04:できなくなってしまったこと
「よぅ、脱ドーテーしたか?」
学生食堂で元凶が背後から声をかけてきた。振り返ると唐揚げ定食をトレイに乗せて、元々細い糸タレ目を更に細くした男が立っている。ニヤニヤニヤ。
「冴城さん!酷いじゃないっすか!」
俺はチキンカツカレーを食う手と口を止めて、飯粒も飛ばさんばかりに冴城さんに食ってかかった。いや実際カレーにコーティングされた飯粒が飛んだ。
「だって仕方ねぇだろー。オレもな、前に
言いながら冴城さんはスウェーとダッキングで実際俺の飛ばした飯粒を避けつつ俺の対面に座る。器用な人だ。
(も、もしかして……)
そこで、ふと糸目男のイヤラシイ笑顔を見て嫌な考えに思い至る。
「俺、ヤっちゃってたら冴城さんとキョーダイっすか……」
「バカ言ってらぁ。お前は髪奈の矛先をずらすために使わせてもらったんだぜ。やっちゃねーっつの」
はっはっはっ。とんでもなく酷いことを笑顔で言ってのけるよな、この人……。
「それにオレ、ああいう癇の強ぇ女ってダメだからよ」
確か別れ方が究極に下手糞だとか言ってたし、確かに癇の強さは感じた。例えば付き合ったとして喧嘩になったら、恐ろしく泥沼化しそうでもあるし、でもあの性格じゃ何を言われたって気にしないような気もする。
「んでな、変わっけど、話。ヘルプ、明日入れっからよ」
「おぉーついに!」
「ま、カクゴしとけよ」
にやり、と冴城さんは笑顔の質を変えた。そうだ、確かヤバイ人だとか言ってたんだ。
「おーっす」
そして昨日散々聞かされた声までもが飛び込んできた。
「おぅ髪奈、紹介料は合コン一回でいいぜ」
俺の隣に座った髪奈に冴城さんは言う。昨日おれと髪奈が遭遇した話をした時は知らん顔してたくせに恐ろしい男だ。
「あはは、実際紹介してもらった訳じゃなかったけど、ま、オッケー」
OKサインを出して陽気に髪奈は笑うと、箸を割って、天ぷらうどんに箸を突っ込んだ。
「へぇ、友達、いるんだ」
「……」
はっ、思わず声に出してしまった。髪奈
「何かキミさ、正直すぎ……」
「あ、いや、ごめん!」
顔が熱くなる。確かに失礼な言葉だった。この女はどんな言葉にも動じない。昨日の会話の中でそんな印象が根付いてしまったのかもしれない。これは改めないといけないな。
「ははは、そりゃねー、悪名高いこのカミナユエさんにも親友の一人や二人いますよー」
(……)
何ていうのか、本当に周りはどうでもいいんだな。もちろんその『どうでも良い周り』の中には俺も含まれている訳で、とんでもなく失礼なことを言った俺に簡単に笑顔を向ける。別にあんたは関係ないし、と言われているのと同じような気がして、ほんの少し、寂しい感じもする。
「何つーか、その、ホント、すんません……」
それでも非礼は詫びなくちゃいけない。おれも納まりが悪いというか。
「ま、モデルやってもらってるし、気にしない気にしない」
からからと笑って、実にあっけらかんとしている。本人が気にしていないのなら、謝罪もしたし、俺も気にする必要はないのだろうけど。それでもなんだか後味は良くない。
「あ!」
俺はとんでもないことを思い出して声を上げた。畜生なんてこった!
「あん?」
冴城さんが唐揚げをとりこぼして今度は何だ、とばかりに言ってくる。
「……昼飯、自腹で食っちゃった」
髪奈に奢ってもらえるはずだったのに。
「あ、らっきー。一食分得したよー」
実に嬉しそうに髪奈裕江は笑った。何かすっげぇ損した気分。
でもま、失礼なことを言ってしまった詫び、かなこりゃ。
「でさ、結局自分が何かやり通すのってケッコーなエネルギー消費するし、周りにだってメーワクかけちゃう訳よ」
ザクザクとキャンパスに描き込みながら髪奈は言う。アトリエには誰も入ってこない。他にも美術サークルのメンバーがいるとは思うのだが。この間と違って今は夕刻だ。普通にサークル活動をしていて何の不思議もない時間帯だが、サークルのメンバーがここに入ってくる兆しすらない。ただ、何とはなしに、俺はこうして髪奈と信念だとか、自分が貫き通そうとしているものの話だとかをしている時間が悪くない、と思うようになってきていた。
「……周りって何です?」
親兄弟、友達とか、そういう奴らか。
「まぁ今回はまずアナタな訳ね」
「そりゃもう絶だぃ」
「で!」
俺の言葉を打ち消して髪奈は続ける。
「それに、一回打ち込みはじめると掛かりっきりだから、友達付き合いも悪くなるし」
なるほど。
一つ納得した。そういう面では確かに俺も同じだ。だからあの時髪奈は俺に言い切ったのか。
(そんなの、周りが迷惑なだけでしょ)
(そうよ。仕方ないじゃん。でもそんなの誰だって同じじゃん)
