第9章
「……死にたくなかったら、叫ばないことだ。」
清水涼は刃を首筋にあてて、脅すように皮を一枚傷つけた。
「…誤解です!! 僕は、ただ近くを散策していただけで…。」
「適当なことを言う必要はない。別に、なにをしようとしていたのかなんてどうでもいい。」
男、深遠宗二は、時間稼ぎをしながら、能力を発動させた。
「まだ話し合う余地があるんじゃないですか?ほら、まずは名前とか?」
その瞬間、キーンと耳鳴りがした。
「…名乗る必要性を感じない。確かに、すぐ殺す気がないのは事実だが。」
「いや、だってさ?なにごとも、そこから始まるんじゃ?」
「この状況下で、ペラペラと話す奴が民間人でないことくらい理解できるだろう?」
「僕はただのメンタリストだよ?」
「現在の状況をどう思っているか、どう捉えているのか答えてもらおうか。」
鋭い目線に静かな声で尋ねる。
「答えたら解放してくれる?」
「…あぁ。」
「なんかさぁ。よくわからないけど、閉じ込められちゃって。本当に出られないのか、僕は疑問なんだよね。ただ、そうと思い込んでるんじゃないかなって。」
「視野狭窄、思い込みか。」
「意外とそういうことってあるんじゃないかな。」
「そうか…。」
静かに涼はその腕を離した。
「確かに、思い込んでたのかもしれないな。ちょっと怪しい動きをしていただけで追い詰めて、いや、悪かった。」
「わかってもらえて嬉しいな。」
後ろ向きに、一歩、二歩、三歩、と宗二は歩く。
「じゃ、またー」
次の瞬間、彼は絶命した。
「やっぱり、精神操作系統。お守りを外した途端これか。完全に思い通りというわけではないんだな。危険を排除できたことは僥倖だったよ。こんなのが敵だと、気づかないことが一番怖いんだ。」
(要人警護社、特諜局、どちらに処理されても不安は残る。特に、要人警護社、あそこはどうにも甘い。)
涼は自分で殺せたことに安堵の息を漏らした。
♦︎♢♦︎
今やるべきことは、目の前の男を倒すことと悠を護ることである。
緋彩は悠に被害が出ないように気を配りながら、鉈を振っていた。
(素人ではないのは分かってたけどっ! 想定外、流石に強すぎる。)
緋彩は戦闘もするが、彼女の最高の武器は医術である。
素人相手ならともかく、玄人相手に余裕で勝てるほど戦闘訓練は積んでいない。
緋彩は何度も重傷を負っているが、その度に能力で治癒していた。
能力を使えば一瞬で治るが、通常の回復過程をとばしているわけではないため、一瞬の間に濃縮された痛みが彼女を襲う。
(治している場合じゃないか、体を気にせず短期で決着をつける。できなくても、悠を扉の中へ。)
目の前の男の力を見て、方針を変えた。
緋彩は飛び退いて、悠の元へ近寄り、治療をしながら声をかけた。
「悠、次の攻撃でうまく扉を壊すから、中に入って。中の危険もわからない中で申し訳ないんだけど。」
それだけ言って、もう一度距離を詰めた。
(これで失敗するくらいなら、私以外に能力を使うことも止むを得ないけど、しないほうが
男の方も、決して余裕があるわけではなかった。
彼にとって、自分と同じくらいの相手と戦う経験などなかったのだ。
「……っ!!」
重い打撃が男を襲い、反撃に転じる前に緋彩は飛び退いて、扉の方へと撤退。
男へ振りかぶると見せかけて、扉を破壊した。
それにとどまらず、周辺の壁も破壊。
「…部屋に侵入できれば十分。別に、あなたを仕留められなくとも構わない。」
「貴様ッ!!」
今度は男の方が距離を詰めて、緋彩を襲うが、彼を扉から引き離すように受けて立ち回る。
男の注意は完全に緋彩に向いていた。
だから、気づかなかった、否、忘れていた。
もう一人の存在を。
♦︎♢♦︎
悠は静かに歩いて扉の中へ入った。
いくら、年齢に似合わない思考能力を持てども、肉体は年相応であるからに、走っても大した速度は出ない。
恐る恐る入れば、悠の恐れていた光景が眼前に広がる。
悲鳴をあげなかっただけ、彼は誉められるべきであろう。
今、悲鳴を上げたなら、悠の侵入がバレるところであった。
「…悠か? なんでここに?」
初めて悠に気がついたのは彼の叔父の義博だ。
それを聞いた彼の母、祐子は倒れている夫、智博から顔を上げた。
全ては悠の想像した通りだった。
ー智博を社長にするためには、義博に退場してもらわねばならない。
その条件を満たすために、智博を被害者とした傷害事件を起こし、犯人を義博にする。
おそらく、智博が盛られた毒は致死性のものではないと確信しつつも、自らの父が倒れている光景を見るのはいい気分ではない。
悠は側から見ると、冷ややかな目を両親に向ける子どもだ。
皮肉にも、真摯に夫を心配する妻、と悠を見て、どちらを非難するかは明白である。
