06:言えない気持ちと逃げ場

「何で、逃げんの!」

「バッカじゃねえの!」

 髪奈かみなから全力疾走で逃走中。しかしながら所詮は運動不足で不健康が売り(?)のバンド者。元スプリンターに敵う訳もなく、あえなく捕まってしまう。

 ちくしょう、さすがに県大三位は伊達じゃない。そもそも素で競争したって勝てないのだ。髪奈から走って逃げるというのはほぼ不可能に近い。

 結局俺と髪奈は校内の、良くも悪くも興味の視線を一斉に向けられるカップルになったけれど、そこは何だか髪奈の奔放な性格に随分と救われているような気がしていた。

「ふぅー」

 一度の深呼吸で呼吸が整う髪奈を恨めしく見やる。

「あのね、ちゅ、中学生じゃ、ないんだから……」

 要は髪奈が作ってきた弁当を一緒に食おうという、これだけ言ってしまえば実に単純なことなのだが、この間それをやって、弁当の中に桜でんぶでドでかいハートマークがあったのを見た瞬間、一気に食道が閉じた。何しろ告白する前にホテルに行こうなどというとんでもない奴だ。そんな、恋に恋するオトメティックなマインドを持つ女だと、誰が想像しよう。そもそも何で学食で一緒に食うだけじゃ駄目なんだ。

「何でよ!いーじゃん、一生懸命作ったのに!」

「あのね、フツーの弁当で、フツーに食わせてくれるんなら嬉しいけどね……」

 ようするにアレだ。『ハイ、あーん♪』とかやるんだ、この女は。

「付き合ってんだからべたべたするくらい良いじゃないのよぅ!」

「人目のないところならね……」

 なんだってこんなにパワフルなんだ。

「彼女の手料理が食べられるだけでもゼータクだと思いなさいよねぇ」

 確かに、それが贅沢なことだというのは認めよう。

「それだけで充分贅沢だから、それ以上は別にいいよ……」

「アーアーアチーアチーヒー、ヤケドシソウダ!オゥアッオッダッオッ!ポーゥ!」

 お笑い芸人が、誰かの物真似をしたその物真似をして声をかけてきたのは八木やぎだ。ジョースター家伝統の立ち方にも似た、額と股間にてを添えるポーズまで真似しないでよろしい。

「やーね八木君、照れるぅー」

「暑いのはこの人だけだ」

 『あつい』のニュアンスを変えて俺は言う。髪奈の頭を押さえつけて。

「熱いのもいいけどさ、今日だからな、助っ人」

「判ってるよ」

「助っ人?」

 髪奈が口を挟む。

「ヘルプのドラマー。今日から入るんだよ。まだ決定した訳じゃないけど、とりあえず、ってことで」

「聞いてなぁい」

 ぷぅと頬を膨らませて髪奈は言う。はいはい、可愛い可愛い。

「言ってないでしょ、俺」

「かくしごと」

 え、その程度で……。

「あなたね、俺のお母さんかよ」

 いや、お母さんにだってバンドの事なんか話さんわ。

「カクシゴトォ」

 いや、逐一全部話さなくったって……。

 どうせバンドになんて興味ないくせに。このレベルでそれを言うなら、髪奈だって俺に隠していることなど山ほどあるだろうに。

「悪かったっすよ」

 頭を押さえつけていた手をぐりぐりとかき回す。

「へへ、許す」

「……」

 ふと気付くと八木が呆れ返った目で俺達を見ていた。しかもなんか遠ざかっている。

「あ、あのさ、八木」

「……」

「無言の突っ込み、一番恥ずかしいんだけど……」

「え、あ、ま、まぁそういうことだからさ。遅れんなよ」

 あからさまに棒読みでそういうと、八木は頭の位置を動かさない歩き方で、つつつ、と去っていった。空港とかで見る自動通路の物真似みたいな歩き方だ。こいつも器用な奴だな。

