11:心情
「前にさ、あたしに突っかかってきたサークルのヤツ、いるじゃん」
大学からの帰り道。他愛のない会話をしながら俺と
「あぁ」
「あいつさ、前に付き合ってたんだ」
「……」
そうだったのか。いや、待て、それならあの態度は納得できるかもしれない。別れた女へのあてつけ、俺への嫉妬。そんなものが少なからず残っていた。ヤツの心の片隅に。それだけの傷を残しているのか、裕江の別れ方が下手なせいで傷を付けられたのか、そんなことは判るはずもないし、俺にとってはどうでも良いことだけれど。思い出したくもない顔はそんなに真新しい記憶ではない。もう俺と裕江が付き合い初めてから半年が過ぎようとしている。
「女々しい野郎だ」
自分のことを棚に上げて俺は言う。基本的に女々しいなんて言葉は男にしか使わない。場合に依っちゃ女性差別にもなってしまう言葉なのかもしれないけれど、大体そんな感情は男に使われるものだから、何とも言えないな。俺だって別れるつもりなんかこれっぽっちもないけれど、もしも裕江との別れが最悪なものになってしまったとしたら、どうなってしまうか判ったもんじゃない。
「だよねぇ。自分から振っといてさ」
「振られたんだ」
それは意外だった。自分から振っておいてあの態度は有り得ない。
「そ。なんかさ、あたしのこと縛り付けたかったらしいけど、そんなのモノじゃないんだから無理に決まってるじゃん」
以前
「多分さ、あたしがそこまで好きじゃなかったんだと思うんだよね」
「そういうもん?」
そこまで好きじゃなかった、とか後で判るものなのか。
「付き合ってみて見えてくる部分とか、判ってくる部分ってあるじゃん。付き合ってくうちにちゃんと好きになれるかなぁ、って」
「……うん」
なんだか俺は曖昧な返事を返す。そして自分にそれを反映させる。
「ま、そういうのって大概は後で考えると、それほど好きじゃなかったんだな、やっぱり好きにはなれなかったな、って思うんだよね。前にも言ったけどさ、やっぱ直感に逆らわない方がいんだよ」
「なるほどね」
付き合ってからじゃないと判らない部分。そういうものが見えてくると駄目になってくる。そういうこともあるんだ。それが俺の場合は……。いや、俺こそそのままだ。最初に付き合ってもいいな、と思えたのは髪奈裕江が面白そうな人間で、興味があったからだ。恋心だとか、愛情という訳ではなかった。そういうものが芽生えるような時間もなかったし。付き合って、裕江が見えてくるたびに、好きになっていった。俺は裕江の言う『大概』には当てはまらなかった、ということなのだろうか。
「付き合ってみて変わったでしょ。あたしに対する気持ちだって」
「最初はムカツク女だったけど」
「ふん。結局付き合ったくせに」
べ、と舌を出して可愛らしく笑う。
「まぁ、ね」
でももしも、違う結果だったとしたら、どうだったのだろう。もしも俺が、一度は裕江と付き合ってみて、駄目だったら、裕江はどう思ったんだろう。確かに付き合ってみなければ判らない部分なんていうものは裕江の言う通り、幾らだってある。それで、最初に思い描いていたものと違かったから別れる、というのは自分にとっては良いことなのかもしれないが、相手はどうなのだろう。我ながら未練たらしい考え方だとは思うけれど。
「もしもさ、付き合ってみて、俺が駄目だったら、どうなの?」
「仕方ないよね、それは。付き合ってみてやっぱ駄目だから、はいサヨナラって、やられた方は確かに冗談じゃないって思うかもしれないし。あたしだってそれは結構キたよ」
傷つく、よなぁ。やっぱり。
「人間相手にクーリングオフったってなぁ、ってことだよな……」
いわゆる無料お試し期間的な。
「まぁそうよね。でもさ、やった方だって酷いことしたな、って当然思ってると思うよ。だけど自分の気持ちに嘘吐きっぱなしじゃ付き合えないし、どっちにしても傷付けるんなら早い方が絶対にいいんだよ」
確かに違う、と判っていながらそのまま付き合われるのも、もしそんなことをされているんだと判ったら、それこそ冗談じゃない、と思う。
(……だからか)
この間裕江が言ったことが判った。
(情けで付き合ってくれてるんならそんなのあたしに失礼だよ)
要するに、裕江は俺が無理に付き合ってるんじゃないか、俺が俺自身の気持ちに嘘をついているんじゃないか、と不安になったんだ。
「だよなぁ、確かに」
一つ、答えが出たような気がする。その不安を取り除くために、できることが俺には一つある。
「でもさ、それって多分、最初だけっていうんじゃないんだよ」
「長く付き合ったって、新しく知ることだってあるんだし」
裕江の言葉を肯定するように俺は裕江の言葉を繋げる。
「でも人間なんだよ」
「嫌なところばっか探したって仕方がないって、ことか」
「それは、そうでしょ。別れる理由を探すために付き合う訳じゃないんだし。悪いところなんてあって当たり前だよ。だったら自分が好きになった理由っていうのかさ、いい所を探した方が楽しいし、仲だって良くなるでしょ」
なるほどね。結構建設的な考え方をするんじゃないか。
「ちょっとしたズレで駄目になっちゃうんじゃ所詮、お互いがそこまでだってことか」
「そういうことだよね。悪い所だって許せるようになってやらないと、相手のこと好きになってるっていう意味じゃないよ。白馬に乗った完璧な王子様がいるんならこの
笑いながら裕江が言う。何度も色々な恋愛を重ねてきたからこそ、そういうことが言えるんだろうな。そういう女を俺が好きになったから、言ってることが理解できるんだろうな。
「……じゃあさ、裕江、俺は大丈夫だよ。あんたの悪いところなんか、最初に看破しちゃったし」
「あ、ぁあーそ、そう」
急に赤面する。付き合うことだとか色々経験して、詳しそうなくせに、思わぬところで免疫のない女だ。
「……バカにしてる」
……いい勘してるな。
「あのさ、あたし、付き合った人数は少ない訳じゃないけどさ、でも、あんま好かれたことってないんだよ」
「付き合ってんのに?」
いや、そういうことではないか。言ってから気付いた。
「付き合うったって、必ずしもソウシソウアイっていうんじゃないしね。どっちかが好きで、どっちかが妥協して、ってことなんて珍しくないよ」
裕江の場合は裕江の方が男を好きで、男は付き合ってもいいかな、程度だったのかもしれない。だから俺が裕江に気持ちを表すと、思わぬ反応を見せるのだろう。
「だね」
「だから、その、気持ちを向けられることにあんま慣れてないし、向けてくれたら凄く嬉しい。……だけど。そういうのって、お願いしたり強制したりすることじゃないし」
でも言うのが恥ずかしいから、とかで全く伝えられなかったら、それはそれで不安にしてしまうんだろう。
「……やろうと思ってできなかったことと、不可能なことには、差がある、よね」
やれるはずだったのにできなかったことと、最初からまったく不可能なことには大きな差がある。そしてやれるはずだったのにできなかったことが原因となってしまったら、それはきっと、激しく後悔することになる、んじゃ、ないだろうか。
「え?何、いきなり」
「あ、いや、こっちの話で」
いかんいかん。やっぱりまだどこかで不安を拭いされていないのかな、俺も。
「あたしと付き合うってこと?」
「ち、ちがう!」
俺は慌てて言う。よりにもよって、なんて勘違いをするんだ。
「じゃあ、何」
「いや、だから、俺が、口下手で、その……。あんまり口に出して、す、好きだ、とか言えないからその、恥ずかしいから言えない、っていうんで、終わらせちゃったら駄目なんだって……」
俺はなんだかしどろもどろになって言う。懐疑的になっていた裕江の顔がふ、と緩む。
「ま、まぁ、性格的なことだってあると思うし、思ってたって言えないことだってある、って思うし……」
また赤面して裕江はもごもごと含むように言う。
「だから、その、そうしょっちゅうは言えないかもしれないけど、だけど、それは、別に気持ちが薄れたとかじゃなくて……」
「あ、うん、判った、オッケー、判ったから!」
恥ずかしい空気になったことに耐えられなくなって、裕江はバンバンと俺の肩を叩いて言った。俺ももう耐えられそうもない。果てしなく間抜け、というか、やってられない空気だ。
「あ、あぁ、うん、なら、いいんだ、けど……」
気付けば駅の改札口だ。電車がホームに入ってくるアナウンスが流れた。
「あ、急ご」
雰囲気を誤魔化すように、ぐい、と裕江がおれのシャツを引っ張った。
11:心情 終り
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