生と死の夜会 Ⅲ


     Ⅲ


 レストランで慎太郎達と別れた哀川父子おやこは、拓人のジムニーで自宅に向かった。

 拓人は運転しながら、助手席の拓也に言った。

「今夜あたり、地下の康成やすなりさんから連絡が入ると言っていたな」

「うん」

「俺も一緒に話したい。ずっと書斎で起きてるから、康成さんのOKが出たら、すぐ呼んでくれ。おまえの話を聞く限り、康成さんは、生きていた頃の道理を今もわきまえてる。復讐の是非はともかく、もう遠回しに腹を探り合ってる場合じゃない。一度は腹を割って話し合うべき相手だ」

「――うん。頼んでみる」

 拓也は父親の状況判断力に、改めて信頼を覚えた。どんな出来事にも合理的かつ効率的に対処しようとする拓也の行動理念は、明らかに父親から受け継いだものなのである。

 無論、佐伯さえき康成にも、明かしたくない秘密はあるだろう。しかし、公人としてフェアでありたいという康成の言葉は、あくまで本心のはずだ。慎太郎や管生くだしょうに危ない橋を渡ってもらう前に、拓也自身、康成側の事情をできる限り訊いておきたかった。


 帰宅した哀川父子は、シャワーで汗を流した後、里恵さとえを交えて夕餉ゆうげの卓を囲んだ。

 里恵には、蔦沼タワービルがらみの怪事を全く伝えていない。

 だから夫の拓人は、午前中、病院で昏睡中の浅田真弓を里恵と共に見舞って、彼女の母親と話した後、一人でフィールドワークに出かけた事になっている。

 息子の拓也は、いつも通り夏期講習に出た後、図書館で勉強し、父親と連絡を取って同じ車で帰宅――。

 当然、二人とも里恵とは当たり障りのない会話しか交わせず、やや後ろめたい感があったが、現状ではやむをえない。

 食後、拓人はいつものように洗い物を手伝うため里恵と台所に立ち、拓也は自室に引き上げた。

 母親には夏期講習の予習をすると伝えたが、実際にはパソコンのアウトラインエディターを立ち上げ、康成に質問するべき項目を、箇条書きで整理する。答えてくれるかどうかは、また別の問題である。


 十時を回った頃、拓也のパソコンにビデオ通話の着信があった。

『やあ、拓也君』

 浴衣ゆかた姿の佐伯康成が、あの古い市役所職員官舎の居間から笑いかけた。

「今晩は、康成さん」

『勉強中かい? 私だけのんびりくつろいで、申し訳ないね』

 康成の前の座卓には、ビールと枝豆の小皿が並んでいる。

「いえ、今回の件で、色々考えてました」

『そうか。じゃあ今夜は、お互い思うところを忌憚きたんなく話そう』

「その前に、康成さんにお願いがあります」

『ほう、なんだい?』

「父もあなたと話したいそうなんですが、ここに呼んでもいいですか?」

 康成は一瞬意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、

『それはお互い父親同士、私に拒否する権利はない。むしろ私から挨拶あいさつに伺うべきところだ』

「じゃあ、今、呼びます」

 拓也は階下の書斎にいる拓人のパソコンにメールを送った。母の里恵も同じ大学の研究者だから、拓人の隣の書斎でまだ起きている。通話や階段の昇降で、母親に気づかれたくなかった。

 拓人はすぐに二階に上がってきた。

 拓也の横からWEBカメラの画角に入り、

「お久しぶりです、佐伯さん」

『こちらこそ、御無沙汰しておりました。お話するのは小学校の父兄参観以来ですね。お元気そうでなによりです』

「あなたも、お変わりなく――」

 うっかり言いかけて、拓人は口をつぐんだ。相手はあの頃とほとんど変わっていないように見えるだけで、実態は七年前に死んだ遺骸なのである。

 康成は、拓人の戸惑いを気遣うように、

『私も妻子に合わせて齢を重ねたいところなのですが、自分ではどうにもイメージしにくいもので、若輩姿のままで失礼します』

「いえ、こちらこそ失礼しました」

 拓人は気を取り直し、

「今日は息子が危ないところを助けて下すったそうで、心から感謝します」

『いえ、それは拓也君に無理なお願いをした私の責任ですから、こちらこそ重々お詫びいたします』

 はたから見ると、同級生の父兄が普通に挨拶しあっているような様子に、拓也は改めて、両者の大人としての練度を感じた。

 拓也は康成に訊ねた。

「あの自衛隊のヘリコプターは、その後、あのお二人がうまく片付けてくれたんですか?」

『まだ報告待ちだが、彼らに失敗はないと思うよ。何よりあの二人は、過去の自分らの行動を恥じている。自発的に自衛隊を辞し、懺悔ざんげのためにしばしばタワービルを訪れ、我々に見つかってここに招かれてしまうほどにね。ヘリポートの監視カメラは私がうまくつくろったから、飛ばした特殊部隊の連中は、任務を終えたはずのヘリがなぜ方向違いの海上で消息を絶ったのか、今頃は大騒ぎしているだろう』

 今度は拓人が、康成に訊ねた。

「その件で、少々お伺いしたいんですが」

『ほう、なんでしょうか』

「そもそも自衛隊が、あなたのに干渉しようとしたのは、やはりそちらに同居されている、多数の女性や子供さんに関係しているのですか? 少なくともあなた御自身や奥さんと娘さんの件に、自衛隊が関わっているとは思えないのですが」

 康成は、もの問いたげに哀川父子を見つめた後、

『……あなた方は、私が思った以上に、こちらの複雑な状況を御存知なのですね』

「縁あって様々な人々が、この件に深く関わっているものですから」

「そちらのお仲間に、手練てだれの呪術師がいる事は察しておりましたが、それ以外にも?」

「はい。元警官から現役新聞記者の方々まで、職種も年齢も様々な人達が関わっております。かく言う私自身、おそらくあなたが御存知ではない、タワービルの古い地縁を探り当てております」

 康成は、しばし黙考してから口を開いた。

『――どうやら哀川先生とも、腹を割って話し合う時が来たようですね』

「同感です。社会人としても、同い年の子を持つ父親としても」

 拓人は、自室から手にして来た『奥州蔦沼異聞』を卓上に置いた。

 拓也は、あらかじめプリントアウトしておいた疑問点の箇条書きを、卓上に広げた。

 哀川父子と佐伯康成、それぞれが同じ思いを抱いていた。

 今夜は、長い夜になりそうだ――。

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