生と死の夜会 Ⅱ


     Ⅱ


 慎太郎のFJクルーザーは、蔦沼つたぬま市立中央総合病院の駐車場で、山室やまむろ家のワゴンに合流した。駐車場の目立たない片隅だが、外科棟の正面は見渡せる。

 ワゴンの中には、やはり山室夫妻と吉田の他にも、吉田よりやや年長の男が同乗していた。ありふれた私服姿だが、筋肉質の体躯には、独特の緊張感が漂っている。

 民治老人が、彼を慎太郎と斎実ときみに紹介した。

「セキュリティースタッフの沢渡さわたり君だ。昔から、仕事上のあれこれで世話になってる」

 沢渡は、手にしているタブレットから目を上げ、

「よろしく。一応は警備会社を表看板にしているが、まあ、吉田君の同類だと思ってもらえばいい。ちなみに興信所も兼業してる」

 吉田も同類の微笑を浮かべ、

「この方も、昔は宮城県警にいたんだ。私は交通機動隊の末席、沢渡さんは制圧班長だった」

「君が末席? 暴走族コーキの副総長とか聞いてたがな」

 磊落らいらくに笑う沢渡に、慎太郎と斎実は、レストランで聞いた美津江刀自とじの言葉を思い浮かべた。『マル暴がらみの荒事にも慣れた、武闘派の』――なるほど、鍛えた体も緊張感も、確かに吉田に似ている。

 慎太郎の肩で、管生くだしょうが言った。

「ほう、さしづめ裏の仕事人かよ。公儀隠密よりも頼もしそうだ」

 吉田に管生の言を耳打ちされ、沢渡は失笑した。さすがに式神の姿や声は認識できないが、美津江刀自や御子神みこがみすじが不可視の霊獣を操るという事実は、すでに得心している。

「沢渡さんのお仲間が、あちこちで外来者を見張ってくれてるの」

 美津江刀自が言うと、沢渡は慎太郎たちに、タブレットの画面を示した。

 病院周辺のマップの外壁沿いに、数個の赤い光点が配置されている。よく見れば外科棟のロビー内にも、一つの赤い光がある。

 その時、裏口の光点の横に、ラインのようなテキスト情報が表示された。

 沢渡は言った。

「警察の連中が、裏門から帰って行きました」

 仲間からの連絡も、リアルタイムでタブレットに表示されるらしい。

「早かったわね。まあ、高田さんが医者の話通りの容態か、実地検分に来ただけなんでしょうけど」

 ほどなく、トビメが正面玄関からワゴンに戻ってきた。

 管生の姿を見つけると、嬉しげに慎太郎の肩に駆け上り、管生に鼻をすりよせる。

「こらこらトビメ、仕事の報告が先でしょ」

 美津江刀自にたしなめられ、トビメはきゅんきゅんと病室内の様子を報告した。

 その内容を把握できない吉田と沢渡には、美津江刀自が意訳して伝える。

「予想通りよ。お医者も立ち会って、高田さんに朝からの記憶がないのを確かめたら、すぐ引き上げたって。あちらはかえって安心したでしょうね」

 それから斎実に、

「別口の二人も、そろそろ着くわ。斎実ちゃん、準備しといて」

「はい」

 斎実は瞑目し、精神統一に入った。

 やがて、正門から一台の乗用車が現れ、駐車場の外科棟に近い空きスペースに停車した。

 運転席から降りて来たのは黒いスーツ姿の青年、助手席からは紺スーツの中年女性が降りる。

 外科棟のロビーに向かう二人の姿を、斎実は術師の瞳で凝視し、

「――大丈夫です。弁護士さんと教育長の私設秘書、それで間違いありません」

 美津江刀自は安堵した顔で、

「じゃあ、用件だけ聞けば充分ね。トビメ、悪いけどまた行って来て」

「きゅん!」

 管生が言った。

「俺も行こう。トビメの報告だけでは、吉田が聞き取れまい」

「いや、君はここにいてくれ」

 吉田が言った。

「面会時間が終わるまでは、まだ間がある。他に怪しげな客が来ないとも限らない」

 ICUの溝口みぞぐち寛子ひろこは、終日モニターされているので心配ないが、一般の入院棟は、面会時間内なら誰でも紛れ込める。

 沢渡が言った。

「高田明美の個室の窓に直面するホテルでもあれば、我々の機材で盗聴できるんだが――」

 今時は、遠方からでもガラス越しの音を解析できる技術があるが、病院の周囲には、マンションや一戸建ての住宅と、商店街しかない。


 二人の来客は、面会終了時刻ぎりぎりまで粘り、ようやく帰って行った。

 戻ったトビメの報告も、それなりに長くなる。

「――つまるところ、島崎家の世間体を保つため、高田さんには教育長の愛人だった事実を絶対に口外しないでほしい。そうしてくれるなら口座に五百万振り込む――そんな内緒話ね」

