炎上の街 Ⅴ
Ⅴ
「あの校長は定年退職した後、大手教材会社の東北支社に再就職して、今もふんぞりかえってるよ。学校現場にコネがあるからね。担任教師も異動先の中学で、誰恥じることなく教壇に立ってる。現在確実に行方不明なのは、当時の教頭と、いじめた側の三人組だ。四人とも、家族から県警に捜索願が出てる。でも私としては、佐伯さん親子が一番心配なんだ。あの二人には捜索願を出してくれる身内が一人もいない。俺もアプローチしたいんだが、ずっと自宅を留守にしてる。まあ、単に騒ぎを避けて、どこかに避難してるだけかもしれないが――それならそれで、大いに結構なんだがな」
「そうですか……」
拓也が、それきり黙考していると、
「――なんにせよ、妙な時代になっちまったもんだよ」
兵藤は話題を変えて、展望エレベーターの上下選択ボタンに、意味ありげな目を向けた。
地下三階から二十階まで、四十六階から最上階までは各階に止まるが、中間部のマンション階はノンストップで通過する――そんな内容の各国語パネルが、ボタンの横に添えてある。
「いくら好景気が長いとはいえ、県庁所在地でもないこんな北の街に、こんな分不相応な超高層ビルが――いや失礼」
「いえ、田舎なのは事実ですから」
「ジャパン・アズ・ナンバーワン――そんな時代が、まさかここまで長続きするとは思わなかったよ。今じゃ離島のリゾート地にまで、
拓也も、それにうなずいた。
自分や両親は、今の日本の繁栄に疑問を抱いたことがない。しかし祖父や祖母は、しばしば兵藤に似た言葉を漏らす。
昭和の末から平成にかけて、この豊かな国は『バブル崩壊』と呼ばれる経済危機に瀕しかけた。一時はアメリカを凌いで世界一となったGDPも瞬く間に二位に落ち、さらに落ち続けるのが確実と思われた。
しかし平成八年、筑波大学と松芝電源開発の共同研究によって、加速器駆動未臨界炉の基礎実験が成功すると、一気に潮目が変わった。
現在の原子炉、いわゆる核分裂炉として、加速器駆動未臨界炉は、安全性と効率を両立できる最終進化形と言ってよい。しかも、実用化は二十二世紀と目される核融合炉とは違い、短期で実用化できる可能性が高い。当然、その実験の成功は全世界から刮目され、技術大国日本の面目を保つと同時に、下落傾向だった日本企業の株価を再び押し上げ始めた。
とはいえ発電等の商用化までには、莫大な資本と技術開発期間を要する。令和四年現在、アメリカとの合弁事業で、ようやくノースカロライナ州と茨城県に試験的発電所が完成した段階だが、最新のスパコンによるシミュレーションでは、完全稼働が確実視されている。しかも、膨大な関連特許の三分の二は日本側が保有している。開発当初に不安視された石油メジャーやOPCEとの軋轢も、世界的に地球温暖化対策が不可避な時代となってからは、否応なしにギブ・アンド・テイクのビジネスモデルが成立しつつある。
このまま進めば、遠からず日本のGDPは再びアメリカを抜いて世界一に返り咲くだろう――全世界の経済学者が、そう予想していた。
「――でもね」
兵藤は、痛し痒し、そんな微笑を浮かべ、
「この町もこの国も、それによって何か大事なものを忘れてしまった――そんな気がして仕方がないんだよ、俺は」
兵藤の口調が、哲学青年のような苦みを帯びた。
「社会が豊かになればなるほど、所得格差も広がる一方だ。生活困窮者は一向に減らない。ホームレスは増える一方だし、孤独死も後を絶たない。あらゆる社会集団で、パワハラやいじめによる自殺者が高止まりしてる。もし、この先なんらかの事情で経済が衰退に転じたら、この国は、もう二度と立ち直れないかもしれないぞ。この三十年で、国民の社会意識そのものが変わっちまったからな。捨ててはいけなかった気風を
そうした世相に話が及ぶと、まだ若い拓也は、学校の社会科やマスコミ情報レベルで漠然と想像するしかない。平成後半に生まれ、ようやく高校入学を迎えた拓也である。
「……ま、俺が古いだけかもしれないけどね」
兵藤は、照れくさそうに頬笑んで、
「君と違って昭和生まれのオヤジだし、おまけに親が早死にしちまって、三丁目の夕日みたいな爺さん婆さんに育てられた」
それでも拓也は、兵藤の言に再度うなずいた。
「わかります」
その場しのぎで調子を合わせたわけではない。
自分に対する兵藤の一人称が、いつのまにか「私」から「俺」に変わっていることに、まったく作為を感じなかったからである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます