07:序曲

 何て言ったら良いのか……。

 良く判らない。ただ、言い難いことだけど、オトコのコケンに関わるような……。

「あのね、初めてなんだから、当たり前でしょ」

 実に簡単に髪奈は言う。それはそれで判る話だけれど、何か女にそれを言われる男って……どうなの。

「別にさ、付き合い方とかあるし、男がリードしなくちゃとかさ、初めからなんてできっこないんだし」

「ん、ま、まぁ……」

 ただ、本当に、髪奈かみなはこういうことに慣れてるんだな、とか思うと少しやるせない。

「あぁそっか。その、何つーか、あたし、でしゃばりすぎた?」

「い、いやっ、そういうことじゃない、ん、だけど、何か、こう、思ってたのと違う、かな?」

 途切れ途切れに俺はやっとそれを言う。

「それはアナタ、えちぃDVDとか、見すぎ?」

「ち、違っ」

 うっひゃっひゃ、と髪奈は厭らしい笑い方をした。オッサンか。

「ま、今日だけじゃないんだし。次する時はもうちょっと違う感じだと思うからさ」

「そういうもん、すか」

「うん、多分。まぁあたしは女だから良く判んないけど。でも大体ね、男がリードしなくちゃだの何だの、くっだらないこと考えるからいけないのよ」

「くだらない、っすか……?」

 だってそういうものじゃないの?普通は。

「くだらないよぉ。だってこういうのってお互いの気持ちっつーかさ、そういうもん確かめ合ったり、単純に気持ちーの楽しんだりとか、そういうことじゃん。男が下手だとか、女が感じないだとかエンギだとかサービスだとか、そんな打算的なもん考えてる時点でくだらないよ。触れられれば感じるし、気持ちいいのなんて当たり前だもん。結局あたしらが、気持ち確かめ合えればそれで良いと思わない?」

「それは、アナタ、経験豊富だから、でしょ……」

 聞いてるだけで赤面してくる。ただ、気持ちを確かめるのに肌を合わせるという行為は、実際にしてみて、本当に大切なことなんだ、ということは解った。相手を愛しいと思うこと、その相手と一緒に気持ち良くなれること。それはきっと男にとっても女にとっても大切なことなのだろう。

「ま、一理あるよね。否定はしないけどさ。じゃあ言うけど、そういう経験豊富な女を相手に、経験ない男がリードしなくちゃなんてちゃんちゃら可笑しいって話よ」

 悔しいがそれは確かにそうだ。釈迦に説法……ってこんな時に使う言葉じゃないか。

「それを女が男に求めるってのがおかし……。待って違う、経験ある方が、経験ない方にリードを求めるのがおかしいってことよ」

「う、うん」

 リードというのはつまりそういうことだ。経験者が未経験者を誘導する、というのが自然な形だ。つまり童貞だった俺にはそもそもリードなどできない訳で、しかしだからと言って、経験豊富な彼女にリードしてもらうというのもなんだか、男として情けないやら悔しいやら、という気持ちが綯い交ぜになっている。

「キミがね、ギターこれから始めようって初心者に、俺にギター教えてくれよ、って言ってるようなもんだって言ってんの!」

「ま、まぁ判る」

 それに判らないからうなだれていた訳ではない。

「だから、慣れてきたらリードしてくれたらいいじゃん」

「お、おけ……」

 ま、まぁそういうことなのだろう。というか、それしかできないのだろうけれども。

「……」

 あれ、そういえば。くるまっているシーツを掴んだ右手を見て気付く。

「指輪、外した?」

「気付くの遅すぎ」

 もうとっくに外してるのに、と髪奈は憮然とした。うっすらと日焼けの跡が残っていた。

「そ、それって」

「別に買えって訳じゃないってば!前の男に貰ったのしてるの、ヤでしょ」

 ……確かに。でも買ってやんなくちゃいけない、かな。

「こ、今度のバイト代入ったら、見に行ってみる?」

「え!い、いいの?」

「あーでも、そんな高価なもんはムリ」

 キッパリと俺は言う。女ってのは大体アクセサリーとか欲しがるものなんだろうけど、そんなリッパなものを買えるような財力は、独り暮らしのバンド者である俺にはない。

 それでも、あんまり良くは判らないけど、髪奈はこういう女だし、何となく印、ってんじゃないけど、俺がやったものをしてくれたら、安心できるかもしれない。多分、そんなもの、髪奈の気の持ちよう一つなんだろうけれど。それにきっと、普段はしてなくても、俺の前でだけでもしてくれていれば、俺はそれで安心しちゃうんだろうし。

「へへ、いいよ、そこらの外人が出してるような露店みたいんで。なんかウ、レ、スィー」

 俺の身体の上に乗って髪奈は言った。


「なーんかウマイこといってんじゃん」

 練習を終えて、いつもの通り(俺のバイトがない時は)三人で飯を食ってる最中に冴城さえきさんがにやにやする。

「そーすかね」

「あんな女の子みてーな髪奈、見たことねーよ」

「そーなんすか?」

 それはちょっと、何ていうか、意外だった。いつも飄々としてるようなイメージは確かにあるけど、でも俺の前では結構甘えたがるし。

「まぁそんな付き合いも深い訳じゃねぇしな。でも油断しねーこった。簡単じゃねえぞ、あの女は」

 一応覚悟はしてるけど。そう言われるとやっぱり不安になる。今までが今までだったし、俺だって女と付き合うのは初めてだし、正直言えば不安なんて山ほどに、いやそれ以上に幾らでもある。

「うす」

「いいなぁ。おれも彼女ほしーよー、冴城さぁん」

 八木やぎが冴城さんに泣きつく。

「今度髪奈が合コンやってくれるってよ。なぁ」

 そういえばそんな約束してたな。俺は思い出して頷いた。面倒なことだけど、俺だけ彼女ができて、八木や冴城さんを放っておくのはほんの少しだけ心苦しい。……気もする。

「な、なんか髪奈裕江ゆえの友達ってどんなん……?」

「さぁ、会ったことねーし」

 俺は言って首を傾げる。あの時、親友の一人や二人、という言い方をしていたけど、そういえば会ったことがない。

 あの調子じゃ美術サークルには友達はいないんだろうし。

「冴城さんは?」

「オレも知らねーな。友達付き合いはまぁあるけどそれだけだしなー」

 親友の一人や二人、ということはあまり友達は多くないのかもしれない。俺もたいして人様の事は言えた訳じゃあないのだが、美術サークルのことを考えてもそうだし、何しろあの性格だ。敵は多いだろう。

「あんま期待しない方がいいぜ、八木」

「まぁ、確かに」

 俺の言葉に八木と冴城さんが頷く。大体合コンとはいえ結局は呑み会だ。その場で彼女を作るような場所じゃないと俺は思う。

 出会いという面では確かに色々な出会いがあるし、機会も生まれるんだろうけど。気心知れた連中ならいざ知らず、面識もない人間と笑顔つき合わせて酒を呑むのは正直、疲れる。大体仏頂面してることが多い。そのせいで、黙って呑んでるだけなのに、怒ってる、だの怖い、だのと謂れのない中傷まで受ける。相手するのも面倒な時はそのまま黙ってるし、でも大体そんな場合が殆どだから、俺自身のせいでもあるんだけど。

「あーあ、みんなシヤワセかよぉ」

「オレも不幸だぜ、八木ー」

 パン、と肩を叩いて冴城さんが嘆く。

「冴城さんは遊ぶのに困んないじゃないすかー」

「そんなことねーぜ。オレだって女は欲しい!」

 あんまりそういう感じしないけどなぁ。八木はホントにしばらく彼女がいないけど。

「って訳で頼むぜ。髪奈裕江にヨロシク」

 八木はそう言って俺の肩を叩いた。


 07:序曲 終り

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