「…外れててほしかった。」
溢れたのは、自分の推測が当たってしまっていたことへの落胆。
分かっていても、信じたくはなかった悠の心境。
「なにを言っているの!!こんな緊急事態にどこを歩いていたの。父親がこんな状況なのに…、なにが『外れててほしかった』よ!!」
祐子は怒鳴った。
祐子に怒鳴られたことも、今の悠には全く響かなかった。
「瀬川の…瀬川家の当主は先刻までお祖父さま、つい先程から叔父さま。」
「何を言って…」
「何をまたっ!!…気味の悪い。そういうのをやめろと、私は、何回も、何回も!!」
悠のこれを見るのが初めてな義博は呆然とし、祐子は怒鳴りつけた。
「…そう言われても、困ります。」
「…ッ!!」
祐子は初めて口答えされて動揺した。
「僕のこれが、両親に受け入れられないことは、半ば諦めていましたから。どう言われても僕は気にしません。」
断固たる口調で母に語りかけた。
自分でも驚いた。
たった数時間で悠の中でどれほどの変化が起きただろうか。
「僕は祖父で当主であった俊蔵さまから、別れ際手紙を受け取りました。そこには、『好きに生きるように』と書かれていました。ですので、僕はその指示に従い、自分で自分の人生を決めることにしました、瀬川家とは関係なく。」
理路整然と、淡々と、感情に呑まれることがない語り口は、どこか冷たく感じられた。
(凩さん、大丈夫かな。ここから遠ざけてくれているのだろうか。)
ふと、ついてきてくれた彼女がどうしているのか気になった。
壁が破壊されたというのに、彼らの戦闘音が聞こえない。
「君は…」
義博は茫然自失。
そのとき、壊された壁の向こうから、緋彩がやってきた。
「悠、どういう状況?」
鉈を担ぎ、鞄をぶら下げて、適当に悠に問うた。
「…無事、だったんですね。」
「まぁね。最後はちょっと、ズルしたけど。殺してはないよ。時間を稼いだだけ。しばらくしたら戻るから。」
悠は胸を撫で下ろした。
そして、自分が思った以上に緋彩の心配をしていたことに気がついた。
ちなみに緋彩は鉈に警戒を集中させていた男に不意打ちで麻酔を打ち込んで眠らせたのだ。
尚、後遺症がでないものを選んだあたり、気を遣っていると言える。
「ん?智博どのが倒れていて、食事中?で、介抱しているのが祐子どので、動けずにいるのが義博どの?」
「父が毒でやられてる。凩さん、どうにかなりますか?」
悠は目線を緋彩に向けて質問した。
「どうにか、ね〜。使っている毒がわからないとなんとも…。致死性じゃなければどうとでもなるんだけど。」
「おそらく非致死性です。」
「えっ? マジ?」
緋彩は悩んだ。
「それって、どれくらいの確実性? 非致死性ならやりようはあるけど、もし致死性だった場合死期を早めるだけよ?」
「…黒幕は智博さんが死んだら、意味がないはずなので。」
悠が自分の父親を他人かのように口にした。
「あー、なーる。なら、いいよ。状況みながらやるわ。」
適当に返事をした緋彩がカツカツと靴音をたてながら、智博に近づく。
呆然としている祐子も、そこまでくれば正気を取り戻す。
「あなた、誰ですかっ!! あなたが悠に変なことを吹き込んで洗脳したんですかっ!!」
「洗脳、ねぇ…。あなたが言うと皮肉なもの。安心してください、悠のあれは気質ですよ。私たちが会ったのも今日が初めてですし。それより、早く彼をなんとかしたいなら退いてください。」
辛うじて丁寧語で語りかける。
「…別に処置をしなくても私は構わないけど、悠が言うからね。君らの証言も聞きたいんだろう、一応。」
どうせ死なないし、という副音声が聞こえてくるようだ。
反論のしようもなく、硬直している隙に緋彩は智博に触れた。
『いたいのいたいのとんでいけ』
誰にも聞こえないように小さく口ずさむと、数秒後に智博は目を覚ました。
「痛みのないもので幸運でしたね。」
心にもないことを笑顔で言った。
彼女の笑みはふと途切れる。
(奇妙な感じがしたのは気のせいじゃなかったのかな。)
壁を派手に破壊したというのに人が集まってこないことに疑問をおぼえた。
「…悠、これからどうしたい?」
その問いに悠が答える前に、義博が口火を切った。
「君は…父に個人的に雇われたと言っていた…。」
「それは事実ですよ。契約した段階で、雇用主である俊蔵どのになにかがあった場合は悠に従うように命じられていた、それだけのことです。仮に現在の社長があなただとしても、それは揺らぎません。」
ならば社長である義博に従わないのは筋が通らないと言おうとしたのを遮りながら言った。
パタパタと、複数の気配が近づいてくる。
(和馬さんのところ通らなかった人たちか?)