 それにしても……。どうしようコレ。



「おーぅ、きたか、小僧どもが!」

 スタジオで待ち構えていたのはなんだかカクジツに見たことのあるお兄さん。やたらと背が高い。ま、まさかあの人……。

「かっかっかっ、ありがたく思えよ!この谷崎諒たにざきりょうちゃんがお前ら全員のっけてやる!ぞ!」

 奇妙な気合の入れ方をして、日本屈指のロックバンド、-P.S.Y-サイのドラマー、谷崎諒が吼えた。

 マジでか……。

「とりあえず音源は聴いてもらってるし、それで引き受けてくれたんだけどさ、お前ら谷崎さんと一緒にやる気あるか?」

 いや、流石にプロと一緒ってのは……。それもプロ中のプロ、がっつりプロのお人だ。本来俺たちバンド小僧なんかお目にかかれることもないほどのお人だ。どういうパイプを持ってる人なんだよ、冴城さえきさんは。

「臆することぁねーぞ野郎ども。オレがここ来たってこたぁ、少なくともオレはお前らの音を認めてるってことだろーがよー!」

 かっかっかっ、と高笑い。確かに冴城さんの言う通りだ。ヤバイ。この人は確実にヤバすぎる。しかもなんだか無駄に元気だ。

「ちなみにオレはライブでは髪型変えてグラサンでもかけっから心配すんな、楽に行こうぜ!」

 楽に行こうぜはアナタの相方、-P.S.Y-のベーシスト、水沢貴之みずさわたかゆきさんの座右の銘ではなかったか。

 い、いやつまり決まりってことだよな。プロとやるのは気が引けるけど、これだけやる気になってるのを断ったら後が怖いし、冴城さんにも何を言われるか判ったもんじゃない。それにこんな機会、もう二度とないかもしれない。ギタリストとして何かしら得る物は絶対にあるだろう。

「んじゃとりあえず始めますか」

 冴城さんが言ってスタジオに入った。多分冴城さん、谷崎さんとは何度かやったことがあるんだろうな。どうやって知り合ったかまでは判らないけれど、そうじゃないともう説明がつかん。

(それでもあたしはね、自分の直感には逆らわないってことにしてんの)

 ふと髪奈の言葉が脳裏を過る。

(そうか……)

 プロと組む機会なんてこの先一生ないかもしれない。だから、これは好機だと思おう。



「お疲れー」

 色々な意味で衝撃の練習を終えて、なんだかぐったりしたまま行ったバイトも終えると、髪奈が外で待っていた。

「……あんたさ、暇な訳?」

「愛しのダーリンに会いにきたのに」

 けろりと俺の疲労なんか意にも介さずに言う。

「あのね……」

「お仕事お疲れ様ぁって」

 何か本当に疲れる人だ。まぁ好かれてるのは良いことだと思うけど。

「……ありがとな」

 くしゃ、と頭を撫でる。

「へっへっへっ」

「何て言うかあなた、そういうの、恥ずかしくない?」

 赤面して照れる髪奈を見ているとなんだか俺まで恥ずかしくなってくるが、嫌な気分ではない。嫌な気分ではないのに、照れ隠しでついそんなことを言ってしまう。

「でも嬉しいじゃん」

「へぇー」

 腕に絡み付いて髪奈は言う。そう言ってくれると俺も嬉しいけど、でもやっぱり照れ隠しをするだけだ。

「もう少しで完成だよ、絵」

「そっか。でもサークルのヤツらって何やってんだ?」

 俺がモデルをやってた間、たった二日間だが、アトリエには誰も入ってこなかった。

「あたしが使ってたから、誰も入ってこなかったんじゃない?」

「え、何か仲悪かったりとか、するの?」

 あ、まずい。

 言った後に、気付く。

「ほら、悪名悪名」

 何とも思っていない顔をして髪奈は言った。髪奈はそう振舞ってはいるけれど、きっとメンタル的にはどこかでダメージを負っているはずなのだ。人に避けられるというのはそういうことだと思う。髪奈が平気な顔をしていたとしてもそれは言ってはいけないことだった。

