26:反抗期

 香居かいさんと分かれて部屋に戻ると、俺の部屋のドアの前に美朝みあさちゃんが座り込んでいた。

 足音に気付いて顔を上げた美朝ちゃんが俺の顔を見た途端に笑顔になる。

(……いや)

 その笑顔に僅かな屈託を感じる。

「お帰り。ちょっと早く着いちゃった」

「あ、うん」

 携帯電話に表示されている時間を見ると丁度正午だった。

「……何か、疲れてるみたい?」

「いや、大丈夫。美朝ちゃんこそどうしたの、急に」

 絵を抱え直して鍵を取り出す。気にしてくれるのは有難いが、疲れる何かがあったとするのならば俺よりも美朝ちゃんの方だろう。

「うん、ちょっと、家にいたくなくて」

(やっぱりな)

「また何かあったんだ」

「ちょっとね。でも今日はちゃんとお姉ちゃんにもお父さんにも言ってきてるから大丈夫」

 立ち上がって美朝ちゃんは言い、笑顔が苦笑に変わる。俺も美潮みしお姉ちゃんに啖呵に近い言い方をした以上、フォローはしてあげなくちゃならない。裏を返せば、美朝ちゃんにまで気遣いも行き届かないほどに、叔父さんにも美潮姉ちゃんにも余裕がないのかもしれないのだから。

「中入んな」

 俺は鍵を開けると美朝ちゃんを促す。

「おじゃまします」

「あいよ」

 俺は上着を脱ぐとソファーに投げて、絵と壁に掛けっぱなしだった礼服をとりあえず押入れに入れた。

「結婚式か何かあったの?」

「逆」

「逆?」

「そ。葬式」

 黒いネクタイを美朝ちゃんに見せて、俺は言った。逆、というのも言い得て妙だけれど、あながち的外れでもないような気はする。

「誰の?」

「友達の。……自殺したんだ」

 ネクタイを礼服のポケットにしまい、ぽんぽんと叩きながら、俺は淡々と言う。

「そう、なんだ……」

「だからって気にすることないよ。もう何日も前のことだし。服は単に出しっぱなしにしてただけだから」

「うん……」

 気も回せるし、賢い子なんだろう。気遣いは、中学生ともなればそれなりにはするのだろうけれど、美朝ちゃんのそれは、少し中学生の範疇からは少し突出している。

「昼飯は?」

「まだ」

「んじゃ上がったばっかりで悪いけど、どっか食いに行こうか。こないだは弁当だったしね」

「うん」

 一旦脱いだ上着を着て鍵を掴むと、俺は再び部屋を出た。



「訊いてもいい?」

「……死んだ人のこと?」

「……うん」

 申し訳なさそうに美朝ちゃんは俯き加減に頷いた。興味本位で訊いてしまっていることを判っているのだろう。でもそれに腹が立つ訳でもなく、今は美朝ちゃんが知りたいと思っていることに答える気になっていた。要するに余裕がないのは俺も同じで、今は一人でいたくないのだろう。全く自分の現金さにも嫌気がさしてくる。

「別に、いいよ」

「どんな人だったの?」

 近くの食堂までの道を歩きながら俺は美朝ちゃんの言葉を返す。

「明るい人だったよ、表向きはね」

「表向き?」

「多分ね。普段明るい人ってのはさ、一人になって色々と考えてる時は凄く考え過ぎちゃうほど考えて生きてる人だと思うんだ。そういうの、人に見せないために明るく振舞ってるってことがあるんじゃないかな、って」

「うん……」

 あまり納得のいってない声だ。

「明るい人皆がそうだとは言わないけどさ、その人は多分、そうだったのね」

 本当に、不器用な人だった。切り替えも上手くなくて、上手に吐き出すこともできないで。

「色々と頑張ってたんだけど、多分、その人はそれじゃ多分、嫌だったんだ」

「自分で頑張ってるのが?……嫌だったの?」

「いや、頑張ってること自体じゃなくて多分、満足したかったんじゃないかなって」

 自分は頑張ってるんだ、充実してるんだ、そう思って他のことを考えなくても良いようにしていたんじゃないか。圭一けいいちさんの存在を知ってからは特にそういう風にも思えた。

 何かの理由を外に向けたい、と感じた原因というのが、そこにあると思うようになった。

 それだけ考えても仕方のないことばかりをずっと考えていた。

「少し……。判るような気がするな」

「判る?」

 俺にはない感性を持っている美朝ちゃんから出た言葉に、少し、興味が湧いた。

「誰も、その人をちゃんと褒めてあげなかったんじゃないかな」

「え」

 褒めてない?