 美津江刀自がトビメの話をまとめると、沢渡は苦笑し、

「興信所として言わせてもらえば、普通なら愛人側が、正妻から浮気の慰謝料を請求されてもおかしくありません。旦那が死んでいても同じ事です。それを逆に、大枚はたいて口止めしようと言うんですから、高田明美が提案を飲んだのは当然でしょう」

「ええ。いかにも渋々OKしてたみたいだけど、彼女の職業柄、そこらへんの立場も慰謝料の相場も、ちゃんと知ってるはず。大事なパトロンが亡くなった今、むしろ渡りに船だったでしょうね」

 吉田もうなずき、

「島崎家の反応の早さは、おそらく蔦沼つたぬま警察が、高田明美の存在をリークしたんでしょう。警察としても、これで高田明美を口封じできる」

「なんにせよ、こちらとしても、ありがたい話だわ」

 美津江刀自はほくそ笑み、

「高田さんは、念のため明日再検査して、記憶以外に異常がなければ明後日には退院する。その前に、うちの旦那から勤め先のクラブの店長に頼んで、こんなふうに連絡させようと思うの。『島崎家の騒ぎが収まるまで店には出ずに、温泉場にでも隠れていてほしい』とかね。この市内じゃ立派な名士、しかも文潮砲の渦中の人が事故死したんだもの、どこかの記者が嗅ぎまわって、愛人関係のスキャンダルを騒ぎ立てないとも限らないでしょ。だから店長が気をまわして、親しい温泉旅館に渡りをつけた――そんな線でどうかしら。そうしてほとぼりが冷めるまで、百合の旅館に逗留とうりゅうしてもらうわけ」

 吉田は数瞬、美津江刀自の話を吟味した後、

「――いけそうですね」

 美津江刀自は沢渡に、

「じゃあ、あなた方は、高田さんが退院して百合の旅館に着くまで、ガードし続けてちょうだい。それ以降も念のため、二三人は旅館に留まってもらえるかしら。他の方々は、引き続き警察と犬木興産の動きを追ってちょうだい」

「了解しました」

 その時、沢渡のタブレットに、回線を盗聴している部下から連絡が入った。

脳溢血のういっけつらしい一般市民が救急搬送されると通報あり』

 やがて病院の裏手からサイレンの音が響いてくると、裏門のメンバーからも連絡が届いた。

『消防の救急車両が救急救命室に向けて裏門を通過』

 美津江刀自が、苦々しげにつぶやいた。

「このあたりには、大きな病院はここだけですものね。まだまだ出入りが続くかもしれないわ」

 慎太郎が言った。

「俺と管生くだしょうも、裏門あたりに残ります」

「いや。俺は高田明美とやらの病室に潜もう」

 管生はにたりと笑い、

「怪しげなやからが現れたら、俺が丸呑みにして、死なない内に慎太郎に届ける――それでよかろう」

 美津江刀自も、管生に負けない黒い笑いを浮かべ、

「そうね。慎太郎君が仕事を終えたら、あんたが食べちゃってちょうだい。後腐れがなくていいわ」

「おうよ。楽しみだ。悪漢ばらはくが煮詰まっておるから、レアステーキより旨い」

 トビメのみならず、美津江刀自と斎実も真顔でうなずく。

 さすがに男衆一同は、それはちょっと、と顔をしかめた。

 沢渡が山室夫妻に言った。

「念を入れるに越した事はないですが、おそらく夜中の襲撃はないでしょう。昼に吉田君が始末した公特の四人が、溝口寛子の祈祷所放火と島崎教育長の事故双方に関わったとすれば、十中八九、そのグループが今回の蔦沼での件を任されています」

 吉田もそれに同調し、

「そうですね。なぜ彼らの報告が途絶えたままなのか、公特の上層部がごうを煮やしている段階かもしれません。とすれば新たな動きに出るのは、何日か後になる」

 しかし管生は、

「それでも俺は、やはり病室に潜む。無駄足なら無駄足でよい。あちこちの隠密が絡んでおる以上、万一がないとは限らぬ」

 千年生きた式神にとっては、戦乱時の斥候など、長期間を費やして徒労に終わった仕事が少なくない。しかし、それが徒労であるか否かは、いくさが終わった後にしか判らないのだ。

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