第8章

 悠の願いに応える形で、緋彩と糸瀬は機密ギリギリまで情報を開示する覚悟を決めていた。

 悠の推測が一番精度が高いと思われたためだ。


 「今回、祖父が自身の死を理解していたのなら、確実に誰が継ぐのかを明らかにする目的があった、と考えるのが正しいか。しかし、祖父は適正で叔父を選んだが、それだけで強い理由はなかったはずだ。父も野心はあるが、何かできるような人ではない。だから、社長には不適格とされた…。」


 「悠が気になっているのは、そこまでして義博どのに継がせる理由があるかってこと?」


 緋彩は頷いた。


 「確かに踊らされる可能性はあるけど、それだけでここまで警戒するかな…? 執着があるような人ではないと思う。」


 「そうね、この調査を見てよ。」


 悠はタブレット端末上に映し出されたデータを見た。


 「うちは一応危ない商売してるから、事前調査ってのもちゃんとしてる。あなたのことも、性格や能力までは知らなかったけど、年齢も含めて把握していたわ。ここで発表する前からあなたのおじいさんが義博どのに継がせるつもりなのもね。そして、ついでに君の叔母さんの嫁ぎ先についても調べてあるわ。」


 指で軽く操作をして、該当する箇所を見せた。


 「見ての通り、反社会勢力とのつながりがあるわ。それも、結構ディープな方の。この組織に関しては縁あって知ってるけど、触るな危険って感じだね。今の首領が統率をとりつつあるけど、まだまだね。首領率いる派閥とはいつかはぶつかる可能性はあるけど、今は避けておきたい。一方で、ここは完全別派閥。わたしたちがどうにかしても、むしろ感謝されるでしょう。」


 「組織図は分からないし、そういうのは詳しくないけど、それって二人が利用されているんじゃ?」


 悠はふと指摘した。


 「組織の全体像も分からないし、相手も彼らに対して二人が敵対してもいいと思っているなら、敵対勢力と組ませて相討ちでも狙うんじゃないかな。」


 「…どう思う、和馬さん。」


 「アリかもね。あれで、すっごく意地が悪い人だから。でも、僕らが考慮することじゃない。」


 「そうね。話を戻しましょう。」


 悠は操られていようとも、誰かの掌で踊らされようとしていても関係ないとした彼らの考え方を不思議に思ったが、話を遮るのも憚られたので黙って続きを促した。


 「それに加えて、龍崎美琴がここにいる。マフィアとは別の組織だけど、彼は見えないモノたちの専門家。あの謎の現象とかも彼の専攻に入るだろうね。研究ではないのだから専攻というのはまちがいとも言えるだろうけど。」


 「……聞いたことがない。」


 「悠、あなた今回招待した客人、全員覚えているの?」


 悠は頷いてから言った。


 「招待をする前にどういう理由で呼ぶのか祖父と話した。その中に龍崎美琴はいなかった、と思う。」


 少々、自信なさげに言った。


 「それは、多分間違っていないよ。ゆうくんが見た段階ではいなかった可能性が高いと。誰かがハッキングでもして加えたんじゃないかな、ってうちの子は言ってたよ。あの子優秀だから、間違ってないと思うよ。」


 「…追加されたってこと。まぁ、龍崎美琴以外にも招かれた人はいたけど、それは恐らくはカモフラージュね。龍崎美琴を呼んだのは彼らの身内でしょうし、彼らにとっても瀬川グループが反社会勢力の養分になるのを恐れていたのかもね。」


 龍崎美琴は政府系の機関に所属する諜報員である。

 龍崎美琴という筆頭の名前と顔程度は2人も知っていたが、それ以外はベールに包まれている。身内以外が呼ぶなどあり得ない、そう結論づけた。


 「…父を傀儡にして、瀬川の乗っ取りが目的か。」


 「あなたね、その結論に達するほどわたしたち情報開示してないつもりなんだけど。」


 「優秀な子でいいじゃないか。こちらが楽できて嬉しいよ。」


 緋彩は呆れ、糸瀬は喜んだ。


 「で、そのための手段について講じているのね。私たちに義博どのを後継とすることを発表してしまった以上、これを覆すことは極めて難しい。しかし、傀儡にするために智博どのに継いで欲しい。ついでに、義博どのが口を出せないところに追放されてくれると尚良い。さて、どうしたものかな?」


 「容疑者は、叔母たち…。でも、だとして、どうしたらいいんだ。父は…犯罪に抵抗感くらいは示しそうだけど。」


 「……犯罪に抵抗、ね。」


 (…当たり前のように虐待していて今更抵抗なんて。いや、犯罪と悪いことだという自覚がないのか。)


