25:カタミ

『午前中は用事があるから』というメールを美朝みあさちゃんに送って、俺は香居かいさんと共に髪奈かみなの家へと向かった。

「ごめんね、呼び出したりして」

 迎えてくれたのは裕江の兄さんの圭一けいいちさんだった。

「いえ……」

 家の中へ案内された。行き着いた先は少し整理されたのであろう髪奈の部屋だった。

「……裕江ゆえの、部屋ですね」

「うん」

 香居さんの言葉に圭一さんは短く答えた。

 何枚もの絵が飾られている。シーツがかけられているものも多かった。あの、美朝ちゃんと同性代くらいの、恐らくは従妹の女の子であろう絵もあった。

「これを……」

 そのシーツがかかっている絵の内の一枚を圭一さんは手にとって、シーツを取った。

「私だ……」

 香居さんの横顔が描かれていた。俺は絵の中の香居さんと隣にいる香居さんを見比べた。俺の絵の時もそうだったが、やはり少し美化されているように思えた。元々香居さんは綺麗な人だと思うが、絵の中の香居さんは更に綺麗だ。

 綺麗なのに、とても悲しい顔に見える。絵の中の香居さんも、俺の隣の香居さんも。

「……」

 しばし無言が続いた。

「多分、最期に完成した作品なんだと思うよ」

「最期……」

 その絵を胸に抱くようにして、香居さんは俯いた。

「それと、もう一枚」

 そう言いながら圭一さんはもう一枚の絵を手に取った。そして先ほどと同じようにシーツを取る。

 今度は俺の絵だった。

 こっちは下書きが終わったくらいの段階で止まっている。

 それはつまり。

(俺を描きながら死ぬことも考えてたんだろうな……)

 多分、俺が最期に髪奈に会って、話した時の絵だ。小高い丘の上にある公園の、恐らくは、前に俺を描いた時と同じ、夕刻時の。

 それほどにあの時のことを記憶していたんだろう。

「これをね、君達に渡さなくちゃいけないな、と思って」

「でも……。いえ、そうですね。見るたびに裕江を思い出して辛いかもしれないけど……。裕江を忘れないために、貰った方がいいんでしょうね」

 香居さんは言って少し笑った。

 強い人だ。

 俺はそこまで強くはなれないけれど、香居さんの気持ちも判るような気がする。口に出せるほど強くはなく、賛同ができないほど弱くもなく。

 ひどく中途半端だ。

 今の俺は。

「そう言ってくれるとありがたいよ」

 寂しそうな笑顔で圭一さんが言う。どことなく裕江に似た寂しい笑顔で。

「大切な妹だったよ。仔犬みたいにコロコロ表情を変えて良く僕に突っかかってきてね」

「聴いてましたよ。裕江も圭一さんが大好きだったんだと思います。……多分、兄妹という関係以上に」

(……そういうことか)

 何となく理解した。いや、多分勝手な思い込みでしかないのだろうけど。それを確認する相手はもう、いない。

「何となくね、そういう部分はあったのかもしれないなって思ってたよ。多分、僕のせいなんだろうね。どれだけ傷付けても駄目なことは駄目だと言えてれば……。結果論、なんだろうけれどね」

 全くだ、と思う。

 今何を言っても仮定であり、要素でも要因でもない。結果が変わるのならばそれも有意義なのかもしれないけれど。

「知っての通り、あの性格だからね。不器用なくせに自分の気持ちを隠すことだけは上手かったから……。僕には裕江が本当はどう考えていたのか、これで何を伝えたかったのか、判らないままだよ」

「それは、俺達にだって判りませんよ」

 圭一さんの言葉に俺はそう返した。血も涙もない言いようだと判っていながら。何を伝えたかったのか判るはずもなく、何かを、こうすることによって伝えたがっていたのかだって判っている訳じゃない。生き残った、生き長らえている者達の勝手な思い込みだけで。

