第6話 ご主人様と犬 その壱

 あまりに突飛な現実に思わず思考停止していたが、改めて落ち着いて考えてみれば、雇った男が腕のいいクラッカーかと思いきや、地球外生命体だったというのは笑い話にもならない。

 SFにしたってもう少し別の設定があるだろうと思う様なアレだが、実際目の前で人間の皮を脱ぎ捨ててイソギンチャクのような触手の塊に化けたのを見てしまったので認めざるを得ない。

 そんな地球外生命体である陸は今、目の前で凄まじいスピードでキータイプしながら、どこかのデータバンクに潜り込んでいる。

 瞬きもほとんどなく、真顔でモニターに向かう様は、陸の身上を調べた時に観た大学時代の写真に写る彼を思い出させた。

(人形のように無表情な天才少年)

 篠宮に話しかけてくる時にはそんなそぶりは一切ない。

 人懐っこい笑みを浮かべて、後ろに尻尾がついていたらブンブンと振っているのが見えそうなくらいだ。

 頭の良いガキ。それが篠宮の陸に対する評価だ。

 頭の良さはちょっと常軌を逸してはいるけれども。

 本当に陸が地球外生命体であるということを信じているのかと、自分にも問いかけること度々だが、篠宮はそれは否定しない。

 自分の目で事実と確かめたものに対しては柔軟に対応して行かなければ、この情報の密度は上がらない。

 篠宮はそう思っているからこそ、陸の正体をそういうものだと認めたし、その存在と自分の過去との関連を一旦棚に上げた。

 過去との関連に関しては、彼らが地球外生命体などと言うものを信用するどころか、そんな話を持ち出そうものなら異常者扱いをするような連中であることを知っているから強く疑うことはない。それでも可能勢がゼロにならない限りは保留でしかない。

 しかし、関係性は棚上げとしても、実際に篠宮の居場所を嗅ぎつけたらしい連中を放って置くわけにはいかない。

「おい、新しい依頼をかけていいか?」

「はい! 大丈夫です」

 篠宮が声をかけただけで満面の笑み。

 ご主人様が呼んでくれた! そんなワンコっぷり丸出しで、陸は顔を上げた。

「この三人を調べてくれ」


 大島孝明おおしまたかあき

 大島沙英子おおしまさえこ

 四之宮康成しのみややすなり


 篠宮が刺した被害者

 被害者の娘であり元婚約者

 篠宮の父親


 篠宮が同じ読みで違う漢字をあてているのは、縁を切ると言い出した父親に対するあてつけのようなものだった。

 決して関係者と思われたくない。同じ苗字を名乗っているのも嫌だという父親の言葉に改名はせず漢字だけ変えている。だが、篠宮も戸籍上は四之宮だ。

 指定された三人の名前を聞いて、陸は眉を顰める。

 篠宮の事を調べたと言ったのだから、三人の事は当然知っているのだろう。

「どうして、この人たちを調べるんですか?」

「情報屋は言われた情報を提供するだけでいい。その情報をどうするかは依頼人の勝手だ」

「……」

 先程の嬉しそうな笑顔とは対極を行く、今にも泣きだしそうな顔。

「……苦しくなりませんか?」

「あ?」

「ご主人様はこの人たちの事を知って、苦しくなりませんか?」

 泣きそうな顔は篠宮の為。

「お前はどこまで知ってるんだ?」

「……ご主人様が、この人たちに苦しめられている事は知っています。ご主人様の起こした傷害事件は冤罪で、大島孝明によって仕組まれたこと、しかし、それは弁護士には立証できず刑がついてしまった」

「お前は何故、俺が冤罪だと思う。警察では全く相手にされず、弁護士もそれを争うことはしなかったのに」

「警察の調書記録にありました……あれは発言のすべてが記録されているから……」

「そうか。お前はそれを信じたのか」

 当時、篠宮の勤めていた会社の専務だった大島孝明に呼び出され、社長室に言った時には血まみれで大島は倒れていた。触ってもいない凶器は篠宮の部屋から持ち出された果物ナイフ。状況、凶器、証拠がそろった状態で篠宮の言葉を聞く者はなかった。

「もう一度、このことを調べて、ご主人様は傷つきませんか?」

 心配そうな顔で、泣きそうな顔で、案じるのは篠宮の心情ばかり。

(やっぱり、こいつ犬っぽいな)

 シリアスな陸を他所に、篠宮はそんなことを思っていた。

 苦しくならないかと聞かれたが、今更そんなことで傷つくような玉じゃない。

(いや、違うな……)