迷惑という言葉の意味をあえて広義的に捉えるのならば、それは確かにそういうこともあるのだろう。バンドの練習やライブがあれば俺も音楽繋がり以外の友達とは付き合いが悪くなる。
「それなら少しは納得できるけど」
「でしょ。そいでさ、できたもの見ると嬉しい訳よね。それだけのものができたなーって。ま、できない時の方が実は多かったりするんだけどさ」
苦笑しつつ、それでも手を止めないで髪奈は言う。
「今回は」
「だってできてみないとね。ちゃんと一番に見せるから」
別にいいけど。
「興味ない、って顔してるねぇ。でもあたしの決めごとだから」
じゃ、断ったって無駄か。ま、一番じゃなくても元々見たいとは思ってたし。
「何で絵、始めたんすか」
それだけ情熱的っちゃ恥ずかしいけど、真面目に打ち込んでる訳だし。少し気になる。
「んー、あたしさ、高校まではスプリンターだったのよね」
「へぇ」
道理で足が速い訳だ。ま、この女の場合、手も早いんだろうけど。とは口には出さない。俺は少し、髪奈の醸し出す気安さに迂闊になってしまうのかもしれない。
「そんでさ、県大でも三位とか結果出せてこれでも結構速かったんだよ」
今でも陸上選手としてはどうだかは判らないが、普通に速いと思う。俺だって脚に自信がある訳ではないが、高校生の頃はクラスの中でも上位に食い込む方だったのだ。それを息も乱さずに簡単に追いつくのは、女としては相当に速い方だろう。
「そりゃ凄い。で、それが何で絵な訳?」
「足、壊れちゃってさ。半月板って判る?」
「えぇ、と、何か膝の……」
なるほど。選手に戻れなかったのか。スポーツ選手と怪我の話はテレビなどでは良く耳にする。
「そ、でも手術すりゃ結構イケるのよ。だからカムバックもしたし。……だけどね、そっから全然伸びなくなっちゃったのよ」
タイムとか記録とか、正確な名称は判らないけれど、とにかくそういうやつか。
「それどころか落ちる一方でね。地区予選どころか部内対抗でも勝てなくなっちゃったのね」
過去に勝てた相手にも敵わなくなってしまう、というのは確かに屈辱的なことなのかもしれない。怪我が完治したとして、また壊れやしないかという気持ちが深層心理に焼き付いてしまっては、自分の気持ちだけではどうにもならないことだってありそうだ。それに膝を壊した割には、手術した割には、というお冠をつけられて、今まで勝ってきた連中に同情されたとしたら。
「……陸上、好きだったんすか」
そこまで成績を遺せたとなると、自信や存在意義にも繋がることなのかもしれない。
「うん。そだね……。ランナーズハイって、あれホントなのよ。気持ちいんだ」
少し寂し気な笑顔。それだけの重みは、俺にも少しだけ伝わってくる。何でそれが絵になったのか。まだ繋がりは見えない。俺は髪奈の言葉を待つ。
「でさ、結局選手にもなれなくてグラウンドで腐ってたの。こないだまで一緒に走ってタイムとか競ってた奴らのすぐ隣で、いじけてマネジなんて絶対やりたくなかったしさ」
人それぞれかもしれないな。それでもその競技が好きだから関わっていたい、とマネージャーやトレーナーの道を選ぶ人だっている。でも髪奈は違ったということだ。ここ数日で知った髪奈の性格からでも髪奈の思考は頷ける。
「そしたら部活動風景描いてる美術部員がいてね。その時面白そうだな、って」
「それで始めたんだ」
何がきっかけになるかなんて本人にだって判ったものじゃないのだろう。
「そ。子供の頃から画とか描くのって結構好きだったし、多少ね、普通よりは上手く描けてるかな、って自負もあったからなんだろうけどね」
「まぁ多分ガキの頃から下手なんじゃ、面白そうだとも思わなかったでしょうしね」
「そうだね。でも、まぁ、そういうこと。へへ、単純でしょ」
へへ、と笑う割には髪奈の笑顔はやっぱりどこか寂しげだ。
「そうかな。俺より全然ちゃんとしてますよ」
きっと髪奈裕江という女は、できることを、やれることをやれちゃうんだろうな。それって結構強いことだと思う。もしも仮に、俺がギターを弾けなくなってしまうほどの怪我などをしてしまったら、俺もすぐに次、と切り替えられるかどうかは判らない。いや、きっと色々なことを言い訳にして、塞いでしまうような気が、しないでもない。それでもギターを弾ける奴を、弾ける奴はいいよな、と羨んで妬んで、結局何もしない……いや、できないかもしれない。
「じゃあ何でキミはバンド始めたの?」
「カッコ良さそうだったから。それだけ。単純でしょ」
「そっか。……でも、それって純粋だよね」
そう言ったきり後は何も言わず、髪奈は無言で手を動かし続けた。
04:できなくなってしまったこと 終り
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