北帰行 Ⅱ


     Ⅱ


 平凡な社会常識に従って考えれば、御上みかみ家のように特殊かつ古色蒼然とした稼業は、二代前で途切れてもおかしくなかった。

 実際、いかにも旧家らしく間取りの多いこの屋敷も、二代前の姉弟、つまり斎実の祖母と慎太郎の祖父が生まれ育った頃は、丘の麓のちっぽけな田舎家にすぎなかったと聞く。分家と呼ばれる家系が生じたのは、慎太郎の祖父である御上慎一が、地方公務員の正職を得て妻帯し、町中まちなかに家を構えてからだった。

 宗教法人『御子神みこがみ斎女ときめ』――昭和二十六年に宗教法人法が成立して以来、それが御上本家の正式な登記名称である。各地の神社仏閣同様、立派な宗教法人なのだが、正確に言えばあくまで単立宗教法人――神社本庁にも仏教の各宗派にも属さない、いわば市井の『拝み屋』である。

 同時に『御子神斎女』は、代々の女当主が継いでいる一種の名跡でもあった。歌舞伎の市川團十郎が、江戸時代から現在まで十何人いるのと同じことである。ただし歌舞伎役者とは違い、現在の御子神斎女が何代目なのか、残念ながら判然としない。平安時代、初代の斎女が遙か陸奥みちのくの地で活動開始したと伝わっているだけで、家系図はおろか神事の詳細そのものも、口伝でしか継承されない仕来しきたりなのである。とりあえず存命中の三人に限れば、斎実の祖母・御上斎子ときこが先代の御子神斎女、母の斎江ときえが当代の御子神斎女、斎実ときみ本人は次代の御子神斎女候補、そんな流れになる。

 江戸時代、斎子の四代前までは、奥羽山脈を望む北国の峰館みねだて市で、イタコの類に紛れていたらしい。しかし、その地では異端に属する西日本的な流儀が仲間から疎まれ、明治期、曾祖母の代に意を決して南下、流浪の末にこの出雲の地に流れ着き、以来、細々と独自の女性神事を継承している。そして男系の分家も、時として神事の一端を担う。

 家系が長い分、稼業の流儀も実に古い。密教と神道が混淆していた中世の色を、そのまま残している。代々の御子神斎女も、あえて時代の変化には迎合しない性格だった。

 無論、中世から近世、そして現代へと続く歴史の流れの中で、社会的な立場は千変万化したはずだ。精霊の存在や呪術の力が一般常識に組み込まれていた社会と、文明開化後の社会では、そうした稼業の立ち位置がまったく違う。実業から虚業に変わったといっても過言ではない。

 慎太郎が思うに、御上家の場合、せいぜい三世代の巫女みこだけで最小規模の家族営業を続けていたからこそ、明治以降も、市井の片隅で存続できたのである。個人営業の占い師と同様、単なる身の上相談で片づくセラピスト的な賃仕事がほとんどだが、一家の衣食住は充分にまかなえる。マルチ商法的な大手の宗教とは違い、ありもしない幻想を恒久的に量販し続ける気苦労がない。

 それでも、先代の斎子が御子神斎女の看板を背負った昭和四十年には、せいぜい数十人だった地元の信者――御上家では神道に習って氏子と呼んでいる――が、令和四年の現在は、すでに三百人を超えていた。

 マスコミやネットでの露出は御法度の家風なのに、そこまで規模が膨らんだのには、いくつかの要因が考えられる。第一に、出雲では地方名士に属する一族が『御子神斎女』の霊験に惚れこんで、代々、登記上の法人役員を買って出てくれた。また、彼らの口利きで『御子神斎女』を頼ってきた人々が、高評価の噂話を近隣に広めてくれた。さらに、科学文明が発達すればするほどスピリチュアルな世界に惹かれる者が増えるという、昭和以来の社会的傾向も大いに加担したはずだ。

