死者の底流 Ⅷ


     Ⅷ


 美津江刀自とじと吉田がレストランの個室から去り、御上みかみ慎太郎と斎実ときみ、そして哀川拓人と拓也の父子おやこが残った。

 トビメは美津江刀自に同行し、管生くだしょうはその場に残っている。

 斎実は、彼女らしくない陰った顔のまま、口を開いた。

「もし、哀川先生がおっしゃるように、平安時代から明治初期までそんな沼が実在し、本当にタワービルの真下にあったなら――今回の佐伯さん一家の事件がなくとも、いずれタワービルは、とてつもないパワースポットになっていたと思います。いい意味でも、悪い意味でも」

 慎太郎は、斎実の煩悶の理由を薄々理解しており、やはり表情を曇らせている。

 拓人と拓也も、混迷する事態を頭の中で消化できず、複雑な心境が顔に出ている。

 管生だけが、いつもの何事にも動じない飄逸ひょういつな顔で、レアステーキを食いちぎり、ワインを楽しんでいた。

「Aランクの霜降り肉と美酒を前に、皆、景気の悪い顔をするでない。大丈夫だ。斎実の野放図な力と美津江の老獪ろうかいさ、美津江の旦那の金と吉田の人脈、哀川教授の知識と拓也の底力、慎一じいさんにも勝る慎太郎の霊道行たまのみちゆき――その上、トビメと俺がいるのだぞ」

 言いながら、自分の体の倍はある残りの肉を、ぺろりと呑んでみせる。

「まあ、別に俺一匹でも、大概の敵は躍り食いにしてみせるがな」

 実際、呑んだ肉の形に膨れあがった管生の滑稽な姿は、たちまち普段のオコジョ姿にしぼむのである。

 斎実の強張った頬が、さすがに緩んだ。

 他の一同も、やや肩の力が抜ける。

 慎太郎が言った。

「お前が分身の術でも使えれば、万事解決かもな」

「少し待て。もう百年も修行すれば、分裂増殖できるかもしれぬ」

 斎実が言った。

「トビメちゃんと子作りしたら、すぐに鼠算ねずみざん式で日本中に増えるよ」

 管生は斎実に目を流し、

「よし、その顔だ。いつもの斎実に戻った」

 そのための軽口だったらしい。

 拓人と拓也も、自然、緊張を解く。

「――じゃあ、本題に入ります」

 斎実は苦笑しながら一同を見渡し、まず、拓人に訊ねた。

「哀川先生は、水子の祟りで母親が不幸になるとか、信じますか? 自称霊能者だけじゃなく、ちゃんとしたお坊さんまで口にしますよね、水子供養とか」

「正直、私は信じないね。いわゆる幽霊らしいもの――君たちの言う『はくこごり』は何度か見かけたが、赤ん坊のそれは、一度も見たことがない」

 斎実は頬笑んでうなずいた。

「私も見たことありません。でも、良心的な占い師やお坊さんが水子供養を勧めるのは、中絶や流産で悩む女性に対する一種のセラピーとして効果的だと思いますし、場合によっては御子神うちでも勧めます。でも、霊感商法の詐欺師が、それを連発して稼いでいるのを見ると腹が立ちますし、あんまり目に余る時は、こっそりいさめたりもします」

 管生がほくそ笑み、

「まあ、腹の奥を軽く囓ってやるくらいだがな、死なない程度に」

 斎実は、管生の頭を指先でつつき、

「ちょっと黙ってて」

「外の俺は、言いたいことを言う。なれど絶対に嘘は言わぬ。黙って欲しくば、くだの中に戻せばよかろう」

 斎実と慎太郎は、苦笑するしかなかった。

 斎実は哀川親子に向き直り、

「そもそも生まれる前の赤ん坊に、誰かに対する恨み辛みなんて無いんです。無理矢理外に出されて苦痛を感じながら逝ったりすれば、それは当然、まっさらのこんと同じほどの大きなはくが残ります。でも、それはやっぱりですから、なんの障りも無く、地に沈みます」

 拓人と拓也も、それにうなずく。

「もし、当時の溝口さんのご先祖様に、まだお母さんのおなかの中にいる赤ちゃんを直接どうにかする力があったとしても、赤ちゃんがはくを残さないまま息絶えるわけではありません。物理的な痛みを感じなくとも、まっさらのこんと同じだけのはく――この世界に生まれ出るという本来のこんの力を、全否定するだけのはくが残ります。これは人工中絶でも流産でも、まったく同じ事なんです」

 再びうなずく哀川親子に、

「つまり、私の推測だと――」

 斎実は、努めて冷静に言った。

「蔦沼タワービルの地下には、まっさらなこんとまっさらなはくが、ほとんど同じだけ封じられていたことになります」

 拓也が、生来の冷静さで訊ねた。

「犬木興産の連中が、今年の夏にあの扉の呪符を破ったとしたら、こんはもう天に上り、はくだけが地下に残っているわけですか?」

 それに答えたのは、管生だった。

「そう簡単な話ではない。実体を失った限りない数のこんはくが、下手をすれば千年も、そこに封じられて煮詰まっていたのだぞ。それも、ほとんどが外界を知らぬ、知恵も理屈もない赤子の魂魄こんぱく――」