意識を逸らしていた矢先、悠が殴られた。
「お前は、勝手なことばかり。何度、俺の言うことを聞けと言ったっ!! 子供は親の言うことを聞くものだと、何度も言っただろう!!」
「……」
(応急処置の道具がない、どうしよう。)
悠は一切口答えしなかった。
「お前は、そうやって気味の悪い!!」
もう一度殴ろうと振りかぶったところで、緋彩が悠を助け出した。
「ごめん、気を逸らしてしまった。ちょっと、いや、かなり痛いけど我慢できる?」
緋彩は悠が頷くのを確認して、『いたいのいたいのとんでいけ』と静かに詠唱した。
「あ゛ぁ!!」
一瞬だけ悠が呻き、傷は消えた。
「…だから嫌いなのよ。」
処置を見られないように抱きかかえながら緋彩は言った。
「お前、何をしているっ!! これからそいつには親として躾をせねばならん!!」
「なにをしている、はこちらの台詞ですよ。これはただの暴力でしょう?」
軽蔑した目をついには隠さなかった。
彼女の声は冷静で、怒りもなにもないが、淡々としていて背筋が凍るような冷たさをもっていた。
「親子と云ども、全く別の人間。対話をする意思もなく暴力に訴えるのはどう考えても躾なんて代物ではありません。」
緋彩の言葉には不思議と説得力があって、反論を許さないと目が訴えた。
「…凩さん、別に庇わなくてもいいよ。いつものことだし。」
抱きかかえられた悠が静かに言った。
「そう。なら、いいわ。悪かったね。ちょっと冷静じゃなかった。」
悠は自然とタメ口で話した。
それについて緋彩は特になにも言うことなく、自然に応答した。
彼女は、悠に気を遣いつつ、遠くから近づいてくる足音に耳を澄ませた。
(複数人、和馬さんじゃないのは確かね。)
♦︎♢♦︎
糸瀬の周りを桜の花びらが舞い踊る。
「向こうが気になる?」
桜色の髪をした少女らしきものが糸瀬に話しかける。
「あぁ、大きな破壊音だったからな。」
糸瀬は殺傷能力のある花びらを全て捌きながら応答した。
糸瀬には見えていないが、目の前の少女の髪色は少しずつ緑色に変わりつつあった。
「キャハハ!! 色々大変みたいだねぇ。でも、もっと面白くなると思うんだぁ。」
「なにが言いたい?」
話しても無駄だとはわかっていながらも、会話を続ける。
「面白そうなんだよねぇ。たとえばぁ、あそこに俊蔵の関係者が集まったらさぁ、殺しあっちゃうかもねぇ。そしたら、俊蔵は悲しいかなぁ、後悔するかなぁ。未練を断ち切るための半年なのに、未練しかないなんて、素敵だよねぇ。」
糸瀬は半ば理解していた。もう、自分がそこへ駆けつけることは不可能であることを。目の前の敵を倒すことは不可能であり、自分の役目はここで釘付けにすることだと。
「でも、せっかくなのに、どーでもいい人ばかり集まっちゃったら興醒め。そう、思わない?」
「意図が読めないな。」
三日月に裂けた口から笑い声が漏れた。
「黄色い子はしょーがないから追い出さないであげるよぉ。でもねぇ、ほかの人はあそこに近づいたらダメなんだよ。」
♦︎♢♦︎
龍崎美琴は、連絡が済んだことを確認すると、秘書と共にホテルの客室へ戻った。
しばらくは、くつろいでいたが、なにを感じたのか、龍崎は急に立ち上がって言った。
「悪いが、俺は出る。霞はここで待っていてくれ。安全だという保証はしてやれないが、俺が対策を打ってある。なにかあったら俺にも伝わるようにしてあるから、くつろいでいてくれ。」
秘書だけ置いて、彼は階段を降りた。
(戦闘行為は避けたい。この気配だと、あの精霊が誰かと闘っている。あれだけ耐えているのなら警護社の誰かだろう。恐らくは糸瀬どのの方だと思うが。)
糸瀬が闘っている階段を避けて、大きな動きを感じた場所へ急いだ。
「これか…」
目の前にはなにもないように見えるが、明らかに龍崎の侵入を拒んでいた。
「特定の人物以外通り抜けられない結界か。なるほど、よくできている。」
だがしかし、そこで諦める龍崎ではなかった。
龍崎は式鬼と結界のスペシャリストである。
力に圧倒的な差がない限り、侵入は可能である。
(少し時間はかかるか…。)
念の為、結界を壊さないようにそっと内部へ侵入した。
(術者はきっとあの精霊。…あれの意図を汲んで、介入は遠慮しよう。ただ、見届けるだけだ。)
そう心に誓い、見つからないように静かに事が起きている現場へ向かった。
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