 もうずっと苦しみ続けているから、今更現状を知ったところで大した痛みじゃない。

 トラウマになるには十分だった。

 情報さえ通っていれば、人間はこんなにも簡単に陥れられるのだ。

 本人がどんなにやっていないと言っても、情報がそろっているだけで罪は簡単に出来上がる。

「ご主人様……」

 不意に声と同時に髪を触られる。

 驚いて顔を上げると、いつの間に来たのか、陸が隣に立ってそっと篠宮の頭を撫でている。

 柔らかく、そっと気遣うような感触。

「……なんのつもりだ?」

「おれが、してもらって嬉しかったから……」

 篠宮を慰めたい。陸なりに考えた行動なんだろう。

(ご褒美が余程嬉しかったのか)

 悪い心地ではない。ただ気恥ずかしい。

 でも、そんな気恥しさも、陸の真剣な顔を見ていると和らぐようだ。

 こんなことで少し安堵していることを揶揄するような色は微塵もない。

 陸はひたすらに心配で、慰めようとして、これでいいのかわからず戸惑っている。

「俺はご褒美をもらうようなことはしていないぞ」

 そう言って笑うと、陸は顔を真っ赤にして慌てだした。

「ご、ごめんなさいっ! あのっ、お、おれの方が気持ちよかったですっ!」

「じゃあ、ご褒美は前払いしたってことで、あと頼むな」

「はいっ!」

 再び尻尾を振って自分のモニターの前に戻って行く。

(単純だな……)

 裏表がないと思う。それが芝居だとしたら相当なものだ。

 そして、どう見ても単純明快な陸を疑って裏を見てしまうのは篠宮の傷だ。

 地球外生命体はこの目で見れば信じられるのに、自分を慕う子供の心は目で見えないから信じられない。

 その疑い深さが今を築いたのは確か。

 しかし、それ故に益々人から遠ざかっているのも事実。

 表家業のラブホテルにパート1人雇うのにも神経をすり減らしているのが、健全でないのは理解している。

(健全でないが、支障もない)

 それでいいと思っていた。今もまだ思っている。

(こいつだって、いつまでここにいるかはわからない……)

 再びすごい勢いでキーボードを叩きはじめた陸を見て溜息を一つ落とすと、篠宮は自分のなすべきことをなすため電話をかけ始めた。


 沙英子がどうやって篠宮の居所を嗅ぎつけたのかは間もなく分かった。

 先日、篠宮を襲った大木は沙英子の父――大島孝明が雇った探偵だった。

 探偵と言えば聞こえはいいが、ヤクザ絡みのチンピラで、以前篠宮が請け負った組絡みの仕事で事務所に出入りしていたのを覚えていたらしい。

 そして居所のあたりをつけて張り込んだ結果、篠宮を見つけ尾行してホテルの所在を掴んだ。

 ものすごく効率の悪い方法だが、それでも大木は探し当てた。泥臭い方法ではあるが、デジタルだけが全てではないなと改めて思う。

 篠宮は自分の行きつけているBARに大木を呼び出した。

 陸から大木の情報はしっかりもらってある。大木に逆らうとか沈黙するという権利は微塵もなかったが、念のために信頼のおける場所を指定した。

 人払いを頼んでおいたので、店内には篠宮とバーテン以外の人影はない。

「あんた綺麗な顔してる割に、やることえげつないな」

 店に入り、カウンターに座るなり大木はぼやくように言った。

 この間の件のお仕置きの事だろう。

 大木が退散した後、篠宮は大木の出入りの組事務所に大木の不祥事を流した。

 その所為で取引先を一つ失い、しばらく仕事がやりづらくなるのはわかっていた。

「ヤクザ事務所での御用聞きをクビになるより、メインバンクを潰された方が良かったか?」

 口座情報はすでに掴んでいる。それをちょっと警察関係で付き合いのある連中に流せば、たちまち埃を叩きだされて中身ごと失うだろう。

「滅相もない。できればあんたに関わらずに生きていきたいね」

 害意はないことを言外に匂わすが、こいつはすでに大島に篠宮の情報を売っている。

 それも仕事だ。漏れた情報を売られたのは仕方がない。売られるようなものを漏らした篠宮のミスだ。

 だが、それを取り返すには多少のカードが必要だ。

 大島の目的は大よそ察しはつくものの、予想だけでは情報不足だ。

 二度と逮捕された時のような、無様な思いはしたくない。

「まあ、そう言うなよ。探偵さんと俺なら便利なこともあるんじゃないか?」

 篠宮は唇に煙草をくわえたままニッと嗤う。

 大木も言った通り、篠宮は綺麗な顔をしている。決して女性的なわけではないが、切れ長の目に薄いが形の良い唇は人形のように綺麗に整い、一見冷たく見えるがにこっと微笑むだけでそれは魅力的な物に変わる。ほんの僅かに幼さを感じさせる人間味が、人形を血肉の通った肉体に変える。

