北帰行 Ⅲ


     Ⅲ


 結局、斎実ときみが夏休みに入った翌日、朝一で出雲空港から羽田空港に飛び、羽田発の最終便で峰館空港に向かうことになった。

 本来の用件は翌々日に回し、どこかで一泊しなければならない。

 幸い、全国的に名の通った温泉場の、一流老舗旅館に予約が取れた。

 その温泉を選んだのも、斎実の希望である。大正ロマン溢れる東北の温泉街の評判が、山陰まで届いていたからだ。

 夏の旅行シーズンが始まっていたにも関わらず、直前に老舗旅館の予約が取れたのは、祖母の斎子が、入院先の病床から人脈を駆使した結果らしかった。

 

 そして旅の初日――。

 すでに夜の九時を回った頃、予約した宿の駐車場にレンタカーを停める。

 駐車場は温泉街よりもかなり手前にあり、そこから連絡すれば送迎車を回すとの話だったが、せいぜい数百メートル先らしいので、慎太郎と斎実は徒歩で宿に向かった。

 ほどなく、観光ポスターや旅番組で見かけるとおりの、温泉街が現れた。古風な橋の掛かる細い川を挟んで、古風なりに贅を尽くした旅館が立ち並び、川沿いに続くガス燈と宿々の燈火が、夜の川面に連綿と揺れている。

 奥出雲の鄙びた里山歩きに慣れた慎太郎は、まさに大正ロマンを絵に描いたような美景に、一種の気恥ずかしさを覚えた。

「……これは、ちょっと出来過ぎなんじゃないか?」

 確かに大正ロマンの現物も残っているようだが、近年に施されたレトロ調の演出の方が目立つ。そもそも大正時代、こんな山奥の温泉場にガス燈は立ち並んでいないだろう。

 しかし斎実は、少女漫画の主人公さながら、瞳に無数の星を浮かべて、

「……これが見たかったんだよ。ほんと、千と千尋みたい」

 確かにジブリ方向のノスタルジックな温泉夜景には、今どきの女子高生も感動するだろう。

「まあ、この温泉に泊まりたいのは、まだわかるんだが……」

 しかし昼の東京見物コースは、慎太郎の腑に落ちなかった。

「真っ先に皇居、それから靖国神社、おまけに渋谷も原宿もスルーして、明治神宮に直行ってのはなあ」

「なにをおっしゃるウサギさん。みんな我が家の商売仲間なんだから、いっぺんは仁義を通しとかないと。あたしなんか高校卒業したら、うちの看板、継がなきゃいけないんだからね」

 御子神みこがみ斎女ときめの名跡は、成人と同時に継承される。法的な成人年齢が定められていない時代は、公家や武家に倣って、早々と十三歳には継いでいたらしい。明治時代以降、斎江ときえまでの六代は二十歳で継いだ。次の斎実からは、法改正に従って十八歳に若返ることになる。無論いつの時代も、実質的な仕事は、その時々の女系一同が協力して担うのである。

「それに慎兄ちゃんだって、きっちり縁があるわけでしょ。ちゃんと挨拶しとかなきゃ」

「皇室神道も国家神道も、うちの商売仲間じゃない。まつる相手が全然違う」

八百万やおよろずの神様の中から、どれを選んだって同業者だよ。アマテラス様だってヒミコ様だって女なんだから、代々女が継いでるうちのほうが正統派かもしれないでしょ」

 いや違う。確かに御上家のルーツは平安時代まで遡れるが、むしろ朝廷に征伐された東北の蝦夷えみしに属する土俗的シャーマニズムの系譜――などと、慎太郎らしい学究的な解釈を、斎実に説いても仕方がない。斎実は確かに巫女シャーマンとして秀でてはいるが、それはあくまで血筋が受け継いできた特殊な感応力であって、それ以外は、ただの陽気な肉食系女子である。

「……ま、いいか。自信はないよりあったほうがいいしな」

「そうそう。靖国も我が家もイワシの頭も、みんな仲良く同業者!」

 いや、それも違う――いや、違わないのかもしれない。

 節分になるといわしの頭をひいらぎの枝に刺して玄関に飾る家が、二十一世紀になっても未だに残っている。家族揃って恵方巻きを頬ばる家は、なぜか増える一方だ。節分は仏教も神道も無関係の風習なのに、仏壇や神棚の同類と心得ている家も多い。

「……ま、いいか」

 どのみちすべての宗教は、信じる者の心一つ。

 創造主系の様々な古代ファンタジーにしろ、お釈迦様本人の哲学を好き勝手にアレンジしながら分離増殖した仏教各宗派にしろ、そのどれもが、信じる者にとっては大宇宙の真理に他ならないのである。

 御上みかみ家が細々と市井に及ぼす確かな現世利益にしろ、信じない相手から見れば、偶発的な幸運の集積にすぎないのだろう。

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