15:チェックバック

『ちょっと、今度いつ帰ってくるの?』

 俺の携帯電話に母親から電話があった。そういえば随分と久しぶりに聞く声だ。

「え?あぁ、そうだなぁ。……今週末は帰れるかな。練習あるからその後になるけど」

『あ、そう?私も週末に帰ってこいって言うつもりだったんだけど』

「何かあんの?」

たかしがくるのよ。どうせなら皆でご飯でも、と思ってね』

「あぁ、んじゃ行くよ。美潮みしお姉ちゃんと美朝みあさちゃんもくんの?」

 崇というのはうちの母親の弟で、母の旧姓、由比ゆい家の長男になる。あまり親戚付き合いがない中で、一番付き合いのある親戚だ。こうして時折遊びにくる。俺が子供の頃は女手が必要だ、っていうんで、しょっちゅう実家にきていた。美潮姉ちゃんの母親が、美潮姉ちゃんが生まれてすぐに病気で亡くなって、何かとうちの母親も世話を焼いていた。美潮姉ちゃんの妹になる美朝ちゃんは、その後崇叔父さんが再婚してできた子供だ。美潮姉ちゃんは二七歳で美朝ちゃんは一五歳。母親は違うし歳は離れているけど、仲は良い。今の崇叔父さんの奥さん、清美きよみさんは家を出て行ってしまっているそうで、確か俺が裕江ゆえと付き合い始めた頃にも一度実家へ遊びにきていたらしい。

『くるって言ってたわよ。そいじゃ週末ね』

「あぁ、判った。んじゃ」

 久しく会っていない美人姉妹の顔をあまり良く思い出せないまま、通話を終える。正直まだ一人でいる時間がきついこともある。賑やかなのは少し救いになるかもしれなかった。



 あまり調子が良くない。今日の練習に谷崎たにざきさんがいなかったのは不幸中の幸いだった。

「まだヘコんでんのか?」

 冴城さえきさんが言う。少し厳しい口調に俺は俯いた。

「やっぱ、悪かったっすか、今日」

「あぁ、張りなかったし。オルタネイトがぐちゃぐちゃだったぞ。谷崎さんいたら大目玉だぜ」

「すんません……。ライブ近いし、何とかしないとな」

「気に病めば病むほど裏目に出るからな。まぁさっさと忘れろ、ったって無理かもしれないけどさ」

 八木やぎはフォローするように言ってくれた。確かにこのままじゃ前には進めたことにはならない。失恋のショックで色んなことが上手くやれません、みたいなのは言い訳でしかないと思っていたし、俺自身そう思いたかった。でも身体なのか、心なのかはわからないが、正直に出てしまっている。

「ま、とにかく頼むぜ。オレは学生ラストのライブになんだからよ」

 卒業論文が決まって、就職も決まった冴城さんは残る学生生活を謳歌するんだ、と豪語している。学生では確かに最後のライブだ。そんな時に俺一人で沈んで、バンドを滅茶苦茶にする訳にはいかない。

「うす」

 弾いている時も気にはなっていた。冴城さんと八木のノリがおかしかったのに気付いて、すぐにその原因が俺だと気付いた。確かにノレていなかったように思うけど、それが裕江との別れでそうなっているとは思いたくなかった。

 もう大丈夫だ、と自分では思っていても、周りがそれを許さない。忘れようとしてあらゆることに触れないようにしているのに、周りがそれを掘り起こす。そうして自分の心に負担をかけ続けている。だから、そういった反動が出てくるのか。

「とりあえず、次はもっとマシな弾き、見せます」

 苦笑して俺は冴城さんと八木に言った。

「判んない訳じゃないからなぁ……。ま、頑張れよ」

「あぁ」

 頑張りようのないことで頑張れ、と言われてもどうしようもないが、心遣いはありがたかった。



 実家には確か半年以上帰ってなかった。

「あ、お兄ちゃん帰ってきたよ」

 玄関を開けると、台所へ入ろうとしていた可愛らしい女の子が俺を見て声を上げた。一瞬判らなかったが、美朝ちゃんだ。会うのは三年ぶりくらいだ。一五歳ともなると、少し大人びてきて元々可愛らしかった顔からほんの少し子供らしさが抜けていた。