 「凩さん?」


 「いや、なんでもない。気にしなくていいよ。」


 鋭く冷たい目で凩は無意識に悠を見ていた。

 正確には、彼の向こうにいるであろう彼の両親を。


 (ボーダーラインが既に私の価値観とは異なる。一緒にしてはいけないのかも。…そのボーダーラインが変われば平気で行う。)


 「犯罪に抵抗感があるということは逆に、犯罪と思わねば行動するということでもある、かな?」


 「騙されても、それくらい…。」


 「それは、そうよねー。」


 適当に推測を言って、やはりと撃沈。


 「いや、意外とひいちゃんの推測が近いんじゃないかな。」

 「へ?」


 緋彩、少し復活。


 「だます、というと少しズレるけど、洗脳みたいなのだったらあり得ると思うんだよね。ひいちゃんは知ってると思うけど、狂信者って怖いんだよねぇ。何年前だったか、まだ決着なんてついていないのだけれど。宗教でもなんでも、誰かに依存して、それを正しいと思い込んだなら、もう、どうしようもないんだ。どんな清廉潔白な人でも信じる正義が異なればどうにでもなれる。」


 「……あの事件ですか。胸糞悪い。」


 「ひいちゃんは特に苛立っていたよね。」


 「…正直、いい気分しない。」


 使われたものが化学だったからなのか。

 医者としても身を立てていける、医学を学んだ身として、生理的に嫌悪した。


 「…何も考えずに信じるってそんなの…。」


 「それがありうるんだよ。ゆうくん、是非は置いておいて、それはとても幸せなんだよ、渦中の彼らは。」


 理解できずに彼は固まる。


 「選択を自らしないってことは、責任を負わないとも言える。誰かのせいにできてしまうんだ。あいつがそう言ったから、と。そして、それ以外を知らねば、比較のしようがないから自分が不幸とも思わない。」


 「……」


 選ぶということは辛く、重く、それでいてストレスが溜まる行為だ。

 自由を与えられると同時に、なにかを無理矢理に背負わされた。


 「その狂信者の話は置いておいて、その状態にするには期間が足りないと思うのだけど。自分で言っておいてなんだけど、それって長期的な視点になるよね。そんなに長い時間準備に使っていたのだろうか。これが開催された時点で半分負けているんだから、正直、そこまでの計画性を感じないよ。」


 「…考えたくはないけど、精神操作系の能力がないわけじゃない。僕らが全ての能力者を認識しているわけでもないし、管理してるわけでもないんだ。奴らにだって全ては把握されていないさ。能力じゃないにしても、それだけ洗脳ができるなら能力者と見做しても構わないと思う。正直ね、それを考えたって仕方ないんだ。僕らはそんなに万能じゃぁない。」


