生と死の夜会 Ⅳ


     Ⅳ


 入院患者の面会時間が終わると、部外者は病院の駐車場に長く留まれない。

 老齢相応に就寝の早い山室やまむろ夫妻、そして徹夜に慣れない斎実ときみは、トビメを連れて百合の旅館に戻る事になった。

 吉田と沢渡さわたりは慎太郎のクルーザーで、裏門に近い民間駐車場の片隅に拠点を移した。

 管生くだしょうは高田明美の病室に忍び込み、万一の事態に備えている。

 沢渡関係の他の面々は、相変わらず病院の周囲を張っているが、元より彼らの車は、目立たないように複数の民間駐車場に散っている。

 午後九時を迎えると、外科棟の四階から七階に至る入院フロアが、一斉に消灯した。廊下やスタッフステーションはフロアの内側に位置するので、外からは見えない。一階にあるICUも同じ条件である。

 やがて午後十時を回ると、まだ明かりの灯っていた診療室も残業を終え、ほとんどが暗くなった。

 徹夜に備えて高カフェインの缶コーヒーを飲みながら、吉田が慎太郎に訊ねた。

「慎太郎君は、徹夜は平気かい?」

「ええ、二晩くらいなら」

「勉強家なんだね」

「いえ、大学絡みで徹夜なんかしません。本家の仕事を手伝う時だけです」

「そうか。やっぱり怪しげなものが出るのは、夜中が多いのか」

「いえ、昼夜は関係ないんですが、関係ないだけに、二十四時間いつ出るか判らないわけで」

「なるほど。確かに私が見た時も、昼夜を選ばなかったな」

「私も一度見てみたいものだ」

 沢渡が話に加わってきた。

「昔、刑事課にいた頃は、徹夜で容疑者を張るのもしょっちゅうだったが、どうせ夜明かしするなら、幽霊相手の方が面白そうだ」

 慎太郎は苦笑して、

「でも犯罪者と違って、姿が曲者くせものですよ。元は人間の形でも、首だけ異様に長かったり、目鼻がなかったり、時にはバラバラだったり」

「それなら吉田君が得意そうだな。俺は交通事故の現場だけは絶対に臨場したくない。『全身を強く打って死亡』が多すぎる」

 慎太郎は、つい沢渡に訊ねた。

「何かの蘊蓄ウンチク本で読んだんですが、ニュースでよく聞く『全身を強く打って死亡』って、というのは本当ですか?」

「一概には言えないが、鉄道や車の事故なら、まずそう思っていいね」

 慎太郎は、訊ねた事を後悔した。

 吉田が沢渡に言った。

「でも刑事課だって、腐乱死体とか白骨死体とか、けっこう扱うじゃないですか」

「滅多になかったよ。それに生前の姿を思えば、皆ちゃんと仏様に見える」

「事故で損壊した御遺体だって同じですよ。直前までは、ちゃんと人として生きてたんですから」

 二人とも達観したプロなのだ、と慎太郎は改めて思った。

 しかし――ならば、動く腐乱死体たちと対等に向き合えるあの哀川拓也という少年は、生まれながらに達観しているのか、あるいは特異すぎる感受性を持ち合わせているのか。


 クルーザーの三人が、手持てもち無沙汰ぶさたに缶コーヒーを飲み続けていると、吉田のスマホに着信があった。東京の兵藤記者からである。

『今、大丈夫ですか、吉田さん』

「ああ。プロの警備の人や慎太郎君と一緒に、外から蔦沼つたぬま病院を見張っているところだ。病院に大きな動きはない。宵の口、死んだ教育長の関係者が高田明美を訪ねてきたが、あくまで浮気の口止めだった」

『なるほど、あちらの家族としては、家長の急逝より世間体の方が大事ってわけですか。まあ、遺産や保険金がたっぷり残るでしょうから、生活には困りませんしね』

「役所のお偉いさんなら、遺族年金も半端じゃないだろう。――で、君の方は?」

『はい。例の片桐澄香の件なんですが、夕方メールした通り、現在銀座でクラブを経営している須田洋子と同一人物で間違いないと思います。ただ、国籍がちょっと問題で』

「国籍?」

『須田洋子は日系ブラジル人なんです』

「国籍を偽ってるんじゃないか?」

『いえ、例の記事を書いた俺の協力者に、入管記録の写しを見せてもらいました。間違いなくブラジル国籍、日系三世のヨウコ・スダです。――バックにどんな大物が控えているにしろ、国籍までいじるのは容易じゃありません』

「そうか――」

 吉田は、少々考え込んだ後、

「そのヨウコ・スダが、日本に入国したのはいつだ?」

『えーと――八年前の四月ですね』

「それからすぐに自分の店を?」

『いえ、数年は麻布や銀座のクラブで修業してます。今のクラブは二年前から』

「なら、結論は一つしかない。あくまで彼女の正体は日系ブラジル人のヨウコ・スダであり、蔦沼で名乗った片桐澄香の方が偽名なんだ。国籍は変えられなくとも、勤務先や現住所ならパトロンの力しだいでいくらでも誤魔化せる。田舎の場末のクラブは履歴書の真偽などチェックしない」

『つまり、バックにいる大物に命じられて、佐伯さえき康成やすなりを陥れるために、蔦沼に送り込まれたと?』

「可能性は高いが、今のところ何とも言えないな」

『解りました。俺は引き続き、そっち方向の調査を続けます。文潮の編集部には、いじめ事件の取材経過だけを適当にまとめて報告しときましたから、明日は、まず洋子ママの周辺を――』

 言いかける兵藤の声に重なって、ドアの開く音が響いた。

 続いて「パパ」と呼ぶ甲高かんだかい子供の声、さらに若い女性の声が「こら、パパのお仕事を邪魔しちゃだめよ」と子供をたしなめる。

『すみません、吉田さん。ちょっと待ってください』

 兵藤の「もうすぐ終わるから、リビングで待っててね」という和やかな声に、吉田は相好そうごうを崩した。

「そうか、今夜は自宅に帰ってるんだね」

『はい、すみません。寝たはずの息子が、いきなり書斎に突撃してきました。息子を追いかけて女房も』

「お子さんは、確か一年生だったね」

『ええ。このところ出張続きだったんで、もう忘れられてるかと思ったら、逆にパンダなみに珍重されてます』

「奥さんサービスも忘れずにな。息子さんに弟か妹を作ってやったらどうだ。君の働きぶりなら、楽勝で養えるだろう」

『女房しだいですね。俺にイクメンは無理ですから』

「ともあれ今夜は、ゆっくりくつろいでくれ。須田洋子の件は、俺から山室さんや哀川さんに連絡しておくよ」

『はい。お願いします』

「じゃあ、奥さんによろしく」

 すると兵藤は、やや悪戯っぽい声で、

『どう伝えればいいんでしょうね。蔦沼のジェームス・ボンドがよろしく言ってたとか?』

「君が雇ってる田舎の興信所職員――そんなところかな」

 双方苦笑して、通話は終わった。

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