「久しぶり」

 俺は笑顔で美朝ちゃんに挨拶をする。

「うん。ご飯もう少しだって。居間にお父さんいるよ」

「あぁ」

 靴を脱ぎ、居間に入ると、すぐに崇叔父さんが俺の方を見る。

「少し見ない間に流石にでかくなったなぁ」

「とりあえず大学生やってるからね。コレでも」

 美潮姉ちゃんの姿が見えない。俺の親父は当然仕事で遅いだろうけど、美潮姉ちゃんもそうなのだろうか。

「美潮姉ちゃんは?」

「仕事だって。後からくるよ」

 後ろからお袋が料理を持って居間に入ってきた。

「お、うまそー」

「ちゃんとしたもの食べてないんでしょ、どうせ」

「まぁね」

 入り口からソファーに移動しながら俺は答えた。ギターケースはとりあえずソファーの横に置く。

「ねぇお兄ちゃん、ギター聞かせてよ」

 更に後ろから美朝ちゃんも料理の乗った皿を持って入ってきた。中学生らしいセミロングが可愛らしく揺れる。昔から俺に良く懐いていて、元気な子だ。

「んー、後でね。腹減ってるからさー」

「いっぱいあるからいっぱい食べた方がいいよー」

 屈託のない美朝ちゃんの笑顔を見て自然に笑顔になった。美朝ちゃんも美潮姉ちゃんも、崇叔父さんが父親の割には、何故か整った顔立ちをしている。俺が小学生だった頃は美潮姉ちゃんが大好きだった。多分あぁいうのを初恋とか言うのかもしれない。

「アサは来年受験なんだよ。全然勉強しないから志望校のランク一つ落としたんだよな」

 笑いながら叔父さんが言う。

「もー!そういうこと言わないでよ、お父さん!」

「まぁ俺だってロクに勉強なんてしてなかったけど、大学生になれたし、大丈夫だよ」

 賑やかなのがこれほど助かるとは思わなかった。色々と余計なことを考える前に、そんなことすら忘れさせてもらえるのは気が楽だった。


「ねぇ、わたし、ロボの散歩行ってきていい?」

 ロボってのはウチで飼ってる雑種の犬のことだ。シベリアン・ハスキーの血が混じっているんで、狼に似たような精悍な顔つきをしていることからついた名前だ。

「あぁ、今日は買い物とかで散歩行ってないからお願いしちゃおうかな」

 お袋が言ってリードを取ってくる。そういえばまだ戻ってきてからロボの顔を見てなかったな。

「あんたついてってやんな」

 リードを俺に手渡してお袋が言う。

「はぁ?」

 ゆっくりしたかったけれど、まぁ仕方ないか。確かにおふくろの言う通り、この辺の地理にだって強くない美朝ちゃんを一人で出歩かせるのも不安だ。まぁ、ないだろうけれど、もしも美朝ちゃん一人で散歩に行かせて迷子にでもなったら、結局俺が探しに行くことになる。

「ちょっとぶらっと行ってくるだけじゃないの。アサが迷子になったらどうすんの」

 俺の心中を見透かしたかのようにお袋が言う。……判ったってば。

「そーよ、どーすんの」

 更に美朝ちゃんが冗談めかしてたたみかけてくる。

「判った判った。じゃあ行こうか」

「うん」

 元気良く頷いて美朝ちゃんは立ち上がった。ロボ用のリードを持って玄関へ向かう。その後ろを美朝ちゃんがトコトコとついてくる。

「ロボ、散歩行くぞー」

 ロボの小屋の前まで行くとおれは声をかける。すぐさま俺だと気付いたロボが物凄い勢いで駆け寄ってきた。ロボを捕まえて頭といわず腹といわずとにかく撫でまくる。小屋に繋がれているリードを外し、散歩用のリードに付け替えるとそのリードを美朝ちゃんに手渡す。