「……そうだね。僕は何も判ってやれなかったんだろうな」

 こうしていれば、ああしていれば、と思うことは誰にでもあることだ。俺にだって山ほどある。どれだけ俺のことを判ってくれていたのか。どれだけ俺が言ったことを考えてくれたのか。全てが無意味だったとは思いたくはないけれど、結果が突きつけてくる。

 俺がしたことも、俺の存在そのものも全くの無意味だったということを。きっとそうして、自分を正当化したいのかもしれない。

 死んだ者の為に深く考えているかのように見えるだけだ、それは。

 俺も、あのくだらない因縁を吹っ掛けてきた男も変わらない。

 後悔が残る部分をさらけ出して、自分が納得したいだけだ。

「人一人、判ったつもりになるって、残されると堪えるものですね」

 香居さんが口を開いた。

「こうして結果を突きつけられれば、親友だなんて、言葉だけのものかもしれないな、って」

「……今残された結果だけで考えるのは良くないと思うよ。裕江はあの通り、自分の考えを確り持っていたからね。その考えの中で、君達を思い起こさない訳がないよ」

 自分自身にも、俺にも向けられる言葉を圭一さんは香居さんに向かって言った。間違っているとも正しいとも言えない言葉だけど、確実に、残された者だけの、勝手な都合だ。逆手に取るならば、俺や香居さん、家族のことを考えてなお、髪奈は死んだ、ということになるのだから。この考え方だって、取り残された俺の勝手な考えだ。

「何にせよ、色々と時間が必要だね。判らないことに対して無理に答えを出す必要性は、今はないんじゃないかな」

「そう、ですね……」



 俺と香居さんは各々絵を持って髪奈の家を後にした。

 バスを待つ間、香居さんが煙草に火を点けた。

「煙草、吸うんでしたっけ」

「あいつがあたしんちに残してったやつなんだ……」

 そう言いながら、香居さんは俺に一本勧めてきた。俺も普段は吸う習慣はないが、その一本を取ってライターも受け取った。

「結局何も判らなかったけどさ……。親友とか言っても無力だな、ってことだけは判るよね」

「そういう、普通な考え方しても通じないでしょ、あの人には」

 俺だってきっと、髪奈の彼氏として何かをしてやれた訳ではない。

「まぁね。たださ、心のどっかでね、あいつはやっぱり圭一さんのこと整理つけられなかったんじゃないかな、とか思ったけど、そういうの、部分的にしか見えなかったし、どこまで本気だったのかも今一つ判んなかったっつーかさ」

 トン、と灰を落として香居さんは続けた。

 俺はその後に煙草に火を点けた。吸い込んだ煙が肺に引っ掛かる感覚が、今は何故か心地良かった。

「動いてる時は常に目一杯全力ー、みたいな部分、あったでしょ」

「ハチャメチャっぽかったですけどね」

「本気な部分が一番見え辛かったのかもね。一生懸命やってんだから、ってのは身体いっぱいで表現してたし」

「そういうのが多分、あんまりいい方向に向かってなかったんじゃないかな、って思いますけどね」

 認めてやっても良かったのに、どこかがずれていたから。

「それはそうだろうね。……幸せの定義なんて他人が線引っ張っていいもんじゃないけど……。あの子は幸せだったのかな」

 自分で決めたことだからといって、それが幸せに繋がる訳じゃない。多分髪奈は普通に誰にでもある間違いをしただけだったんだろう。ただ単に、取り返しがつくかつかないかが普通ではなかっただけだ。

「判りませんね」

「あいつ本人が頑張ってるって思ってたらマシなのかもしれないけどね」

「そうすね」

 端的にしか答えられない。どちらとも思えなかった。反論して話を続ける気はないし、反論するだけの言葉も見当たらない。香居さんは香居さんなりに、ままならないことに対して、自分なりに納得できる答えを口にしているだけだと思うから。それが俺自身が納得できる答えとは違うだけだから、何も言葉は見つからない。

「死んだ人間相手に必死になったところで、多分何も得られないんだろうけど……」

「そうだね……。あいつは、もう、いないんだし、ね」

 視界の先にバスが見えた。

 俺と香居さんは煙草の火を消した。

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