第6章
ーあなたが望むのなら、私は…。
同時刻、瀬川の邸宅にて瀬川俊蔵の妻とよ子は夫の死とその真実を彼の遺書で知った。
とよ子は遺書を読み、その遺言にしたがって荷物をまとめて家を出た。
もう、戻ることはないであろう、大切な思い出がぎゅっと詰まった邸宅に一礼した。
♦︎♢♦︎
「…いいよ、ひいちゃん。それを聞かなきゃ納得できないだろうし。それに、彼には聞く権利があるよ。」
糸瀬は言った。
(…そんな軽々しく。異能力を知られるデメリットわかってるくせに。)
緋彩は若干拗ねた。
「…うちの会社が少数精鋭なのって異能力者とか、才能ある人をピンポイントでスカウトしているからなのね。で、僕もその例外じゃないの。僕、言ったでしょ? 他の人にはない眼があるって。」
糸瀬は自分の目を指さして言った。
「僕の目は特殊らしくて。普通の人はものから反射した光? でものを見るらしいんだけど、僕はそういうんじゃなくてね。ものの構造というか、空間把握能力が異常に高いらしいんだ。なんていうんだろ。色とかもないんだけど、どこになにがあるか見えるっていうか。骨格とかもわかるよ。気体は見えないし、液体は微妙。だけど、固体は…見逃さないんだ。僕はあのとき彼をしっかり見ていた。その眼に誓うよ、俊蔵どのは外部からの如何なる影響も受けていなかったよ。断言する。」
正直、他の人が見ている世界とやらを知らないから、僕が視ている世界を説明するなんて無理なんだけど、と糸瀬は言った。
「…毒ガスなどの気体なら和馬さんに見えないし、可能性はあるけど。正直、私たちが死ななかったから可能性は低いわね。もちろん、一瞬で消えた可能性も否定はしないわ。でも、致死量の毒が消化も排出もされずに体内に留まる、それはあり得ないでしょう?時間経過とともに流れていくもの。時を止めたとしか思えない。それができるのは…」
ー未知の存在。
「一応、論理立ててみたけど、どうかな?」
あなたには劣るけど…と照れたように頬を掻きながら言った。
「…僕たちは警察でもなんでもないから、犯人探しなんて意味ないんだけど。一応、得体の知れない敵には対処できないからね。僕たちの仕事は未然に防ぐこと、今回は失敗さ。まぁ、すでに死んでいたのだとしたら護りようがないけど。」
悠は脳裏に護れない人の条件を思い出した。
「まだ、パーティーが終わっていないから私たちの仕事は継続中。だけど、パーティーはこれ以上続けられない。どうしたらいいのよ。雇い主は死亡。そうすると、悠に私たちの行動の決定権が委譲で間違いないわね?契約書も悠の名前だったし。」
悠は分からなくて目を泳がせると、目線の先で糸瀬が頷いた。
「僕は…」
悠の言葉に2人が集中する。
「…僕は、両親のことを放って置けません。糸瀬さんと凩さん…僕は、両親を見届けたい。どうすうることもできなかったけど、父が叔父の食べ物に細工していたのは間違いありませんし…。」
「「は??」」
糸瀬と緋彩は目をぱっちりと開けて瞬いた。
「なにそれ、聞いてないわよ!!」
「祖父が死亡した混乱に乗じて…。てっきり気付いているものだと。」
「見落としてたか、まずい!」
糸瀬が悠を抱え、緋彩はトランクを持って、会場へ向かう。
「細工されていたのはどの皿?」
「フォークとスプーンです。」
抱えられながら悠が答える。
「…人が死んだ会場ですぐに食事なんか始めないだろうけど。急がないと!!」
走っている最中、館内放送が響く。
『桜花ホテルをご利用の皆様にお知らせいたします。ただいま、桜花ホテル敷地内は外部との接触が断絶されています。通信及び物理、如何なる手段でも外部との接触が不可能となっております。原因は不明で、ただいまスタッフ総出で原因究明に努めております。つきましては、ご予約いただいている部屋及び食事を解放いたします。どうか、落ち着いてお過ごしください。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。』
「…外部との接触遮断? 通信は兎も角、物理って?」
