闇への供物 Ⅲ


     Ⅲ


 拓也がエレベーターに乗りこんだ、ほぼ同時刻――。

 吉田たちは『奥羽青年の森』で、キャンプサイトの駐車場から宿泊研修施設を見張り続けていた。

 蔦沼つたぬま市教の教育長・島崎壮輔そうすけは、午前九時には公用車で到着し、屋内外の視察を済ませている。常に施設の職員が行動を共にしているので、慎太郎と斎実が接触する機会はなかったが、それは想定内であり、刑事物のドラマのように根気よく張り込みを続けるしかない。

 正午を過ぎ、島崎教育長と案内役の職員たちは、施設内に戻っていった。

管生くだしょう君だけ、中に忍びこんでもらおうか」

 吉田が言った。

「教育長の午後の予定が知りたい。昼食の歓談中なら、一度は話題に上がるはずだ」

「そうですね。――おい、管生」

「合点!」

 管生は退屈していたらしく、張り切って飛び出した。こうした敵陣の斥候も、式神にとっては重要な職務である。まして今回の敵の本陣は、大量の兵糧を備蓄している。つまり思うさま盗み食いできる。

 管生がちょろちょろと施設の裏手に回るのを見届け、車内に残った三人は、軽い昼食を摂った。

 そして午後一時半を回った頃、

「――おや?」

 施設に続く山道を上ってくる車に気づき、吉田が言った。

「ずいぶん妙な車が現れたぞ」

 今は吉田が運転席に座り、双眼鏡を覗いている。朝は慎太郎が運転して来たので、ここから先は吉田が代わる予定だった。

 助手席の慎太郎も双眼鏡を向け、

「ワインレッドのポルシェ――いかにも六本木のクラブあたりに乗りつけそうな車ですね。ドラマや映画でしか見たことありませんけど」

 見るからに場違いなポルシェ・ケイマンSは、そのまま研修施設の車寄せに停まった。

 降り立ったドライバーを見て、リアシートの斎実ときみが感嘆した。

「うわ……」

 いわゆるワンレン・ボディコンの若い女性で、コスチュームの色は車に合わせたワインレッドである。

「……なんか、お立ち台で踊りまくってそうな人。あれ、絶対、同じ色のTバックはいてるよね」

 斎実自身、はたから見れば、そんな衣裳が似合いそうな容姿ではあるのだが、根が出雲生まれの拝み屋育ち、超ミニのボディコンを見ただけで頬を赤らめている。

 研修施設の玄関から、島崎教育長が現れた。その都会風の若い美女を助手席に乗せて、自ら運転席に収まる。見送っている施設の職員たちも、とくに見とがめる気配はない。ここまで乗ってきた公用車は、市教の契約運転手が一人で運転して帰るらしい。

 それら一団の足元から、管生が顔を出した。

 管生は、キャンプサイトのクルーザーへと飛ぶように駆け戻り、

「いやはや、あの旦那だんな、すがすがしいほどの俗物ぞ。午後からは若いめかけと岩手の温泉に一泊、明日はあの研修所長もいっしょになってゴルフ三昧ざんまいだそうだ。どちらも公費で懐は痛まぬとさ」

「……真面目に働いてるこっちがアホみたい」

 斎実が思わずぼやいた。

 一般に宗教法人は、坊主丸儲けの気楽な稼業と思われがちだが、御子神みこがみ本家のように公明正大な申告を心がける場合、非課税なのはやしろの賽銭と、祈祷で得られる玉串料や初穂料くらいのものである。社とその敷地に対する税もかからないが、隣接する屋敷、つまり自宅の固定資産税はしっかり払っているし、自宅の維持費や私的な旅行費用を、法人の経費で落としたりはしない。

「あたしが正式に『御子神斎女ときめ』を継いだら、脱税して遊びまくってやるんだ」

 慎太郎は、おいおい、とたしなめ、

「相手が札付きの税金泥棒なら、かえって気が楽じゃないか。遠慮なく悪事を掘り起こしてやればいい」

 吉田もうなずき、

「浮気旅行や接待ゴルフなら、妙な連中の邪魔も入らないだろうしな。楽な仕事になりそうだ」

 ワインレッドのポルシェは、車寄せから観光道路に向けて、スムーズに弧を描きながら急加速した。島崎教育長は、明らかに運転に慣れている。

「ああなると、税金泥棒も超一流ですね」

 呆れた顔で言う慎太郎に、吉田も苦笑してうなずいた。

 斎実は言葉の意味がつかめず、

「それって、どういうこと?」

「愛人に買ってやったクセのあるスポーツカーを、自分でもしょっちゅう転がしてるってことさ。つまり年がら年中、愛人とドライブしてる」

「……クーちゃん、あの車、今すぐ丸呑みにしちゃって」

「今の俺は、おぬしのクーちゃんではない。慎太郎の管生ぞ。まだ共有財産になっておらぬ」

「ちっ」

 斎実は大袈裟に舌打ちしてみせた。半分は冗談だろうが、半分は本気で教育長に引導を渡したい顔だった。

 ポルシェは観光道路を北に上り始めた。来た道とは逆方向、岩手との県境に向かっている。

 峠道で勾配が増すため、ここから先はカーブが折り重なるが、一本道なので見失う心配はない。

 かなりの間を置いて、吉田はFJクルーザーを発進させた。

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