「すっごい喜んでるねー。ちゃんと覚えてるんだ」

「かもなぁー。それにしても久しぶりだなーロボ」

 家を出てとりあえず近場の公園へと向かう。俺が実家にいたころはいつものロボの散歩コースだった公園だ。リードを持つ美朝ちゃんと並んで歩く。

「美朝ちゃん背はあんま伸びてないねー」

 見たところ一五〇センチもないかもしれない。

「んー、まだ伸びるでしょ」

「俺は中学で止まっちゃったけどな……」

「えー、そうなの?」

 何気なくそんな話を続けていると携帯電話が鳴った。

「……」

 番号非通知だ。

「出ないの?」

 俺の顔を覗き込むように美朝ちゃんが言う。

「あ、あぁ……。もしもし?」

『あたしー、判る?』

 判らない訳がない。

「どしたの?」

『んー、急にヒマんなっちゃってね。そっち行ったらダメかなぁ』

「あ、俺、今実家なんだ」

 何のつもりだか判らないが、今二人きりで会う気にはなれない相手だ。

『ちぇー、なんだー』

「何、ヒマって」

『や、今日さ、呑み行くはずだったんだけど、ドタキャン喰らっちゃってさ』

 つまらなそうに言う。

「香居さんと?」

『ちっがうわよ。ちょこっとイイナーって思ってたヤツなんだけどさ』

 ってことは男か。そういう話を以前付き合っていた男に話す無神経さは、こいつの場合、無神経ではない。本当に周りのことがどうでも良いだけだ。改めてそう認識する。だから、俺もどうでも良い。

「で、前のオトコに電話かけてきたってことっすか」

『いや、そういうイミじゃないんだけど……。単にヒマかな?と思っただけで』

「実際あんまヒマじゃないすね。そっち行くだけでも一時間はかかるし」

 本当に好きで、会いたいと思うのなら一時間くらいどうということもないのだろうが。どうやら俺も冷めてきたってことらしい。

『だねー。ま、仕方ないか。んじゃね』

 ぶつ、っとあっさり会話は終わった。

「電話、彼女?」

 美朝ちゃんが立ち止まり、俺と並ぶとそう訊いてきた。

「いや、知り合い。呑み行かないかってさ」

「行くの?」

「行かないよ。遠いし」

 苦笑して俺は言う。それに、あまり見たい顔じゃない。

「彼女、いないの?」

「いないねぇ」

「一人も?」

「フツー一人しかいないもんでしょ」

「じゃなくて」

 判っていたけどわざと半分からかった。

「前に一人いたけどね。あんまり続かなかった」

「結婚とかは考えなかったの?」

「考えなかったね」

 突拍子もないな。流石にまだ中学生か。理想は初恋の人と添い遂げる。でもこれは多分、できることなら誰だってそうしたいし、誰だってそうなったら良いと思っている。いやまぁ、ゲーム感覚で恋愛を楽しむ、みたいな人種は違うのかもしれないが。

「やっぱり別れるのとか普通なんだ」

 少し俯いて美朝ちゃんは言う。それが普通かどうかは人それぞれ……。

(いや、そうか)

 美朝ちゃんは自身の両親のことを考えている。美朝ちゃんにとっては他人事ではない。どうしたら良いか実際迷う。

「フツー、じゃあないとは、思うけどね」

「え?」

「そりゃね、美朝ちゃんから見れば、俺が別れたことはヒトゴトだし、フツーかもしれないけど、本人同士は特別だよ」

 美朝ちゃんの親のことには触れずに言う。自分の失恋体験が事例になるなんて皮肉だけれど、ま、誰かの役に立つのならいくらかましだ。まだ中学生の美朝ちゃんに理解できるかどうかは、判らないけれど。

「普通に付き合って普通に別れるなんて方が有り得ないんじゃないかな」

「でも、何でかな……」

「付き合い始めるときも別れるときもそれなりに理由があるんだよ」

「お兄ちゃんもあったんだ」

「まぁ、ね」

 それが何なのか、と問われれば、俺の中にもその答えはないけれど。

「わたしもそういうの、経験するのかな」

「それは判らないね。初めて付き合って、そのまま結婚する人だっているしさ」

「そっか……」

(稀だと思うけど)

 口には出さずに俺は美朝ちゃんを見る。好きな男の子でもいるのかな。

「でも結婚したって別れちゃうことだってあるんだもんね」

「まぁ人間対人間だし……。どこで何が崩れるか、なんて、本人同士だって判っちゃいないと思うし」

 結婚がゴールイン、だなんてのは結婚を売り物にしている連中の言葉だ。冗談の域を飛び出てしまいそうなほどに、結婚は墓場だ、と言う人だっている。

「……」

 まずい。

 言い方を間違えたかもしれない。自分のことに照らし合わせすぎた。

「そっかぁ。人と人だもんね。自分のことだって良く知らないのに、他人のこと、判ろうとするのは本当に難しいのかもしれないね」

(ほぅ)

 正直感心した。ちゃんと判ってる。子供じゃない、ということか。

「多分、そういうことなんじゃないかな」

「うん……」

 それでも全部が駄目って訳じゃないんだし。これだ、と決め付けられることなんてきっとないんだ、と思うし。

「うぉふ」

 俺の心中を察するかのようにロボが小さく吠えた。


 15:チェックバック 終り

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