 今以上に拡大してはいけない、と慎太郎は思う。

 大手の宗教法人にありがちな、内紛や分裂騒動を心配しているわけではない。これ以上のペースで氏子が増えたら、今まで市井の口コミにとどまっていた評判が、いずれSNS等に流れ、拡散するのは目に見えている。そうなれば、新奇な情報を鵜の目鷹の目で探し回っているマスメディアが、嬉々として食いついてくるだろう。

 そうなった時、単立宗教法人『御子神斎女』の真の力を、どこまで隠しきれるか。

 現代の加速する科学文明の中で、世界三大宗教やその類似組織が今も巨大な商圏を保っていられるのは、古代から頒布し続ける商品が、ありもしない幻想イリュージョンだからこそなのだ。ありえない奇跡を起こす太古の神々は、しょせん見果てぬ夢だからこそ、現実だけでは生きていけない多くの人々に、果てしなく夢見られ続ける。

 しかし御上家の女たちには、実際に超自然的な力がある。精神集中によって他人の心を文字どおり外から覗けるし、時と場合によっては、禍事まがごとを祓うために平安以来の式神さえ操る。そんな大時代的な実態を知ったら、当節のマスメディアは、御上家をどう扱うだろう。巧みなイリュージョニスト一家として面白半分に消費するか、あるいは悪質な詐欺一家として糾弾するか。

 いずれにせよ、これ以上目立ってはいけない――。

 慎太郎の草食的な本能は、そう告げていた。

 だからこそ、斎実と自分の血を混じらせたくない。

 女系がコンスタントに継承する平安以来の超自然的資質だけなら、まだいい。稀にしか発現しない分、さらに度を過ごした男系の資質が問題なのだ。慎太郎がその気になれば、他人の記憶そのものに侵入できる。あまつさえ、式神を使って、その記憶を部分的に葬ることができる。

 一例を挙げれば、一昨年、極度のマリッジ・ブルーで鬱病を患ってしまった結婚前の娘をなんとか治せないかと、氏子の熟年夫婦が本家に相談してきた。しかし、本家の誰にも原因が読みとれない。そこで慎太郎が、老いた祖父に代わって女性の記憶に侵入し、彼女が自ら封印していた幼時の性被害の記憶を探し当て、その部分だけ消し去って心を癒やした。

 仮にその力を悪用すれば、正常な人間の記憶を壊して、狂わせることも可能だろう。無論、地道な民俗学者を志望する慎太郎に、そんな悪気は毛頭ない。同じ力を持っていた祖父も、真面目一方の地方公務員にふさわしく、内緒の副業も真面目一方にこなしてきた。

 しかし――せっかく女系と男系に分岐した家系をわざわざ再統合し、万一、双方の資質を持ち合わせた子孫が誕生したら――あまつさえ、それが斎実のように蠱惑的な容姿を備えた娘で、しかも斎実譲りの短絡的かつ負けず嫌いな性格だったりしたら――現に斎実は、校内の多くの男子のみならず、男性教師さえ顎で使っていると聞く。

 ちなみに、先に例にあげた慎太郎の仕事の数日後、何食わぬ顔で小学校の校長に出世していた一人の変態教師が、夜道で正体不明の野獣に股間を食いちぎられ、瀕死の重症を負った。まさか当代の御子神斎女――天然系で大らかな伯従母いとこおばの仕業ではなかろうが、慎太郎としては、先代の伯祖母おおおばあたりが久々に猛女ぶりを発揮した可能性を捨てきれない。

 伯祖母おおおばの斎子は、彼女の先々代が亡くなった後に名跡を継ぎ、先代の母親も早世してしまったため、孤軍奮闘する時期が長かった。そのせいか昔から勝ち気で、老いても気性が丸くならない。そして斎実の性格は、明らかに母の斎江より、祖母の斎子に似ている。

 草食系の慎太郎にしろ、この国に根強くはびこる過剰な加害者権利保護の風潮に、けしてくみしたいわけではない。それでも将来、肉食系の魔法少女が貪欲な使い魔を従えて、犯罪者を片端から始末するような社会は、できれば想像したくなかった。

 まして、それが自分の実の娘だとしたら――考えるだに恐ろしい。

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