炎上の街 Ⅵ


     Ⅵ


 兵藤と別れた拓也は、蔦沼市教育委員会のロビーに入った。

 市役所のロビーを縮小したようなフロアに、数列のソファーが並んでいる。

 受付の女性職員に用件を告げてバックパックを預けると、そのソファーで予定時刻を待つように言われ、拓也は直近の席に向かった。

「こんにちは、哀川君」

 中ほどのソファーから、耳慣れた少女の声がかかる。

 顔を向けると、かつての同級生、麻田真弓が頬笑んでいた。

「久しぶり、麻田さん」

 拓也が生徒会長の時に副会長を務め、女子の中では最も親しかった相手である。定期テストの学年順位は拓也と抜きつ抜かれつで――多くの場合、拓也自身がセーブしていたのだが――部活では新体操部のエースとして常に全校の注目を浴びており、未だに男尊女卑の気風が残る土地柄でなければ、彼女が生徒会長になっただろう。卒業後は、拓也の男子高と肩を並べる偏差値の、県立女子高に進学している。やはり校則が厳しいのか、白いブラウスの胸には校章の刺繍ししゅうがあった。

「哀川君も十時半から?」

 アイドル雑誌の表紙を飾ってもおかしくない微笑だが、直前まで緊張していたらしく、その堅さが残っている。

「麻田さんも同じ? 個別に聴聞ヒアリングするって聞いてたけど」

「男女の担当者が違うんですって」

 真弓の顔が、さらに堅くなった。

「たぶん……あの動画の話も、何か訊かれるんじゃないかな」

「ああ、なるほど……」

 確かに男性職員が、女子に聴聞できる性質の話題ではない。

 あの動画――いじめ現場の動画がネットに流出したのは、先月、週間文潮に告発記事が掲載された直後のことである。

 去年の冬に、拓也たち数人が犬木茉莉から誤送信されたメールの添付写真は、おそらく動画が撮影される前の静止画――佐伯沙耶が池川光史と杉戸伸次に左右を挟まれ、自分で制服のスカートをたくし上げている姿だった。撮影したのは犬木茉莉である。

 その写真は沙耶当人にも送られており、沙耶の母親が学校にいじめを訴える契機になったのだが、写っている三人が沙耶を含めて全員笑顔だったため、加害者たちは「同意の上の悪戯だった」と言い訳し、佐伯親子の「作り笑いを強要された」という主張は、学校や市教の強引な話運びで、結局うやむやにされた。つまり、拓也たちが同じ写真を受け取ったことを正直に告白しても、結果は同じだったのである。他の男子にまで見られたと沙耶が知ったら、かえって傷ついたかもしれない。

 しかし、先月ネットに流出した動画は、格段に悪質だった。池川が背後から沙耶を動けないように抱えこみ、その前にしゃがんだ茉莉が片手で沙耶のスカートをまくり上げ、一方の手でショーツを膝まで引き下げていたのである。池川光史や犬木茉莉のあざける声と、佐伯沙耶の涙ながらに抵抗する声が、同意など微塵もないことを証明していた。

 本来なら、流出した時点で警察沙汰になってもおかしくない悪質な動画だが、各人の顔や、場所を特定できそうな要所要所にボカシ処理が施してあったためか、警察が表立って動いている様子はない。それでも以前の写真を見た者や、それぞれの肉声を知っている者ならば、どんな現場であるかは一目瞭然だった。

「私、心配で沙耶ちゃんに電話してみたの。でも、出てくれないし……先月の初め頃には、ちゃんと出てくれたのに」

「僕も繋がらなかった」

「そう……」

 真弓の愁眉が、さらに陰った。

「……それに、変な噂もあるし」

 彼女も行方不明の噂を聞いたらしい。

 中学時代、真弓と沙耶が会話している姿を、拓也は何度か見ている。真弓も幼い頃は拓也や沙耶と同じ古い町、つまりこのタワーシティに潰された町の子供だった。同性同士、拓也より親密だったのかもしれない。

 自分は例の誤爆メールで精神的にワンクッション置いていたから、後に流出動画を見た際の驚愕は、多少なりとも和らげられた。しかし、いきなり過激な動画を見てしまった彼女は、桁違いの衝撃を受けただろう。

 拓也は、先ほどの兵藤の言葉を借りて気遣った。

「でも、あんまり騒ぎが大きくなっちゃって、隠れてるだけかもしれないよ。どこか知り合いの家に避難してるとか」

「……そうね」

 真弓は一応うなずいてくれたが、あくまで半信半疑の顔だった。

 その時、受付の職員が二人の氏名を呼んだ。

 揃って立ち上がりながら、真弓が言った。

「先に終わったら、私、ここで待ってていい?」

「うん。僕もそうする。今日は、いっしょに帰ろう」

 真弓の顔に、中学時代の明るさが少し戻った。

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