01:コトのホッタン

「ちょっと待ちなさぁい!そこのギター少年!」

 頓狂な声が俺の耳朶に届く。何だか知らないが俺は先を急ぐ身だ。他人の騒ぎなんぞ知ったことじゃない。早歩きのせいか少しずれたサングラスをかけ直してキャンパス内の時計を見上げると、駅へと向う足を更に速める。小腹が空いてはいるが何か食っている時間もない。このペースで直行できればギリギリセーフだ。

「ねぇ!待ってってば!」

 女の声が弾みながら近付いてくる。大方新入生をサークルに引っ張り込もうだとか、そういうアレに決まってる。そんな面倒なものに関わる気など俺にはない。ま、そんなもの個人個人色々と考えがあるんだろうから、それが悪いとは、当然言うつもりもない。

 大体ギター少年なんて何のサークルに入れるんだか。今度はポケットに入った携帯電話を取り出して時間を確認する。少し走らないと電車に間に合わないかもしれない。

 そう思った矢先だった。

「シカトはないでしょ!」

 女の声は俺の耳元で響いた。そして俺の右肩にかけられたギターケースがぐぃ、と引っ張られる。

 俺、だったのかよ……。

「……何すか?」

 ギターを持ってはいたものの、少年という自意識がまったくなかった俺は振り返り、その女を見やる。やたらと背の低い女だ。一五〇センチもないかもしれない。

 顔は、まぁ、可愛い……な。

「どぉ?」

 手作りのサークル紹介でも書いてあるのであろうフライヤーを、その女は俺に見せた。満面の笑みだ。う、うぐ、可愛い。だが俺は女の色香には惑わされない。というか初対面で見ず知らずの女だ。そんなのは当たり前だ。

「興味ねっす」

 見せてきたフライヤーを受け取らず、ろくすっぽ読まずに俺は歩き始める。このままでは練習時間に遅刻してメンバー全員に飲み物を奢らなければならなくなる。

「ちょっと!少しは見なさいよー」

「少し見ましたよ。そんで、断る」

 俺は女が言い終わらないうちにそう返す。歩き出したは良いが進みは悪い。女がしつこく俺のギターケースを引っ掴んでいるからだ。

「あんま強く引っ張らないでくれます?……三十六万」

「え!」

 大嘘をついてやった。俺だったら三十六万のギターをこんな安物のソフトケースに入れたりはしない。案の定女はぱっと手を放した。

(チャンス)

 俺は一気に走り出した。

「まっ……てっ!」

 またぐぃ、と引っ張られる。

「三十六万」

「は!」

 何なんだこのワケのワカラン女は。新入生なら暇そうな連中がそこかしこに……。

「?」

 少し辺りを見回して、ぞっとする。女の声が聞こえていたであろう、いや俺とこの女のやり取りが見えていたであろう殆どの人間がこちらを凝視しているのだ。

(な、何だこりゃ)

 居心地が悪いったらない。ひょっとしてこの女、なんか学内で有名人とかなのか?ミスキャンパスだとかなんかそういうやつとか、そんなのか?そりゃ見た目は可愛いと思うが、いくらなんでもそこまでの美人には見えない。

「あぁっ!」

 なんとも居心地が悪くなった俺は閃きと共にあらぬ方向へ指を差した。そして女と、こっちを見ていたうちの何人かがそれに釣られて蒼穹を見上げる。その瞬間に俺は走り出す。

 基本的、いや古典戦術万歳。



 結局財布の中身を軽くして、俺はベンチに腰かけると煙草をふかした。

「ごっつぁん」

「うぃ」

 ちっきしょうあの女……。そうは思うが、広い大学内では早々会うこともないだろう。今日は運が悪かった、と諦める他ない。

「何これ」

 ベンチの横に立てかけてある俺のギターケースのポケットからボーカルの八木やぎが何かを取り出した。それはさっきの女が持っていたサークルのフライヤーらしきペラだった。ちゃっかりと入れておいたんだな。油断も隙もあったもんじゃない。

「それ持ってた女に絡まれて遅くなったんだ」

 そう言って八木を見ると、八木は目を丸くした。

「お前、これって髪奈裕江かみなゆえじゃん」

 カミナユエ?何だ、やっぱり有名人なのか。八木の持っているフライヤーを見ると確かに右下あたりに、割とでかい装飾文字で髪奈裕江と書いてあった。そしてフライヤーのど真ん中にはモデル募集中、と更にでかい字で書いてある。サークル勧誘かと思ったがどうやらそうではないらしい。

