北帰行 Ⅳ
Ⅳ
予約した旅館は、堂々たる木造三階建ての日本建築だった。正面玄関も手抜きなしの宮造りである。ただ、さほど古い建物ではないらしく、館内の造作は外人客でも馴染めそうな和洋折衷の風合いだった。
和服姿の若い仲居が、さっそく足元にスリッパを用意して、二人の手荷物を受け取ろうとする。
帳場ともフロントともつかぬ受付で、番頭らしい初老の男に予約を確認し、宿帳もその場で記入する。
記入している間、番頭がどこかに電話を入れると、帳場の奥の
「当館の女将でございます。ようこそいらっしゃいませ、
女将自らの先導で、仲居を従え案内されたのは、三階の最奥の一室だった。
そこまでの部屋とは、明らかに扉の間隔が違う。つまり格段に広い部屋らしい。
「こちらがご予約いただいた、
堂々たる名称にふさわしく、渋い鳳凰の木彫が施された引き戸を開けると、横三畳ほどもある板の間の奥に、やはり鳳凰の日本画が描かれた華麗な
女将は板の間にひざまずいて、しとやかに襖を開き、
「どうぞ、おくつろぎください」
中を覗いて、慎太郎は立ちすくんでしまった。
黒檀らしい重厚な座卓を中心とする広々とした日本座敷と、やはり広々とした木目のフローリングの洋間が、
「……おお、ゴージャス」
感嘆する斎実に、
「以前、宮様もお泊まりになったお部屋なんですよ」
女将が頬笑んで言った。
「外の小庭の横手には、専用の露天風呂もございます。外から見えないように工夫してありますから、よろしかったら、お二人で」
そうしようそうしよう、と言うように、斎実が慎太郎の腕を引いた。
慎太郎はあわてて振り払い、女将に訴えた。
「二部屋、別々に頼んだはずなんですが」
「あら、
それは本家の陰謀だ――慎太郎は思わず叫びそうになった。しかし旅館の女将に抗議しても仕方がない。
「とにかく、もう一部屋お願いします。そっちは俺が払いますから」
「あい済みません。今夜は他に空いている部屋がなくて」
「寝られればどこでもいいんです。蒲団部屋でも物置でも」
「それでしたら――こちらでお休みになれば」
女将は、板の間の横手の奥に、慎太郎を導いた。
洗面所やトイレではなさそうな、そこそこ立派な扉がある。
これほどの客室になると、専用の蒲団部屋や物置が付属しているのか――。
感心する慎太郎に、女将が扉を開いて言った。
「お付きの方々がお泊まりになる、別の間でございます」
「お付きの方々?」
「ええ。宮様なら侍従の方々、外国の王族なら召使いの方々、そんなところですわね」
メインの客室に比べれば四半分もないが、確かに数人くらいは詰められそうな和室で、扉の内鍵もちゃんとある。
慎太郎は安堵して、
「上等です。俺の蒲団は、こっちにお願いします」
「承知いたしました」
斎実は、あからさまに「ちっ」と言うような顔をしている。
若い仲居が訊ねた。
「ご夕食も、それぞれにお運びしますか?」
すでに夕食と言うより、夜食の時刻である。
斎実は、はいはいと元気よく手を上げて、
「二人分まとめて、あっちのテーブルにお願いします!」
差し向かいの晩餐だけは譲れない、そんな意気ごみだった。
女将は苦笑しながら、それでいいですか、と、目顔で慎太郎に訊ねた。
慎太郎は妥協してうなずいた。
斎実が嬉しそうに言い添えた。
「あと、お銚子もお願いします。とりあえず
「おまえは未成年だろう」
「慎兄ちゃんが飲むでしょ?」
確かに慎太郎は日本酒を好む。当節の若者には珍しく、夏でも熱燗を欠かさない。しかし今夜は旅の疲れがある。うっかり酔いつぶれでもしたら、斎実に露天風呂へ引きずりこまれかねない。
「辛口はお好みですか?」
「はい。甘口は苦手で」
「でしたら、本当においしい地酒がありますよ」
女将は自身満々の顔だった。確かにこのあたりは、東北でも有数の酒所である。
まだ迷っている慎太郎に、斎実が畳みかけた。
「安心して飲んでいいよ。あたしは召使いにアルハラもセクハラもしないから」
「……どこの女王様だ、おまえは」
女将と若い仲居は、息の合った漫才でも見るように、くすくす笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます