19:真意と表層
少し大きめのスポーツバッグを持って、駅には一つしかない改札口に
あまり駅から離れるな、と言っておいたので近場の本屋なり喫茶店なりに行っているかとも思ったが、改札口から動かないでいてくれたようで助かった。
「あれ?早かったね」
小さな、可愛らしいレモン色の腕時計を見てから美朝ちゃんは笑った。
「うん。ごめんね待たせちゃって。メシは?食った?」
「まだ。部活長引いちゃって」
「何かやってたっけ?」
スポーツか何かだったかな。聞いた覚えはないから適当だけど。
「うん。文芸部。本を作るから」
全然違ったか。でも言われてみれば確かに美朝ちゃんは運動部よりも文化系のイメージだ。
「へぇ。んじゃとりあえず弁当でも買って帰るか」
本当なのか言い訳なのかは今ひとつ判らないが、こうして会えたんだから、部活のことは大した問題でもない。むしろ本題なのはここからの時間だ。
「うん、あ……」
「重そうだからさ。俺どうせ手ぶらだし」
美朝ちゃんが持つスポーツバッグを持って俺は歩き出した。
「何かさ、変だよね」
「何が?」
「お父さんが出かけるからって、何でわたしとお姉ちゃんが泊まりに行かなくちゃいけないんだろう」
また随分と下手な言い訳を考えたな。ずっこけそうになるくらいだ。
「
「口ではいつももう大人なんだから、とか言っててそういうときだけ子供扱いなんだ……」
「ま、そんなもんだよ、親なんてのはさ」
と言って俺も大人の片棒を担ぐ真似をする。まだそんなに遠い昔ではない思春期。だから、美朝ちゃんが欲している答えは、判らない訳ではないし、はぐらかせない訳でもない。
「大人が知ってるようなことだって本当は知ってるってこと、親は知らないんだもんね」
「……」
そうストレートに言われると返答に困る。美朝ちゃんのその言葉は、自分が子供だと主張しているのと同義だ。そして子供というのは親が考えている以上に耳年増で、そうしたことを単に知識として知っているに過ぎない。それだけに、口だけは達者で、大人の仲間入りでもしたかのように、大人に反発したくなる。つまるところ、つい数年前の俺がまさしくそうだった訳で。
多分、中学生の時分というのは一番『大人』という知識を吸収する時期だ。二十歳にも満たない俺が言うのも滑稽ではあるけれど、さすがにローティーンよりは、ほんの少しだけ経験点も多い。
「あ、あれ、わたし、何か変なこと言った?」
俺の間にたじろいだのか、妙に焦った口調で美朝ちゃんは言う。
「いや」
俺の想像通りだったので、思わず可笑しくなってしまう。
「確かにね、親が思ってるより子供は成長してるもんだけどさ。俺だって未だに子供扱いだよ」
「独り暮らししてるのにねー」
「……」
吹き出しそうになる。独り暮らしだとか、大学生だとかいうだけで無条件に大人だと思うこと自体子供の発想だ。可愛らしいことこの上ない。
「ま、そうだね」
「何か動物とか飼ってるの?」
「いや、学校行って、バイトして、バンド練習やって、なんてしてたら面倒見られないしね」
「そっかぁ。それじゃ可哀想だもんね」
苦笑した顔も可愛らしい。
「そうだね」
だからこそ、か。美潮姉ちゃんは、美朝ちゃんを守りたいんだ。汚い大人の都合に、大切な妹を巻き込みたくないのか。そんな思いが今更ながらに伝わってくる思いだった。
「わたし、飼うなら猫がいいな」
「超判る」
そんな些細な話をしながら俺は美朝ちゃんと部屋へ戻った。
部屋に戻る途中で買った飯を食って一息ついた後、急に美朝ちゃんが赤面しながら口を開いた。
「ね、ねぇお兄ちゃん、オフロとかは?」
「あぁ、沸かさないとね。忘れてた。ちょっと待ってて」
とりあえずお客さんだし。浴槽を洗って、湯を沸かさないと。
「うん……」
「ちゃんとカギかかるから大丈夫だって」
「あ、うん」
昔は良く一緒に入ったりもしたが、そういうことを思い出しているのだろうことは明白だ。今になってそんなことをする訳もないのに、困ったもんだ。正直、間が持たないぞ。
「手伝うよ」
バタバタと立ち上がって美朝ちゃんが近付いてきた。
「え?あ、いいよ、狭いし。すぐ終わるから」
「でも、お世話になるんだし」
既にズボンの裾をまくり、風呂場にいる俺はそう言ってシャワーの水を出す。
「いいって、美朝ちゃん制服のまんまだしさ。濡れたら困るでしょ」
「ジャージあるもん」
「でもなぁ……。このスペースだよ」
トトンと音を立てて俺の後ろまできた美朝ちゃんに我が部屋の風呂場の狭さを見せる。現実的に二人で清掃作業するスペースではないと、誰もが判る見事な狭さだ。
「じゃあわたしがやるから、お兄ちゃん休んでていいよ」
「いいって、美朝ちゃんこそお客さんなんだし、ゆっくりしてな」
「んー、じゃあ何か手伝いできることがあったら言ってね」
「あぃよ」
それなりに気は遣っているんだろう。マメな子なのかもしれないな。
少し丁寧に浴槽を洗って、水を溜め始めると居間へ戻る。テーブルの上にノートを広げて、美朝ちゃんは何かを書いている。
「……べ、勉強?」
絶句しかけて、何とか俺はそれだけを言う。この状況でも勉強ができるのは、相当にメンタルも強いのではないだろうか。
「え?あ、違うよ」
真面目な子なんだろうけれど、流石に勉強ではなかったか。驚いた。
「あぁ、部活の……?」
「うん」
確か文学部とか文芸部とか何とか。
「本出すって言ってたけど、どういうの書いてるの?」
「わたしは物語をね。他の人は詩を書いたり、エッセイを書いたり」
「へぇ。完成したら読ませてよ」
「うん、いいよ」
嬉しそうに美朝ちゃんは頷いた。好きでやってることなんだろうなぁ。俺なんて自分で書いた歌詞ですら他人には見せられないってのにたいしたもんだ。
好きでやっているからこそ、それが楽しくて仕方がないんだろう。確か叔父さんが志望校のランクを一つ落とした、と言っていたのを思い出した。それにそういう好きなことだけに逃げたい、という気持ちもあるに違いない。それこそ親のことで。
俺が受験生の頃はバンドばかりやっていた。俺の場合はただ単に受験勉強が嫌だっただけだけど。
でも『せめて高校くらいは』という感覚はこの年になって、大学生にもなれば無意味だということは判ってくる。それこそ医者や弁護士などを子供の頃から目指しているのならば話が別だが、俺のように別段やりたい仕事もなく大学生になってみれば、義務教育を終えてすぐに社会に出ている人の方が社会人として立派だと思える。
四年もの間しっかりと何かを身に着けるために勉学に励む大学生はまったく別の話だが、何をしようか迷いながら、就職活動のシーズンになれば『卒業したら働く』という世間体、一般常識の元、身の丈に合った会社を選んで否応無しに就職しなければならない。
その間に義務教育を終えてすぐに社会に出た人は、どんどんと社会人としての知識や常識を身に着けて、それは七年という長い年月のアドバンテージとなる。
それこそそんな社会人を相手取った髪奈の行動が、いかに甘い行動なのかというのは、まだ大学生である俺にだって想像に難くない。
色々と考えながら何かをノートに書いている美朝ちゃんを見て、俺はギターに目を向けた。間も持たないことだし、あえて色々話しかけるよりは、と俺はギターに手をかける。
「あ、弾いて、ギター」
集中していたのかと思ったが、美朝ちゃんがすぐに俺の方を見て言う。
「まぁ、いいけど。……そういやこないだ弾いてやんなかったもんね」
そう言って俺はコードを一つかき鳴らす。ギターを持つと、俺は自然にAのコードを鳴らす癖がある。人によってはまばらだし、ジャイアンツファンは初めにGを押さえるだとか、カープファンはCを押さえるだとか、それこそ諧謔に満ちた話が山ほどあって面白い。
「わー、すごいっ」
コード一つで美朝ちゃんはぱちぱちと手を叩く。律儀というか、なんと言うか……。
「美朝ちゃんが知ってるような曲、俺、知らないなぁ」
「何でもいいよー。お兄ちゃん自分達で曲創ってるんでしょ?」
「俺は作曲はやってないから弾き専門だけどね」
苦笑して俺は選曲を始める。うちのバンドの曲の中でもスローテンポの曲のコードを一つ鳴らしてから、演奏に入る。
アンプは通していない、歌はない、で随分と寂しい感じもするが、それでも美朝ちゃんは目を見開いて俺の手元を見続けた。
特にトチることもなく最後のコードをゆっくりと鳴らすと、美朝ちゃんはまたぱちぱちと手を叩いた。
「すごーい!」
悪い気は、しないな。ま、それだけ練習はしてたんだけど。
「今度ライブやるから、その時はおいでよ」
「うん、絶対行く!」
「チケット二千円!」
「えぇ~!」
「あはは、嘘だよ。美朝ちゃんにはただであげるって」
美朝ちゃんがどれだけ小遣いを貰っているかは知らないが、実際俺が中学生だったころは一気に二千円が飛ぶというのは結構な出費だ。それでもライブの予定は年明けだし、年明けならお年玉とかもあるんだろうけど。
「やったー!いつ頃?」
「年明け」
「テスト前かぁ……。うん、でも、行く!」
「息抜きも必要でしょ。一日くらい」
そうか、美朝ちゃんは受験生だ。そんな余裕はないかもしれないな。でもま、たまの息抜きくらいなら大丈夫だろう。それに、どうせライブは早くても夕方からだし、一日棒に振る訳じゃない。
「そうだよね」
「でも落ちても俺のせいにすんなよー」
冗談めかして俺は言う。妙に家族の話など持ち出されても、俺も困るし、こんな些細な会話をしている方が気が楽だ。
「えへへ」
そうこうしているうちに、風呂に水が溜まる頃合だ。俺は風呂場へ行って、水を止めると早速風呂を沸かし始めた。
「沸いたら入んな」
居間に戻って美朝ちゃんにそう言うと、俺は再びギターを抱えた。
「うん」
また美朝ちゃんが赤面する。困ったもんだ。
「大丈夫だよ。美朝ちゃんが入ってる間は外出てるから。鍵かけて、終わったら電話してよ。それから鍵開ければいいから」
「あ、うん、判った」
まさかそこまでしないといけないとは思わなかったが、まぁそれも仕方のないことだ、と諦めるしかない。
どうせ毎日続くことじゃないんだし。
19:真意と表層 終り
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