05:バランス

 聊か不満は残るが、ファストフード店で晩飯を奢ってもらい、その帰り道。さほど大きくもない商店街から続いている、この街では一番デカイ公園を俺達は歩いていた。

「あぁ、あのっ、さ……」

 急に言って髪奈かみなは立ち止まる。何だかまた妙なことを言い出すのだろうか。何だかそういうのにも少し慣れてきてしまったのかもしれない。

「何すか」

 立ち止まったまま髪奈は俯く。肩に掛かりそうな程度の、ふわっとカールした髪に手を当てて。

「き、今日っ、さ……」

「うん」

「おぉ、お昼、奢りそこなっちゃった、から」

 人通りは殆どない。目に見える範囲には俺と髪奈しかいない。妙に髪奈は挙動不審だ。さっきはラッキーだとか言っていたくせに、妙なところで律儀なのか。

「別にいっすよ」

 俺も面と向かって酷いことを、それも悪口に類するような言葉を髪奈に浴びせてしまった。飯の一度くらいで手打ちにするには少々軽いような気さえしている。

「あの、も、もしさぁ、あ、アナタ、あたしと、したかったら、その……」

 その先は髪奈が口にしなくても、俺にだって判る。

「……それ、何?」

 頭の芯がす、と冷えて行く感覚。

「え?」

 少し興味が沸いてきたのに。

「誘ってんですか?……それとも、自分がしたいの、俺のせいにしようとか思ってんですか?」

「あっ、違っ、そーじゃな……」

 急激にこみ上げてくる怒り。

 裏切られた?

 違う。

 馬鹿にされた?

 違う。

 何だか判らない。

 俺は何だか判ってない。

 でも、どうしようもない。

 判ってないのに、どうしようもない。

 抑えが、効かない。

「俺、最初に言いましたよね」

「え?」

「興味ない、って」

 俺は髪奈の正面に立ち、髪奈の正面から言い放つ。

「あっ!うん……。そ、それなら、いいんだ。ただ、その……」

 それきり髪奈は口を開こうとしない。何を言い淀んでるのか知らないが、どうせろくなこと考えちゃいない。

「何ですか。最後まで聞きますよ、言い訳ならね」

「あ、あの……」

 どんな言葉を用意しているのか。それとも言葉を選んでいるのか。結局どうしたって、あんな噂を立てられたって仕方ないんじゃないか。

「あたしはさ、なんもないから、そ、そしたら、女であることで何か相手にできることがあるんなら……」

 何もないということが理解できない。

 何もない?だから身体を開いて恩返しをしようなんていうのは絶対的に間違っている。俺が望んだならともかく、俺はそんなこと、少しも望んじゃいなかった。

 冗談じゃ、ない。

「ばっ!っかくせぇ!」

 俺は手加減なしで怒鳴りつけた。どんなに怒気を込めた言葉でも平然としていた髪奈が、流石にびくっとして黙り込む。

「……あんたさ、そういう自虐っぽいこと言ったりやったりしてきたんでしょうけど、ソレ、男、見下してますよ」

 俺の言葉に驚いたのか、髪奈は眼を見開いて顔を上げた。

「ち、違うよ!」

「男がやらせてもらえりゃ喜ぶって、あんた知ってんすよ。……けど、あなた、それ、一発やらしときゃそれでいいって、そう言ってんのと同じっすよ」

「違うってば!」

 自覚がないからそういうことを平気でやり続けてこられたんだ。そしてそういう誘いにほいほいと乗るバカがいるから、それが誤りだと気付くことすらない。

「だったら、たかが昼飯で悪いと思ってんなら、明日にでも奢ってくれりゃ、それで済む話なんじゃないんすか」

 冴城さんが最初に言ってた通り、それだけの安っぽい女じゃないって、折角思えてたのに。折角、噂なんて結局噂でしかないって、信じられそうだったのに。

(そうか)