「頑張ってるね、とか頑張ってるんだなぁ、とかそういうことじゃなくってね、多分、その人は頑張ってる途中じゃなくて、そういうのも全部ひっくるめた結果?そういうものを凄いな、頑張ってきた結果だね、って言って欲しかったんじゃないかな」

「……なるほど」

 確かに髪奈かみなは結果に急いでいたように思う。特に俺と別れてからは。

 俺も、多分香居さんもそういう所には目が向いていなかったのかもしれない。髪奈が頑張っていることを充分知っていたから。実際目の前で見せてもらった、全ての過程を知っている、俺の最初の絵の時にしか、結果を褒めたことはなかった。今思えば、子供じみているところが殆どだった。自分本位で、いざということになると何も言えない、自己完結の典型だったんじゃないか。

(……ってことは)

 俺は目線より低い位置にある美朝ちゃんの頭を見る。

(自分が、そうなんじゃないのか?)

 父も母も姉も、頑張っている自分を、頑張っている自分を褒めてはくれない。結果がまだ出ていない上に、簡単ではない家庭の事情で彼らに余裕がないことも判っている。そこに反発する訳にもいかず。美朝ちゃんの言葉から察するに、結果の良し悪しは本人には関係ない場合もあるだろう。自分が好きな人に褒めてもらいたいから、だから頑張る、というのは様々な事柄の活動源になっていることも多い。極端な話、そこで誰も褒めてくれないのなら頑張るのを辞めてしまおう、という考えにもなるのかもしれない。

「美朝ちゃんは」

「わたしは、意味のないことは、したくないのね」

 俺の言葉を遮るように美朝ちゃんは口を開いた。多分わざと俺の言葉を遮ったのだろう。

「褒めてもらえないんなら、ってことか」

「違うよ」

 苦笑しているのだろうが、酷く寂しげな笑顔で美朝ちゃんは続ける。

「褒められて嬉しい人とそうじゃない人がいるってこと」

 随分とドライな考えだ。

「美朝ちゃんは嬉しくないってことか」

「嬉しくないっていうよりも、意味がないよね」

「……」

 ありがち、といえばありがちな、反抗期の言葉だと気付く。無意味に親を敵視することは多分俺にもあったと思う。

「例えば、わたしがテストでイイ点を取っても、イイ高校に入っても、それでわたしが褒められたことが大人になってからの支えになるとは思えないもん」

「でも悪い気はしないでしょ」

 それに自身の努力の末、という土台は自信に変わる。

「そうかな……。むしろおべっかみたいで嫌な時のが多いよ……」

 本当は褒めてもらいたい。そんな気持ちが見え隠れしているような気がする。そういう言葉が出るのも褒められ慣れていないせいなのかもしれないし、照れ隠しで言っているのかもしれない。

 俺にはそう思える。

「褒められても褒められなくても、自分が頑張ったってことは、きっともう少し時間がたってから自分を作った一部になってんだな、って感じると思うよ」

 いい加減に過ごしても、有意義に過ごしても、その時間は必ず自分を構築するものの一部として残ってしまう。そしてそれが一番ありがちな、あの時もっとこうしていれば、という判りやすい後悔に変わる。

 そう思うことがこれからの時間を大切にしていこう、という気持ちに繋がることもない訳ではないと思うが、その時に駄目だった人間は何をやっても駄目な場合が多い。それは俺自身のことだから良く判る。

 後悔だけで終わってしまうことしかない。後悔から得られるものがあることに気付いているのに、何も行動を起こせない。

 だからこの位置から動けない。

「後の自分のためってことだよね」

 それも子供なら聞き飽きている言葉だろう。結局俺も月並みな言葉しか言えない人間だ。

「ま、そんなもんは、聴かなくても良いと思うけどね」

 だから少し、俺も子供じみた言葉を口に出す。

「え?なんで?」

 美朝ちゃんが問うのと同時に足を止めた。

「ついたついた。続きはメシ食ってからでもいいでしょ」

 自分がまだ年端も行かない小僧なのに、こんな話を偉そうに美朝ちゃんにはしたくなかった。

「あ、ここなんだ」

「そ、まぁ見た目はいいとは言えないけど、旨いからさ」

 そう言って先に暖簾をくぐった。


 26:反抗期 終り

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