「有名人なのか?」

 俺は思ったことを口に出した。

「そっか、お前こないだゼミの呑み会、来なかったもんな」

「呑み?あん時にいたのか?」

 バイトもあったし、別にみんなで全員仲良しこよし、なんて趣味はない。そもそもゼミは勉強するために行く訳で、いや別にそんな真面目腐ったことなど本心から言うつもりはまったくないが、そもそも大人数で騒ぐのはあまり好きではない。自分で納得した場ならばともかく。だから俺はそもそも呑み会には行く気が無かった。

「いや話に出たんだよ。男をモデルにしちゃ食いまくってる絵描きだって」

 ってことはマトモな女じゃないってことだ。有名は有名でも悪名高いってことか。良かった、関わらなくて。

「目ぇ付けられたんじゃないの?」

「まさか。ま、早々出くわすこともないだろうしさ」

 モデルを選んでるなら尚更だ。自分で言うのも少々情けない話だが、俺より良い男なんてわんさかいる訳だし。

「脱ドーテーのチャンスかもしんないぜー」

「バカ言ってらぁ」

「何だよ風俗の話か?いい店知ってんぞ」

 トイレに行っていたうちのバンドのベーシスト、冴城さえきさんが戻ってきて声も高らかに笑う。

 冴城さんは同じ大学の先輩だが、俺は高校生の頃から一緒にバンドをやっている。最近では随分と丸くなったが、高校時代の冴城さんは表立って派手な悪さをするタイプではなかったけれど、結構ヤバい人だった。冴城さんに缶コーヒーを手渡して、俺は違いますよ、と笑顔になる。

「コレコレ、髪奈裕江」

「あ、何お前、髪奈に目ぇつけられたのか?あー、それで脱ドーテー」

 八木がフライヤーを見せて、冴城さんが納得したようにぽん、と手を打った。冴木さんでも知ってるという事は八木が言っていたことも真実味を帯びてくる。

「捕まりそうになったけど逃げてきたんすよ」

「ばっかだねー。捕まってりゃイイ目見られたかもしれねぇのに」

 煙草に火をつけて冴城さんはやけに楽しそうに言う。他人事だと思って……。

「だってヤリマンなんでしょ、その女」

「噂だよ、そんなもん。おれ結構前から髪奈のこと知ってっけどさ。あいつ、男と別れんの究極に下手糞なんだよ」

「え、じゃあ別れた男が妬み嫉みで悪い噂流してる、とかそんな感じですか」

 すぐにありがちな結論に辿り着く。とはいうものの、別れ方が下手なのは本人の責任だ。俺だってろくすっぽ恋愛経験なんかないけれど、次回は同じ過ちをしないように、くらいは考える。

「もしくは髪奈に寝取られた男を狙ってた女とかがな。まぁ、どっちにしたって簡単じゃねーけどな、あの女は。……お、そろそろ時間じゃねぇか?」

 腕時計を見て冴城さんはベースのケースを肩にかけた。俺達が使うスタジオの整備はもう終わっているみたいだった。ま、もう会うこともないだろうし、バンドに集中だ。

「冴城さん、そう言えばドラマー見つかったとか言ってませんでしたっけ?」

 と八木。うちのバンドには今、ドラマーがいない。ドラマーに原因はあった。ろくすっぽ練習はしてこないし、態度はデカい。なので冴木さんがクビにした。という訳で俺達は今、とりあえずドラマーなしで活動中なのだ。年明けすぐ、一月にライブを予定しているのだが、その間までのヘルプでも良いから、と今躍起になってドラマーを探している。

「おー、一応確保済みだぜ。ヘルプだけどな。コレがちっとヤベーんだよ」

「ヤバイ?」

 俺と八木は顔を見合わせた。

「あぁ、今度会わせるけど……。まぁその人をヘルプにするかどうかはお前らに任せるわ。ただ腕は折り紙付だ」

 どんな人なんだか……。でも冴城さんがヤバイって言うくらいなら相当ヤバイ人なんだろうな。

 でもそれだって今考えていても始まらない。ヤバくたって冴城さんのように付き合いやすい人だっている訳だし。俺はスタジオ内に入り、ケースから六万のギターを取り出した。

「あ、お前それ、弦切れてんじゃん」

 ちっきしょうあの女……。


 01:コトのホッタン 終り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る