 「…父を操りたいなら、父が犯罪者になるのは好ましくないんじゃ。」


 おずおずと言った悠の言葉にハッとした。


 「それは、確かに。むぅ…盲点だったわ。」


 「僕らの領域じゃないんだ。仕方ない。だが、なんらかの方法で義博どのを退場させなければならないのだろう?」


 しばらく経って…悠は真っ青になった。


 「父が、危ない。」


♦︎♢♦︎


 智博と義博は兄弟であったが、彼らが共に席に着くことは彼らの両親に強制されない限りあり得ぬことだった。


 父が死んで、外と隔絶されてしまった状況下、2人は同じテーブルについた。


 そして、しばらくしてから…


 が倒れた。


♦︎♢♦︎


 悠がなぜそう言ったのかを追及する前に、動き出した。


 糸瀬は力を最大限に利用して智博の居場所を探し出す。

 智博のデータは入っていなかったため、個人を判別することはできないが、部屋の様子を見ることはできる。


 「…ゆうくんのお父上の部屋には、3人、いや4人いるね。骨格から1人を除いて男性かな。」


 「!?…1人は母だとして…」


 顔面蒼白の悠は状況から推測したことを2人に伝えることすらできない。


 「悪いね、ゆうくん。急ぐならこの方がいい。」


 糸瀬は悠の持ち方を変えた。

 悠も前方が見えるように配慮して抱えていたが、そんな配慮をしている場合ではなかったようだ。


 「…入り口にも1人いるな。合わせて5人か。部屋の中の1人は隠れているな。」


 「最悪、無理に押し入ることも検討しなきゃか…。」


 呑気に話しているが、2人は高速で階段を降っている。

 何段も跳ばしながら、なんなら、壁に足をついたりしながらジャンプして降りていく。


 「……!!!」


 あと少し、というところで悪寒を感じて、急に立ち止まる。

 背筋が凍った。

 金縛りのような状態になる前に、自ら止まれたのはよかっただろう。


 「…ひいちゃん、ゆうくんを連れて先へ。」


 受け渡された緋彩は鞄とは逆で悠を抱え、静かに頷いてから先に進んだ。


 「僕に用があるのかな?」


 精一杯の虚勢を張って空に話しかけた。


 「あっはっはは! いいねぇ。いいよぉ!! ねぇ、君強いんでしょ? その体、ちょうだいよ。」


 声とともに、ゆっくりと糸瀬の目にも見えるようになっていく。


 (…実体化か。僕にとってはこの展開の方が望ましいか…?)


 彼の目には見えないが、髪の毛の色は先ほどと変わって、ピンクよりも緑の方が占める面積が広くなっていた。


 「…もう、あんまり時間がないんだ。せっかく楽しいことになったのに…。もう、散っちゃう。だから、最後に遊んでよ。」


 手裏剣のようなものが、糸瀬に向かって飛んでいく。


 「助かるよ。僕はこっちの方が得意なんだ。」


 糸瀬は愛用の2本の小刀を取り出して、全ての攻撃を凌いだ。


 「…綺麗に死んでくれないんだ。仕方ないね。」


 桜吹雪、と小さく口ずさむと、風が吹き、先ほどよりも小さく、また大量の手裏剣が糸瀬を次々に襲う。


 糸瀬は破壊しているわけではないため、一度捌いたものもまた襲ってくる。


 (時間制限があるんだろう? 専門ではないが、時間稼ぎくらいしてみせよう。)


 糸瀬の終わりの見えない戦いが始まった。


♦︎♢♦︎


 緋彩を糸瀬が送り出したのには理由がある。


 一つ、あの謎の少女らしきものが糸瀬を狙っていたこと。

 二つ、専門が医療である緋彩にアレは荷が重そうであること。

 三つ、彼らの武器が毒だった場合、緋彩の方が臨機応変に対応できること。


 それを当然彼女も理解していた。


 だから、緋彩はいち早くあの部屋に辿り着かねばならないのだ。


 そう、扉の5メートルほど手前で立ち止まっている場合ではないのだ。


 緋彩は静かに鞄と悠を降ろした。


 扉の前に経っていた大柄の男、見た瞬間にヤバいと感じた。


 隙を見せぬように、静かに鞄の中からアタッチメントで接続できる自前の武器を取り出して組み立てる、刹那、後ろへ吹っ飛ばされた。


 「!! 凩さん!!」


 「なんだこの餓鬼は。どこかで見たんだが…。まぁいい。無駄に死なれても困る。そこでじっとしてるなら痛い目に合わせることはない。」


 緋彩は静かに起き上がる。


 「…なんでこんなのが。」


 「こんなのとはご挨拶だな。お前のせいでこっちの計画はズタズタだ。どう落とし前つけてくれる?」


 「ただ、私は責務を全うしているだけですがっ!!」


 瞬く間に距離を詰めて振りかぶって打つ。


 彼女の武器は大鉈である。

 アタッチメントで刃を潰したものにもできる。


 「悠、危ないけど、扉の中に入るのはもっと危険。ちょっと黙っててね。こっちも意外と余裕ないの。」


 質量は力だ。

 速さは力だ。

 振り回して操れるなら、技術をさして必要としない重く大きな武器が緋彩の相棒だ。


 「手加減もしてられない。殺すつもりでやらないと。」


 (無駄に向こうが私を警戒してしまっている…、やりにくい。)


 「いたいのいたいのとんでいけ」


 小さくつぶやくと、一瞬顔を顰めるが、傷が全て消えた。


 が、それは大きな隙だ。

 それも釣りのひとつとして鉈を振り上げる。


 こちらもただでは済まないのだった。


♦︎♢♦︎


 一人の男が部屋の窓から逃走した。


 (戦闘は俺の専門外だ。俺が生きてないと全ての計画が頓挫するんだ、逃げたって文句はないだろっ!!)


 これでも彼は、裏社会で生きる者のひとり。

 部屋にいる3人には気づかれる事なく脱出を果たしたのだった。


 …ひとまずは。


 逃げて、暗がりに入った瞬間、彼の喉笛には刃が突き立てられた。


 「……死にたくなかったら、叫ばないことだ。」


 清水涼はずっと、彼を狙っていたのだ。

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