「構造上問題ないはずだ。これは…結界とかそういう類か?」
「それよりも、急がないと。食事が始まってしまう。」
いっそう急いで会場へ向かうと、目線の先でフォークとナイフを握る義博(悠の叔父/次期社長に指名された)がいた。
「なりふり構っていられない。」
緋彩はトランクをおいてから、深くしゃがみこんで、ひとっ飛びで人混みを抜けて腕を限界まで伸ばして、そのフォークとナイフを取り上げた。
その勢いで、空中で前転してからしゃがんで着地する。
周囲は唖然として動けなくなった。
緋彩は立ち上がりながら、表向きの笑顔の仮面を創り上げた。
「…申し訳ございません。私、瀬川俊蔵さまに雇われた警備員です。そちらのフォークとナイフが危険でしたので回収させていただきました。代わりにこちらをご利用ください。」
袖の内側からしれっと出したフォークとナイフは、今日緋彩が使う予定だったもの。
どこから出されたか分からない食器を使うなどあり得ないのである。
「…それはどうも。だが、君が警備員とは知らなかった。制服はどうした?」
「私は本日、万全を期すため個人的に雇われた者でして。招待客に紛れるためにこのような格好をしているのです。俊蔵さまについては誠に申し訳ございませんでした。」
「いや、誰かに何かをされたわけじゃないんだ。警備員のせいではないよ。」
義博は言った。
「そうですか。現在進行形で異常事態が発生しております。いつ、誰が、どんな危険に見舞われるか私にも想像がつきません。私の仕事は、このパーティーがつつがなく終えられるように備えること、しかし、その仕事はすでに失敗したと言って間違いないでしょう。しかし、この異常事態が終息するまで、できる限りですが、なにも起こらないように気を配ります。もちろん、追加で報酬をいただくなんてことはいたしません。ただ、償いの意味で勝手に気を配るだけです。」
「そうか。単発の警備員というのの仕組みは知らないが、感謝する。」
緋彩はチラリと智博(悠の父)に目を向けた。
彼の動揺がありありと読み取れる。
彼の目を見て、静かに目を伏せながら言った。
「…私はあくまで警備員です。ですから、犯人探しなどしませんし、検挙もしません。誰がなにを起こそうと、それを警察に突き出したりはしませんよ。」
緋彩は静かに礼をして、群衆に紛れた。
目の端で、悠が彼らの前に出ようとして糸瀬に止められているのを見た。
(…おそらく、俊蔵さまは悠に彼らと縁を切って欲しかったのね。)
誰がどんな顔をしていたかなんて、興味はなかった。
♦︎♢♦︎
「取り敢えずは、連絡を入れようか。」
「…この状況を打開できるのですか?」
霞は龍崎にそう尋ねた。
「この結界は俺にも壊せない。壊せたとしても、あの精霊の思うようにしたほうが未練が残らず後が楽だ。すり抜け、くらいなら可能だろう。俺、ならそれなりに苦労するだろうが、式なら…。」
龍崎は霞を連れ立って、敷地の末端を訪れた。
多くの客や従業員がホテルの中で過ごすのに対して、龍崎は散歩と称して敷地内を歩き回り、結界の綻びを探していた。
懐から取り出した式をなんてことはないように風に乗せ、同時に何かを唱えて、結界をすり抜けさせた。
「こういったことの対処もウチの領分だ。俺とは方向性が違うが、情報提供は俺の仕事だ。」
自らの式を見送ってから、また彼は歩き出し、周辺を散策する。
♦︎♢♦︎
「…失敗しただと?」
「はい、よく分からない金髪の女が、急に対象のフォークとナイフを取り上げました。」
苦々しい表情でいるのは、煙草を片手に電波が通じない携帯電話を片手にいる男である。
河下茂之、非合法組織『蝮』のリーダーである。
「深遠、お前の失敗か?」
「…状況聞いた上でそういうこと言います?」
軽口を叩くのは深遠宗二。
「冗談だ。」
「そうすると、瀬川義博をスケープゴートにするのはなしですか?」
「いや、それならそれで話はすすむ。これで、当代鬼頭にも認めていただけるだろう。」
「豊川だけでなく瀬川まで思うがままに操れれば、大きな力には違いありませんよね。」