 俺は勝手に期待して、それが打ち崩されたことに怒りを感じてるのか。

「違うんだってば」

 もう髪奈が何を考えていようが関係なかった。

 きっと俺は、知らずの内に自分を裏切ってしまった。

 それだけのことだ。

 髪奈裕江ゆえという女に何を期待していたのか。そう考えるとばかばかしくなってくる。

「何が違う、とかもう別にいいですよ。飯、ご馳走様」

 そう言って俺は髪奈に背を向けた。

「……言うだけ言って、あたしのこと自分のイメージだけで塗り固めて逃げんだ」

 小さな、震えている声だったが、はっきりと髪奈は言った。

「そうっすよ。あんただって今までそうしてきたんでしょ。我侭通して、迷惑かけて。自分だけそれ通そうったって、そんなの自分に甘いだけなんじゃないの?」

「そうだよ。自分がしたいようにしてるだけだよ。そりゃキミのせいにしようとした言い方は悪かったけど」

 何開き直ってんだこいつ。元々動じたり狼狽えたりしないような性格ではあったけれど、これじゃ逆ギレも良いところだ。

「やりたいだけなら他、当たって下さいよ。悪いけど」

「ほ、他じゃ、い、いぃ嫌だから、言ってんのに……」

「はぁ?」

 あぁ、そういえばその時はその時、みたいな言い方してたな。

「言ったじゃん、冴城さんに聞いた、って」

 話が見えない。

「何か察して欲しいんなら、ちゃんと言ってくださいよ。もう正直面倒くさいから」

 俺が髪奈に興味を持っていると判っているからこその甘えに虫唾が走る。

「……もう、いいや」

 髪奈は投げ槍気味にそう言った。俺の態度でもう何が変わる訳でもない、と察したのだろう。それならば話は早い。

「そ。じゃ」

「あ、うそ、よくない」

 ぐいっ。

「……」

 いい加減にしろよ、この女。俺の上着の袖を掴んで、髪奈は俯いたままだ。

「だ、だから。……んなったから……その」

「?」

 聞こえない。

「つ、付き合って」

「何に」

 これ以上何に付き合わせるつもりだ。そんな気などもう毛頭もない。モデルだって終わった。あとは髪奈が絵を完成させて、それを見れば終わる。それだけの関係で充分だ。

「好きんなったからつ、付き合って!」

 が、っと顔を上げて吠えるように言うと、髪奈は再び俯いてしまった。

 あぁ、そういうコト。

 ……え?

「……」

 俯いたまま、髪奈は動かない。

「……はぁあ?」

 んな、何言ってんだ!

「あ、あぁぁぁぁぁああ、あのさ、あんた、その、何?」

 俯いたまま動かない髪奈裕江に俺は何か言う。何を言ってるんだか判らないけれど、何言ってんだこいつは。いや、俺も。

「その前からその、やるだの何だのってその、順番、違うんじゃ……」

「だ、だって、何かそういうの、な、慣れてない、し……」

 どこかズレてるんじゃないのか?いやズレている。だって普通後だろう、どう考えたって。それがまずあって、なんて俺には考えられない。

「フツー慣れとか、そんなんじゃないでしょ」

「そういうもん?」

「さぁ……」

 実のところあまり良く判らない。だって女に告白されたのなんて初めてだし。

「で!どーなのよ!」

「何が」

 この話の本筋って何だったっけ?

「付き合ってくれんの?」

「あぁ、それか……。だってあんたのこと良く知らないし」

 何ていうのか、その、こういうことはお互いをもっと良く知ってからじゃないと……。

「こ、これから知っていけば良いよ!」

 食らいつくように髪奈は言う。つまりは、そこまで必死になっているということで。

 だから。

「……そういうのもアリ、なの、かな」

「だって、その、そしたら、一目惚れとかっていうのだって……」

 それは違う。……だろ。いや、つまり、この、悪名高き髪奈裕江が、俺なんかに……?

「つ、付き合いながらってこと、だよな……」

「そう!そうだよ!」

 何だか奮起して髪奈裕江は拳を握る。気持ちは判らないでもないが。え?いや、ちょっと待って……。

「ま、待った……」

「……」

 髪奈の視線を遮るように俺は右手の五指を張る。

「アナタはそれでいいけど……。俺は?」

「そんなのあたしに言われたって」

 顔は見えないが、きっときょとんとしているのだろう。

「ですよねぇ……。困ったな」

 ホントに困った。確かに少し、髪奈裕江に興味は沸いてきた。それは否定はできない。だけど、何かスキだとか付き合うだとか、そういうんじゃないような気が……。

「つ、付き合いたくなかったら、いいよ!」

 再び俯いて髪奈は言う。頭の中でぐるぐると考えて思い至った。

「あのね、もし付き合ったとして、あ、アナタ、別にモデル見つけたらやっぱり寝ちゃうでしょ」

「し、しないよ!」

 滅茶苦茶でかい声で髪奈は言う。あ、怒らせたかも。

「あのね、た、確かに、あたしは、そーゆーの気にしてなかったし、悪い噂だって少しは自分のせいだって思ってるよ。けど、でも、それは、最近はしばらく彼氏とかいなかったし、き、キ、キミに会ってからは、キミのこと知ってからは全然、し、してないんだよ、そういうこと!」

 握っていた拳を開いて髪奈は顔を上げた。上気しているのか単に恥ずかしいのか、赤面しているのは良く判る。ま、まぁ知らんがな、の世界だけれども、それなりに潔白を証明したいのだろうことは判る。

「そ、そのわりに、誘ってきた、でしょ……」

「あ、だ、だから、それは、その……」

(あ)

 俺に言われて気付いたというか、髪奈にとっての普通とは何なのかを考えてこなかったことを、今俺に言われて困惑している、と。

 それはつまり。

「本末転倒」

「……」

 こくん、と無言で頷く。

「……何か俺、良く判んないけど、とりあえず、いっすよ……」

 どうせ冴城さんに今まで女と付き合ったことないのとか聞いてるんだろうし。長続きはしないのかもしれないけど。

「え!」

「だ、だから、いっすよ」

 顔が熱くなってくる。

「うわ!ホントに?」

 パッと顔を輝かせて髪奈は言った。何か果てしなく馬鹿臭い空間を作って俺はもう一回だけ頷いた。

「やったあ!」

 言うや否やいきなり俺に抱きついてきた。途端に下半身に血液が集中して行く。

(え、嘘だろ)

 たったこれだけのことでそんなになってしまうのか、と自分でも驚くほどに。

「ちょ、ま!い、いきなり!いきなりすぎ!」

「なんでぇ、あたし彼女」

 くそコイツ、確かに可愛いは可愛いんだよな。

「や、そ、そうだけどさ」

「じゃあいいじゃん!」

 髪奈に抱きつかれてはいるけれど、腰だけは髪奈の身体につかないようにできるだけ引っ込ませて俺は一つ頷いた。

「ま、まぁ、よ、よろしく」

 こうして、俺と髪奈裕江の交際が始まった。


 05:バランス 終り

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