14:終わる要因
結局のところ、原因と呼べそうなことなんか、あのくだらない男の横槍でしかなく、しぼみ始めた風船が、二度と膨らまないように、俺と
ただそこで付き合いそのものがなくなった訳ではなく、恋人同士としては終わった、奇妙な友人関係のようなものが続くようになった。やっぱり、というべきか、当然、というべきか、
「よ、ギター少年」
スタジオへ向かう俺に声をかけてきたのは裕江だった。
「うす」
「ライブあるんだよね。
「ま、年明けですけどね。気合っす。気合」
ぱん、と腕を叩いて俺は笑った。何だか複雑な気持ちだけれど、これには慣れて行かなければならないし、時期に慣れるだろう。……多分。
「いいねぇ、若者はー。あたしは何だか全然ダメだわ」
「まだ描けないんすか」
「ううー、イイオトコがいなくてね」
冗談交じりに裕江は言う。俺の絵を描いてからまだ新しいものは一枚も描けていないらしい。まぁ今となっては知ったことじゃないけれども。
「別に男じゃなくたっていいじゃないすか」
「まーねー。最近は前に描いた絵とか、あちこち売り込んだりしてんだけどねぇ。やっぱ甘くないっすわ、シャカイは」
けたけたと笑って、裕江は苦笑に変える。シャカイ、ねぇ……。
「人と違うコトすんのにケッコウなエネルギー要るつったの、あんたっすよ」
俺も裕江の苦笑に乗っかる。
「ま、なんだけどさー。……で、新しいオンナ、できた?」
「今んとこ、気が向かないっすね」
裕江への気持ちが薄れているのは確かだ。けれど、なくなってしまった訳でもない。こうやって会って話せばやり直せるんじゃないか、とさえ……。考えちゃだめだな。そういうのは。自分をより一層惨めにしてしまう。
「早く見つけなよー。あたしのせいでできないみたいじゃん」
「そんなことはないけどね」
だから彼女が欲しいだとか、そういう訳でもない。今はあまり煩わしい事をしたくないだけで。終わってみて、悪目立ちしたところだけが浮き彫りにされれば、正直しばらくはあんな面倒なこと、したいとは思わないだけだ。
「練習、見てく?」
何となく間をもてあまして、俺はその気もないことを口走る。
「いや、これから出版社周るから」
「そ。んじゃ」
「あいよ」
ぱん、と俺の肩を叩いて裕江はきびすを返した。
(らしくないな……。他人の心配なんて)
どこかでそんなことを思う。別れてからまだ二週間だ。俺も裕江も色々と引きずっていることはある。それでも顔を合わせるたびに、気まずい思いをすることはないだろう、と裕江は別れた後も友達付き合いはしていこう、と俺に言った。
俺はもう、どうでも良くなってしまっていたから、裕江の気持ちを汲んだ。別に会っても話すことなんてなくしている現実を見れば見るほど、そう思った。むしろ顔を会わせて、気まずい思いをしていた方が良いんじゃないかとさえ思える。それほどに、俺の中に残っている裕江への気持ちが中途半端なものに変わっていた。
結局、一度や二度の失敗で終わるような、それだけの仲でしかなかったし、俺が裕江を想う気持ちでやってきた色々なことが、全部無価値で終わったことがきつくて、悲しくて、重かったけれど、それまでだった、ということに気付けた時に、少し楽になれたような気はした。
ただ単に飽和してしまったのかもしれないけれど、それは俺自身判っていない。裕江は俺を信じることはなかったし、俺も、どこかで裕江を信じることができなかったんだと思う。ただ単に、身体と言葉の遊びで終わってしまった、ということだ。
真剣だと思っていた。
本気だと思っていた。
けれど、離れてみて気付いた時には、本当にそんな気持ちが、本当だったのか、良く判らなくなっていた。言ってみれば、今の俺の気持ちは残滓でしかなく、そう時間も経っていないせいで、極端に悲観的になっているのかもしれなかった。
落ち込むことは少なくなってはきたけれど、それでもまだ、思い出したくないことを思い出せば、痛む傷は俺の中に残っている。
(俺も、同じか……)
付き合っていた時も、別れた今も、裕江のことばかりを考えている。外から見れば、何が変わった訳でもないのに、俺の中は多分大きく変わっているんだろう。それが良いことなのか、悪いことなのかは時間が経たなければ判らないけれど。
食堂で飯を食っているとすぐ隣に誰かが座る。最近の俺はなんだか余りまわりのことに気が向かなくて、それが誰であっても構わなかった。
「よ」
声がかかってから相手の顔を見る。あのくだらない男。もう名前も思い出せない。
「ども」
短く答えて、俺は視線を戻す。この期に及んでまだ何かあるのか。俺の方は特に話すことなどないが、ざまぁみろ、とでも言いにきたのか。
「あんたらさ、別れたんだってな」
「はい」
「……俺の、せいだろうな」
