方はアウトローのそれとそう変わりはない。

 そして、それに躊躇いもない。

「雇用条件ですか? おれ、情報屋の勤務形態ってよくわからないんですけど、雇ってもらえればそれに合わせます。お給料も少なくても平気です。でも……」

「でも、なんだ?」

「おれ、今、親のところを追い出されて住むところが無いので、住み込みだと嬉しいです」

「はぁ?」

 こうして、押しかけ女房ならぬ押しかけ社員に押し通され、篠宮は新入社員を迎えることとなったのだった。


 ラブホテルというのは意外と人の出入りが少ない。

 その上、出入りがわかりづらく作られているので、篠宮のように居場所を特定されたくない人間には都合が良かった。

 情報屋になって金ができた時、篠宮は潰れかけのラブホテルを一軒まるっと購入した。内装をリフォームしてそれなりに綺麗にしたら人も入り始めて、今ではホテルもそれなりの収入になっている。

 それに部屋数だけは沢山ある。

 もともとホテルとして営業していた最上階を封鎖して事務所にしているので、そのフロアの空き部屋を陸に貸し与えることにした。

 家財道具も何もないという陸には、キッチンこそないがベッドと風呂が完備しているだけでも有難かったようだ。

「ご主人様ーーっ! さっき言ってたお仕事できました!」

 陸を雇い始めてから数日。

 その能力には驚くことばかりだ。

 特にサーバのクラックとハッキングにかけては天才的で、まるで検索サイトにアクセスして情報を引っ張ってくるかのように、企業や組織のサーバに入り込み情報を引き出して来た。それどころか個人のスマートホンの中から抜いたような情報も手軽に引き出してくる。

 今も警視庁のデータベースにアクセスして、前科のある人間の個人情報を照会させたのだが、10分ほどモニターの前に座っただけでデータを持ってきた。

「ご主人様って呼ぶな、アホ」

 篠宮は手書きのメモで渡された情報を受け取りながら、にこにこ顔の陸を睨みつけた。

 雇うと決まったその次の瞬間から、陸は篠宮の事をご主人様と呼び始めた。

 なんじゃそりゃと理由を聞いたら、篠宮が綺麗な洋館の主だからだという。

「洋館に住んでるご主人様は、ご主人様ですよね? おれ、使用人だし」

 なにやらその呼び方が気に入ったようで、何度怒鳴りつけても睨みつけても変えようとしない。

 陸より少し背が低いとはいえ、目つきはキツイ三白眼、愛想もなければ、気遣いもない、どうみても本職のヤクザにしか見えない篠宮に怒鳴られてまったくへこたれないのはすごいところだ。

「ここは洋館じゃねぇっつーの。ラブホだラブホ。連れ込み宿」

「知ってますよ! 本当は住み込みでお城で働いてるって親にも連絡したかったけど、機密保持のためにちゃんとラブホテルで働いてるって言いましたよ」

「……お前の親それでいいのか?」

 海外の有名大学を首席卒業した息子が、場末のラブホに住み込みで働いていると聞いて喜ぶ親はそう居ないだろう。

「仕事が見つかったなら死ぬ気で働けって言われました」

 にこにこにこにこ。

 犬っころがご機嫌で尻尾振ったくってるような無邪気さ。

 気を抜くと、頭のゆるい大学生のバイトみたいに思ってしまうが、手元に視線を戻せば現実を突きつけられる。

 陸の渡してきたメモには、警視庁内でも限られた人間しか知らないだろう情報が綴られていた。

「ま、いいや。ちょっと出かけてくる。お前は留守番してろ」

「えーーっ! 留守番ですか? おれ、ボディーガードもできるから連れてってください!」

「アホ、お前みたいな目立つ奴連れて歩けるか。テメェの部屋で留守番してろ」

「うー……わかりました」

 耳としっぽがへにょん。

 そんな幻覚が見えそうなくらい、あからさまに肩を落とす。

(大型犬……)

 ゴールデンレトリーバーとかラブラドールとかの愛玩大型犬。

 そんな形容がぴったりの陸は、篠宮に言われるまま、すごすごと自分の部屋に戻っていった。

 その背中を見送って、従業員用のエレベーターに乗り込むと、さっき陸に持って来させた情報を頭の中で確認する。受け取ったメモはすでにシュレッダーの中だ。

 メモや記録は残さない。自分の頭の中に叩き込んだモノだけが全てだ。余計なアウトプットを残すと自分へつながる手がかりとなりかねない。

 それは情報屋にとってクビに縄をかけられるようなものだ。

(こいつを渡したら、しばらく動かねェ方が良いな)

 今回の件は陸の働きもあってかなり深い情報まで探れた。

 この情報を引き渡せば、何日か後には新聞の一覧に派手な見出しの記事が載る。

 派手な見出しが躍って騒がれるほど反発も大きいだろう。

 身の安全を図るためにも少し鳴りを潜めた方がいい。

(どっか海外でほとぼりを冷ますのもいいが、あいつを置いては行けねぇしなぁ……使える奴だが、足枷になるようなら……)

 犬を飼うと自由に旅行もままならない。

 そんなことを考えていると、不意に人の気配を感じた。

 ホテルから出て50メートルほど、昼間のホテル街に人通りは殆どなくつけてくる気配だけが際立って感じられる。

(隠れるつもりはないってことか)

 篠宮は焦りを感づかれないように、歩調を変えずに近づいてくる気配を探った。

 気配を隠さないということは、とんでもないマヌケの場合を除けば、感づかれたところで何も怖くはないという連中だということだ。

 気配は少しずつスピードを上げて、篠宮の背後に迫ってくる。

 どこかのホテルに飛び込むかとも考えたが、生憎どこも宿泊営業を終えて清掃中で閉鎖しているところばかりだ。

(くそっ、タイミングが悪い)

 こうしている間にも背後の気配はどんどん迫ってくる。

 もう、感づかないふりをしている場合じゃない。

 そう思った瞬間。

「ご主人様っ! 来ましたっ!」

 頭上から陸の声が響く。

 思わず立ち止まって振り仰ぐと、近くの建物からロープにつかまってスライディングで降りてくる陸が目に入った。

「もう安心です!」

 そう言うと、陸はパッと背後の追跡者と篠宮の間に降り立った。

 追跡者を背にして。

「おいっ! あぶねぇっ!」

 闖入者の出現で、追跡者は正体を現す。

 陸の背後には結構な刃渡りのサバイバルナイフを構えた男が迫っていた。


―― 続

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