 篠宮は自分の姿形の利用価値を熟知していた。その笑顔が大木に何を感じさせるかもわかってやっている。笑顔と共にほんの少しカウンターに置かれた手に触れるだけで、ぞわっと背を這うものを感じさせる。

 そんな笑顔に惑わされ、尻の座りの悪い思いをしながら大木は篠宮に問い返す。

「俺に何の用だ?」

 質問に質問で返す。

「大島孝明は俺に何の用だ?」

「……お見通しだとは思ってたが、それを俺が話すと思うか?」

「メインバンクを潰されてぇか?」

「口の悪い美人も嫌いじゃないが、時と場合に寄るな」

「そんな形でも仁義は通すか」

「悪りぃね、これでもそう悪くない金をもらってんだ」

 場末のチンピラに大枚を切ってでも篠宮を探したいという事を匂わす。

 大島は大きな企業の今は副社長の座に居て、調査機関だっていくらでも当てがある。

 それを頼らず、大木のようなチンピラを使うということは表だって動きたくないという事。そして、大金を使うという事は何が何でも探し出したいという事。

 大木が今喋る限界はこんなもんだろう。

 ここから先は篠宮の優先度が大島の支払った金より上がれば口を割る。

 篠宮にとって一番安くて価値のないモノだが、上手くやれば何よりも高値を付けるモノになる。

「報酬なら、無くもない」

 咥えていた煙草を灰皿に押し捻ると、つっと大木の方へ身体を寄せ顔を近づける。

 手を伸ばし、大島の咥えた煙草を指で挟んで唇から取り上げると、そのまま口をふさぐように手で覆った。

「大島の支払った金に見合うもんは奴に渡しただろう?」

 篠宮の情報を、篠宮の居場所を、大木は大島に渡した。

「そっちはそれで精算じゃねぇのか?」

 自分の手にキスするように更に顔を寄せた。

 大木は口をふさがれ返事はできない。

 しかし、口は塞がれたまま、篠宮の肩を抱き寄せるように手を伸ばした――その時。

「ご主人様! 浮気しないでくださいっ!!」

 穴倉のような薄暗いBARに不似合いな男の怒声が響き渡る。

 それと同時に篠宮はすごい勢いで大木から引き離された。

 カウンターの上のグラスも灰皿も座っていたスツールもひっくり返し、気がつけば自分より背の高い男の腕の中に抱きしめられていた。

「お前っ!」

「キスも浮気だと思いますっ!」

 陸の目は大木をじっと睨みつけ、フーフーと肩で息をしながらぎゅっと篠宮を抱きしめている。

「浮気ってなんだよ。俺はお前とデキたつもりはねェ」

 陸の腕を振りほどこうと身を捩るがびくともしない。

 見れば、目の前で固まったようにこちらを見ている大木の身体には黒いロープ――多分陸の触手だろう――が巻きついてスツールに括り付けれている。

「ダメです……」

 更にギュッと抱きしめる腕に力が入る。

「お前も! これ以上ご主人様に付き纏うなら、おれは徹底してお前を排除する」

 固まっていた大木の目に苦々しさが宿る。

「おいおいおい、俺は何もしてねぇよ。お前のご主人様が俺を呼び出したんだ」

「関係ない。これ以上ご主人様に関わるな」

 ギロリと目を眇める。

 こんな風にこいつは執着し興奮するのかと、どこか他人事で眺めながら篠宮は自分を抱きしめている陸の腕をぽんぽんと叩いた。

「分かった。今日は帰る。……あんたも悪かったな。次に仕事で行き合ったら割引料金で聞いてやるよ」

「その時は番犬に首輪を頼むぜ」

 大木が帰ると言うので納得したらしい陸は拘束を解いた。

「次なんかない」

「いい加減にしろ」

「……」

 こちらには納得がいかないようだ。

「帰るぞ」

 今度こそ、陸は腕をほどき、その拘束から逃れた篠宮は陸を振り返ることなく店を出たのだった。


―― 続

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