前みたいな感じの悪さは何故かない。男は紙パックのコーヒーにストローをさしたままそれを飲もうとはせずに、テーブルの上に置いた。
「俺が妙な口出したから……」
「カンケーないすよ」
確かに要因の一つくらいにはなりえたのかもしれないけれど、結局のところ、俺達はあそこまでだった。
「俺さ、あんたらが妬ましかったんだ。別にあんたが嫌いな訳でも、
「……」
今更そんなことを俺に聞かせてどういうつもりなのか。返答はせずに、俺は男の言葉も待たず、みそ汁を一口すすった。
「まぁ、あんたが関係ないって言うんなら、今、こんなこと言っても仕方ないんだけどさ。俺が、今、あんたには悪いことしたな、って思えたから、勝手に喋らせてくれよ」
それで気が済むのなら別に好きなだけ喋ればいい。結局、自分の中に残っている罪悪感を吐露することで自己陶酔をしたいだけだ。付き合ってやる義理はないが、付き纏われても面倒でしかない。
「俺とあいつが付き合った時ってさ、あんたと逆だったんだ」
「……」
「俺から告白して、付き合った。髪奈は多分、俺のこと、まぁ付き合ってもいいかな、くらいにしか見てなかったの、何となく判ってたんだけど」
なんだか食欲のなくなる話だ。
「……」
とりあえず頷くのも変だろうと俺は無言を返した。
「結構必死だったよ。好きになってもらいたくてさ。こういうのって本人にその気がなくてもイニシアティブは向こうが握ってるもんで、そうなるとこっちはナリフリかまってらんなくなるんだよ」
多分、本人にその気がないものだから、そこからズレが生じてくるんだろう。確かに言われてみれば逆だったのかもしれない。
「で、そういうのって全部裏目でさ、結局ダメだったんだけど……。とりあえず付き合ってみなくちゃ判んないコトなんていくらでも出てくんだけど、最初からダメかもな、って思ったら多分、その殆どがダメなんだろうなぁ、って」
「……それは、確かにそうっすね」
こっちが必死になればなるほど裏目に出る。それは俺も同じだ。
「片方が必死になんなくちゃならないこと自体がもうおかしいんだろうな、って思うよ」
それは、イニシアティブを取られた男側の視点で、きっと女側には女側の言い分も正当性もあって、同じことを言ってるんじゃないだろうか。俺は、百パーセント裕江にイニシアティブがあったとは思えない。
「……そこで辞めたら傷だって浅くて済むんだろうけど。何とかなるんじゃないか、って。俺達はそんなにカンタンじゃない、ってそう思いたくなったりして」
まったくバカな思い込みだ。俺は男の言葉に同意する。
「多分そんなにカンタンじゃない、って思う時点でどっかで、そんなもんなのかもしれない、って、そういうの、あるんだと思う。そういうのを打ち消したくてもっと必死になって……」
「結局駄目になってそんなもんだったんだな、ってコトっすよね」
惨めな行為を解らされた男、という点でのみ、男の言うことには頷ける。
「そう思うのって一瞬だけだったけどな、俺の場合は」
やっとコーヒーを一口飲んで男は苦笑した。
「どういうことっすか?」
「俺のさ、価値ってのか、あいつにとって『二人の仲』じゃなくて『俺』がそこまでだったんだよ」
(そういうことか)
突き刺さるような言葉だ。
「あ、悪ぃ、別にあんたが、って訳じゃないんだ」
「いや、でも言う通りっすよ。最初の立場が逆でも俺とあんたは同じですよ。あいつにとってはそこまででしかなかったってことです」
全て自己完結で終わってしまう、髪奈裕江という人間にとっては。
そういうことなんだろう。
「正直言って俺、多分、続かないだろうけど、って気持ちで付き合い始めましたからね。その時点でもうだめだったんすよ」
「付き合い始めから別れること考えてたって?」
「そういうんじゃ、ないですけど……」
付き合う前から裕江の良いところは見えていたし、こう別れよう、だとか、こうなって駄目になるだとか、そういうことは考えていなかった。今こいつに言った言葉は結果論でしかない。
「まぁ、その、とりあえずさ、あんたが、俺が原因じゃないって言ってくれても、俺はやっぱり悪いことしたなって思ってるからさ」
悪かった、と男は頭を下げた。
「どっちにしたってもう手遅れですよ。もう俺はどう間違ってもあいつとは付き合いませんから」
別にこの男のせいだという訳ではない。この男を原因にしたくもない。責めたい気持ちは確かにあるけれど、責めたところで何が変わる訳じゃない。俺の気分も晴れないし、裕江との付き合いが元に戻る訳でもない。どうしようもない気持ちは切り捨てていかなければ前には進めない。
「ん、その辺は、あんたが決めることだからな」
そう言って男は席を立った。
14:終わる要因 終り
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