「そういうことだ。」
非合法組織『蝮』はマフィアの傘下組織であり、大きく3つある派閥のうち、鬼頭派に属する。
マフィアは現在、深和という新参者が首領となり組織を取り仕切っている。彼が作り上げた新興派閥が組織の実権を握っているのだ。
それが、歴史ある鬼頭派は許せない。
「…他の派閥からの横槍もないんでしょう?」
「あぁ、結局はなんも知らない素人ってことだ。根本的にわかってねぇ。鬼頭もそうおっしゃっていた。」
いくつも張り巡らせた策の進行状況を確認しながら、新たな指針を練っていた。
でも、彼らは気づくべきだった。
見たことも聞いたこともない女の警備員が作戦の邪魔をしたこと。
ここで起きている緊急事態。
イレギュラーが起きていても、確実に誰かの手によって彼らの策が邪魔されていることを。
♦︎♢♦︎
それは、ある箱庭の外の話。
風に乗って窓から届けられた手紙を読んで、男は頭を抱えていた。
「面倒な…」
「楽しそうだね、息吹。」
道化のような笑顔を浮かべる友人、と言っていいのか分からない彼に、溜息をついた。
「許可をとってから…、どう動いたらいいものか。」
「楽しそうだねぇ。」
彼は絶賛堕落している。
無職の居候だ。
ソファでグダグダと笑顔で仕事を煽るくらいなら、働けよとも叫びたくなる。
喩えるなら、夏休み最終日に宿題に追われる横で堂々とゲームをされる気持ち。夏休みの宿題を最終日まで残した奴が悪いとか、因果応報だとかは正論だ。しかし、毎日が夏休み最終日のような仕事に追われる最中、無職の居候がダラダラとしながら、仕事を見ては煽ってくる。最悪の状況と言って過言ではない。
「素直にさぁ?助けを求めちゃえばいいのに。」
「……。」
「やーい、息吹。」
「……。仮に求めたとして、頭は貸してくれるのですか。」
「…さぁ、どうだろう?」
プチッとキレた。
「ッッ!! 風見さんっ!! いい加減に…!!」
風見はひらりと避けて、そこから去っていった。
飲みかけのペットボトルとスナック菓子の袋を残して…。
イラっとした氷室息吹は、残されたスナック菓子の袋に油性ペンの汚い字で書かれたものを見つけた。
「……ッ!!」
なんとも言えないこの気持ち、どう著そう?
ドアの向こうで口笛が聞こえても、何も言えない。
氷室はその
♦︎♢♦︎
「なんで止め…、いや、そうだけど。」
自問自答、自分の中に理論的な答えはあっても、感情がそれを呑み込めない。
悠にとって、初めての経験ではないが、頻繁にあることでもない。数える程度だ。
「理屈と感情は違う。それは私も同意するわ。割り切りには場数も必要。だから、悠、あなたがそうなっていることを責めたりしない。けど、その間にも時間は過ぎてゆくことを忘れないで。」
「ひいちゃん、ちょっと厳しいんじゃないの?」
「なら、和馬さんが優しくすればいい。飴と鞭ですよ?」
「…本人の前で言ったら意味もないし、身もふたもないよ?」
(ひいちゃんは優しいんだけど、伝え方が不器用だから。)
「僕らとしては、ゆうくんが戻されるのは望ましくないし、ゆうくんがそれを望むかどうか、考える時間が必要だと思うんだ。それに、ひいちゃんはわかってると思うけど、2人とも、ずっと気張ってたら疲れるから、少しは寛ごう。僕もだけど、本当に大事なときに力が出せない方が危ないからね。」
「…仕事、一応降りたんだけど。」
「彼にはそう言ったけど、僕たちは俊蔵どのの死亡により、雇用主がゆうくんに移った。費用は今日が終わるまでは入ってるから、そこまではゆうくんの指示に従わないとだよ。もちろん、パーティーの警護は潰れたから、彼に言ったことも間違いじゃないんだけど。」
「はぁ。で、悠はどうしたいわけ?…依頼の失敗もあるし、今後も見通せないから、私たちはこの非常時が終わるまではあなたの指示に従うわ。」
悠はまた、重い何かを背負った気がした。
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