 管生は、もう笑うしかない、そんな顔で、

「拓也、それがどんな代物になっておるか、おぬしのような秀才だって見当もつくまい。千年生きた俺にだって、ちっともわからぬ」

 沈黙する拓也に、管生は、くつくつと声にして笑いながら、

「まあ、味見しろと言われれば、呑めるだけは呑んで見せるがな」

 慎太郎は、黙って何事か考え込んでいる。

「慎兄ちゃん、どうしたの?」

「あ、いや。――俺も一度、佐伯康成という人に、直接会ってみたいと思ってさ。管生も一緒にな」

 一同は揃って怪訝けげんな顔をしたが、管生だけは、にやりと口の端を上げ、

「もしや、生けるしかばねの記憶に入ろうと言うのか?」

「できるものならな」

 慎太郎は、拓也に訊ねた。

「君が昨日、佐伯康成の家で見かけた死骸の中に、今日見かけた康成の手駒二人も、確かにいたわけだよね」

「はい」

「だったら、その二人をあそこに引きずり込んだのも、佐伯康成じゃないかな。封印が解かれた後に」

「はい、たぶん」

「つまり佐伯康成は、今回の一連の謎の、繋がりを知ってるはずだ。自分と家族の復讐だけなら、自衛隊に手を出す理由がない。その二人が言っていた『あの子たちの話』、それが引きずり込んだ理由だと思う。おそらく、五年前に捨てられた子供たちの話だろう」

「はい。――ただ、全部知っているわけじゃないと思います。坂本記者のパソコンが動いたら、まだまだ調べたい事があると言ってましたから」

「とりあえず何をどこまで知っているか、記憶を読めばはっきりする」

「はい」

 管生は興味津々しんしんの顔で、

「よかろう。死人の記憶に入ったら、こっちがどうなるか見当もつかぬが、そこが面白い。最悪でも黄泉よみに落ちるだけ、折があったら付き合うぞ」

 斎実が、管生の首をひねり上げた。

「やめな」

 斎実はすぐに手を離したが、けっこうな力で捻ったらしく、管生はけほけほと咳込みながら、

「……慎太郎、やっぱりやめておこう。化け物と相打ちなら諦めもつくが、斎実に絞め殺されては間尺に合わぬ」

 斎実は厳しい顔で、慎太郎に言った。

「ちゃんと生きてる怪しげな連中が、まだまだいるでしょ。ここの市長とか、兵藤さんの調べによっちゃ、あっちの片桐澄香とかも」

 正論である。慎太郎も管生も、納得するしかない。

「まあ、まずは地道に働くとするか」

 気を変えた管生は、拓也を見据えて言った。

「それにしても、おぬし、やはり大した器量ぞ。そんな得体の知れぬ地の底に引きずり込まれながら、死骸どもの顔を、しっかり覚えておるとはな。俺が教育長の部屋で見た、袋詰めの女子供の顔も、きっと見ておろう」

「はい、たぶん。――ただ、数はもっと多かったはずです。全部で四十人近くいた中の、半分は女性や子供でしたから」

「……そこまでは聞きたくなかった」

 管生は、げんなりした顔になって、

「なあ、拓也。おぬし、物覚えが良すぎるぞ」

 その時、斎実がつぶやいた。

「――ちょっと待って」

 それから慎太郎と管生に、

「五年前、あそこに投げ込まれた人たちって、もうみんな生きていなかったんだよね」

 管生は慎太郎と顔を見合わせ、

「――あんな箱や袋の中では、一人も生きておられまいな。あの娘の顔など、全く死相であったし」

「ああ。そもそも科警研から運びだしたとしたら、その時点で検死対象だったはずだ」

「だったら、タワービルの底で蘇ったとしても、その人たちの記憶が残ってるはずはないのよ。当人のこんはくは、とっくに抜けてるんだから」

 斎実の言に、管生と慎太郎は不承不承うなずいた。

「お説、ごもっとも。死んだその場で術師が封印したなら別だが、あれらの箱に、そんな気配はなかった」

「つまり佐伯親子以外にも、生きたままあそこに葬られた人々が、まだまだ存在する――その内何人かは、自衛隊員の手で?」

「そう考えるしかないですね」

 拓也もうなずいて言った。

「康成さんと一緒にいた二人が、このあたりの駐屯地の所属なら、非番の日とか、見物や買い物でタワービルに立ち寄ってもおかしくない。それを康成さんが、あそこに引きずり込んだ――」

 あるいは犠牲者たちが、自ら手を下したのかもしれない。いずれにせよ、自分が殺してしまった男もそんな隊員の仲間だったとすれば、割り切るよすがにはなる。

「やれやれ、探偵仕事が増える一方ぞ」

 管生は、やけくそのようにかぶりを振り、

「今のうちに、せいぜい精を付けておかねば。――斎実、ステーキを頼んでくれ。もう五人前、いや十人前、血が滲むようなレアでな」

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