死者の底流 Ⅸ(前編)


     Ⅸ(前編)


 横島記者は兵藤記者を案内し、銀座のクラブ街の中でもひときわ古い、中層ビルの前に立った。

「ここです」

 周囲の洒落た高層物件に埋もれてしまいそうな、五階建ての雑居ビルである。各階の壁で光っている電飾看板も、妙に古めかしい。

 兵藤は、昭和の高度成長期の邦画を連想した。祖父がレンタルしてくるDVDで、若い頃の石原裕次郎や小林旭が、こんなビルばかり立ち並ぶ銀座を、意気揚々と闊歩かっぽしていた記憶がある。

「見かけはすすけてますが、けっこう由緒正しいビルなんですよ。地下と五階の店なんか、半世紀以上続いてますから」

「いわゆる高級クラブなのかい?」

「いえ、どっちも中級ですね。坪数は建物相応に手狭ですが、常連の年配客が絶えない落ち着いたクラブ、文字通りの老舗しにせです。だからビルのオーナーも、フロアが空いたからといって、のママに貸したりはしません。そこがまた、有力なパトロンの噂に繋がってるわけです」

 横島は、上寄りの電飾看板を指さし、

「で、洋子ママの店は、あの四階に」

「『Southern Wind』――南の風、か」

「一応は会員制の高級クラブですが、キャバクラなみに女の子もいたりする。そこがブラジル風なのかもしれませんね」


 エレベーターの内装は、さすがに高級感があった。

 しかしボタンの反応や移動速度は、昭和相応に緩慢である。

「あの取材が縁で、僕も会員扱いになってますから、予約の電話を入れときました。一流出版社の先輩を接待する――そんな触れこみで」

「しょっちゅう通ってるのかい?」

「いえ、せいぜい月イチです。あそこは座るだけでも二万ですから」

「その分、綺麗どころが選りどり見どりなんだろ?」

 横島は意外そうに、

「そうか。兵藤さんって、マジにクラブ通いしたことがないんですね。昔から愛妻家だったもんなあ」

 茶化す口調ではなく、あくまで感心した顔で、

「ちゃんとしたクラブだと、いわゆるキャバクラとは違って、会員になる時に指名したホステスは、ずっと指名替えできないんですよ。客入りが少ない時は、両手に花やお花畑状態もアリですけど、あくまでメインは同じです」

「へえ。けっこう厳しいんだね。江戸時代の一流遊郭みたいだ。あくまで疑似恋愛の場だから、浮気は御法度ごはっととか」

「でしょう? あくまで大人の憩いの場、遊郭よりも品がいい。五階の老舗あたりだと、八十近い爺さんが五十過ぎのホステスを相手に、しんみり飲んだりしてます」

「ぶらりと飲みに寄って、指名のホステスが休みだったりしたら?」

「そりゃ、もちろん別のホステスが相手します。太客なら、ママが自ら歓待するかもしれません。でも、その時の売り上げは、いつも指名されてるの実績になるんです」

「なるほどねえ」

 言われてみれば、昔読んだ社会派推理小説に、そんなシステムの中で実績を競うホステスたちの、熾烈な女の戦いがあった気がする。美貌のホステスが他店に引き抜かれ、常連の太客たちもごっそり河岸かしを変えてしまい、あちこちで人死にが出る話だった。

「『Southern Wind』もそのですが、接客自体はユルいですよ。たとえばマジな高級クラブだと、客の噂を他の客に漏らしたりは絶対にしません。刑事が聞きこみに来たって,だんまりを決めこむのが鉄則です。でも、あそこは太客の大散財なんか平気で他の客に吹聴したりするし、吹聴された太客も笑って喜んでる。そこもまた南洋風で、キャバクラなんぞ無縁のお偉いさん達には、かえって嬉しいんでしょう」

 緩い店と聞いて、兵藤は訊ねた。

「俺は『週刊文潮』の記者でいいかな。出先の飲み屋でそう名乗ると、周りが妙に硬くなったりするんだが」

「うーん、文潮は近頃、コワモテすぎる気がしますね。客の中にはキャリア組もいたりしますから、やっぱり警戒されちゃうかも」

「じゃあ『週刊近代』にしよう」

「いいですね。あそこは硬派と軟派が半々で、政治ネタも大人しいですから」

 兵藤はどちらにも在籍しているから、けして嘘ではない。複数の名刺があると、こんな時にも重宝する。


 四階でエレベーターを降りると、すぐ先に店の扉があった。

 古風な扉の横に、年配の黒服が控えており、

「いらっしゃいませ、横島様」

「今晩は。ちょっと涼ませてもらいます」

 横島は黒服に、兵藤を紹介した。

「こちら、週刊近代の兵藤さん。僕がフリーになる前、色々教わった大先輩」

「それはそれは、今後ともよろしくお願いします、兵藤様」

「こちらこそ、よろしく」

 黒服が自らノブを回し、扉を開いてくれる。

 そうした応対に慣れない兵藤は、いささか大仰すぎるように思ったが、おそらく全会員の顔を記憶しているプロの黒服であり、会員以外を通さない役目もあるのだろう。

 店内に入ると、洋装の若いホステスが、さっそく横島に近づいて来た。

「いらっしゃい、横島さん!」

「うれしいな、エミちゃん。月イチくらいじゃ、もう忘れられてるかと思った」

「まさか。洋子ママだって、ずっと待ってたのよ。あの記事のおかげで、いいお客さんが増えたって」

「そのわりには、ママさん、奥の紳士にベタベタみたいだけど」

 そんな会話を聞きながら、兵藤は店内の様子を窺った。

 ビルの外観相応、やはり広い店ではない。蔦沼で取材した例のクラブの方が、倍は広かった気がする。しかし内装や調度はさすがに風格があり、暖色系の落ち着いた照明も心地よかった。

 すぐ右手には、バーテンダーが詰めるカウンター状のコーナーがあり、ボトルの種類と数が半端ではなかった。兵藤には一生手の届かない銘柄も多く、客筋の良さが判る。ちなみにカウンター状と言っても、周囲にバーのような一人席があるわけではなく、あくまでオーダーされたカクテルや酒肴をボーイに引き継ぐためのコーナーである。

 その右手の奥は、店の最奥まで続く長いソファーと、それに相対して、個別の肘掛けソファーが三つほど配されている。おそらく団体の客を接待するためのスペースだろう。会社の会合なら、下っ端連中が長椅子に並んで座り、個別の席が上役たち、そんな案配か。

 実際、現在も、見るからに恰幅のいい年配客が三人、それぞれ両脇にホステスをはべらせて個別席に収まっている。その中央、いわば上座に座っている白髪の紳士が最も上役らしく、彼に寄り添っている二人のホステスの内、和服の方が、写真で見た洋子ママらしい。そして、対面の長椅子にずらりと並んだ若い客たちには、限られた数のホステスしか配されておらず、それぞれ両脇の客を同時に接待しているようだ。

 通路を挟んだ店の左側は、個別席のソファーが、奥までずっと並んでいる。空いている席はほとんどなく、満員御礼に近い。

 記者として定量的な把握を心がける兵藤は、現在の客数は長椅子を含めて二十人強と踏んだ。ホステスの数はそれより二三人多いが、ほとんどの客は一人のホステスを相手に、水入らずで大人しく飲んでいる。個々の席の間にはゆったりとした間隔があり、蔦沼のクラブのような雑然とした印象はまったくない。

 強いて言えば、長椅子のあたりに漂う野放図な雰囲気が、横島の言っていたなのだろう。

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