「でも、友達付き合いとか……」

「ないよそんなの。今は相手にもされてないしねぇ……」

 良く話もしないで噂だけで決め付けてるってことか。俺も始めはそうだったし、まぁ良くあることなんだろう。それに髪奈自身、それが自分の立ち振る舞いのせいだということも判ってはいるようだし。

「あのさ、気にしたって仕方ないんじゃない?」

 あっけらかんと髪奈は言う。そうだ、本人がここまで気にしてない、と言うんじゃ、俺が気にしても確かに無駄だ。これ以上のことや同じような話題を今後出さないように、俺が気を付ければ良いだけだ。

「案外気配りすんだね」

 少し飽きれたように髪奈は続けた。少し、むかついた。

「そりゃあねぇ。自分が付き合ってる女のことくらいはね。……悪かったっすね。周りが怖くて」

「あ……。そ、そういう意味じゃなくてさ」

 判った。こういうの慣れてないんだ。いや、俺だって慣れてる訳じゃないけど。

「別に」

「怒ったんだ……」

「別に」

「あー、あのさ、違くて、その……。そう、あれ!」

 また何を言い出すんだ?こういう時の髪奈は何だかいつも突拍子もないことを言い出すに決まってるんだ。

「い、いっかい、し、しよう!」

「何を」

「ホテル行こ」

 馬鹿か。

「……」

 悲しいかな、俺の予想は大当たりだ。でも想像を遥かに超えている。思クソ直球勝負の豪腕ピッチャーだ。やっぱりこの女、訳が判らない。

「だってさ、何か変わるじゃん。しとけば。そういうの全然してこないんなら友達と同じだよ!」

「でも、それも何か短絡的」

「したくないんだ……」

 い、いや、そういう訳じゃない。どちらかと言えば、いや、むしろしたいけど、タイミングというものは世の中にも個人の中にもあって、そのタイミングを俺はしばらく見つけられないままだったのに、こうもいきなりで目の前に真ん中まっすぐ一五〇キロメートルのストレートを投げつけられては、いかに名捕手であろうと巧く捕球できる訳もなく、タイミングもクソも、雰囲気も風情も、詫びも寂びも、あったもんじゃない。

 まぁおれは髪奈裕江という剛速球投手に対して、名捕手でも何でもないただの素人な訳だけど。

「手だって繋いでくんないし、抱いてもくれないし、ちゅーもなんにもしてくんない!」

 ま、待てって。

「今、組んでるでしょうが、腕」

 それだけでさえ平常心じゃいられないこと、判ってないんだこの女は。

「あたしからね!嫌なら付き合ってくんなくたっていーよ!」

 組んでいた腕を解いて髪奈はおれを突き放した。このチビ女……。

「あのね」

 今度は俺からがっちりと肩を掴んで、丁度目の前にあった自販機に髪奈の背を押し当てる。そのまま目一杯抱きすくめて、この間は引っ込めるのに必死だった下半身も髪奈の身体に押し当てる。もうどこまでしても良いのかどうかなんて考えている余裕がなかった。

「お……?」

「あ、あんたさ、慣れてんでしょ、だ、だから、判るんじゃ、ないの」

「おぉ……?」

 かぁ、と顔面が熱くなる。くそ。死ぬほど恥ずかしい。

「も、もしかして、さ……。ドーテー君、だったり……」

「わ、悪ぃ、かよ」

 何だよ。冴城さんに聞いてたんじゃないのか。

「ぐぬぬぬぅ……。お、おっけ、判ったから、とりあえず、少し、緩めて」

 苦しそうに髪奈が呻く。あ、思いっ切り力入れてた。

「ご、ごめん」

「手加減なしの抱擁ってのも好きだけどね。よっし、その様子じゃあ気合は充分って訳ね!いっくぞー!」

 なんかその、そうやって張り切っちゃうものなのか……?


 06:言えない気持ちと逃げ場 終り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る