02:お気に召すまま

 翌日、講習が終わり、コンビニのバイトへ行こうと思った矢先。

「ちょっと待ちなさーい!」

 全力疾走。

 今日はギターも持っていない。自慢じゃないが俺は五〇メートル走は六.七秒。ま、まぁそんなに速い訳でも遅い訳でもないどっちつかずの記録っぽいが、チビ女の細く(恐らくは)短い足で追いつけるはずもない。

 ともかく、俺はダッシュをかます。スクランブルダッシュだ。俺が生まれる前にやっていたとかいう古いロボットアニメの歌を思い出しながら俺はひた走る。

(ダァッシュ!ダァッシュ!ダンダ)

「何で、逃げるの!」

 がしっ。

「速ぃえっ!」

 なんだこの女!全速力の俺はイントロも歌いきることができずに追いつかれ、がっちりと肩を捕まれた。その場に止まって呼吸を整える。

「あんた、アレだ、バカっす、よね」

 ハァ、ハァ、と息を吐きながら、学園内の悪名高き有名人に向かって言う。

「モデル!やってよ!」

 対する髪奈裕江かみなゆえは息切れ一つしていない。古今東西バンド者なんて殆どみんな運動不足だ。急に全速力で走って怪我しなかっただけ運が良かったと思おう。

「だから、興味ないって……」

 そもそも何だって名前も知らないはずの俺にそんなこと言ってくるんだ。おかしいだろ、どう考えたって。

「これからバイトだし……」

 何も言わない髪奈裕江に俺は言う。ややあって髪奈は口を開いた。

「……やっぱり、悪名高い髪奈のモデルやってさ、何も関係ない外野連中に悪い噂立てられるの、イヤ?」

 何言ってんだ。

「そ、そりゃ誰だって、嫌でしょ」

 好きな女だったならまだしも。見ず知らずな上に、悪い噂の立っている女だなんて。

「周りに興味ないような風で周りが怖いんだね」

 髪奈裕江の言葉で一瞬にして気付く。そうか、だから俺に目をつけたのか。

 別に俺は一匹狼を気取っているつもりはないが、ぎゃあぎゃあと群れて生きる連中の中で、周囲に合わせて生きることに座りの悪さを感じているだけだ。だから迎合しない代わりに特に拒絶も拒否もしない。……こんな特殊なことでも無ければ。

「だって、ムカツクだけでしょ。何の関係もない奴に悪く言われんのは」

「あたしは気にしないけどね」

 そりゃあんたなら気にならないんだろうけれど。

「何か言われて、こっちが外野にムカついたってエネルギーの無駄でしょ。そういうの、嫌なんすよ」

 スラスラと正論吐いたところで、結局何か言われればムカつくに決まってる。ほぼ全ての事象には否定も肯定もある。したり顔でそれらしいこと言ったって、そんなに人間ができている訳がないじゃないか。態々むかつく対象を自分から作るなんてどうかしている。

「あたしはねぇ」

 そう言って掴んでいた俺の肩を放すと髪奈裕江は笑った。

「基本的に我侭だからね。人のことなんてどうでもいいの」

 きっぱり、はっきりと、言い張った。

「……そんなの、周りが迷惑なだけでしょ」

「そうよ。でも仕方ないじゃん。そんなの誰だって同じじゃん」

「俺は、違いますよ」

 そんな人様に迷惑かけて我が道を歩んできた覚えはこれっぽっちもない。

「そうかな」

「そうですよ。俺がバンドやってて、我侭通して、迷惑かけたことなんてないですから」

 ライブをやる時だって、無理矢理友達や後輩を誘った覚えはないし、チケットだって絶対無理矢理には売らない。絵を描くのと同じく、音楽を演奏するのも、相手がいなくちゃ成り立たないことだけど、でも俺は、聞いてくれる人に迷惑をかけた覚えはない。

「それは嘘だね。どんな状況かは判んないけどさ」

 判んないくせに言い切るのか。

「何かさ……。なに、アンタ」

「絵描いてんの」

 そんなことじゃない。

「カッコ良く描くからさ、一回だけでいいよ」

 何なんだよ……。ムカつく女だな。

「だからバイト。悪いけど、他、当たって下さいよ」

 俺は一瞬だけ髪奈裕江を睨めつけ、背を向けた。


 バイト中もなんだかムカっ腹を抱えたまま仕事をして、ようやっと仕事を終えた。客に対しそれが出なかったのは奇跡と言っても良かったような気がする。店内で廃棄処分扱いの賞味期限切れのシュークリームを二個頬張って(ホントウはイケナイ)、エライ俺、と鼓舞してみたものの、結局気分なんかそんなもので上がる訳もなく。

「よっ」

 ……待ち伏せてるし。着けてきたんだな。

「バイト終わったんなら時間あるでしょ」

「時間あったとして、興味はないって言いましたよね」

 歩道のガードパイプに腰掛けていた髪奈裕江の前を通り過ぎながら俺は言った。

「あのさ、キライなの判ったから、一回だけやって」

 どんな理屈だ。こんなところまで押しかけてきて。バイト明けで疲れてるし、飯だって食ってない。

「ね?」

「……頭の悪い女だなぁ!」

 俺はいい加減頭にきて大声を張り上げた。

「それは判ったからさ、ね、一回だけ」

 後ろに着いてきて、悪びれもしなければ、怒ることもなく髪奈裕江は俺の怒りをいとも簡単にいなす。いや、いなすなんてレベルじゃない。そもそも聞いてない。

「あなたねぇ、自分の主義を通すのは立派だと思うけど、そんなの成長できてないだけでしょ」

 叱りつけられれば諦める子供より始末が悪い。いや、叱り付けようが怒鳴ろうが諦めの悪い子供もいるけれど。

「だって、描きたいんだもん」

 急に沈んだ声になって髪奈裕江は言う。そんな声を出されると意地悪で断っているように感じてしまう。これだから女って生き物はズルい。仕方なく立ち止まる。

「い、一生懸命なのは、判る、けど……」

 だからって何で俺がそんなことに巻き込まれなくちゃいけないんだ。

「そうだよ。真剣なんだもん」

「だからって、お、俺よりかっこいい奴なんか、いくらだっているよ」

 真剣にやりたい気持ちは、解る。俺だってバンドは真剣だ。プロになりたい訳じゃあないけれど、一生の趣味としてやって行きたいと思うくらいには真剣だ。だから、髪奈裕江のそういう、絵に対する真剣な気持ちを踏みにじりたい訳じゃない。でも、だから俺がモデルをやりたいかと問われればやはり答えはノーだ。

「そういう問題じゃないの。ま、確かにあたしは色々言われてるみたいだけど、そういうの目的で描いてる訳じゃないし」

「じゃあ一体どういう問題なんすか」

 イケメンだから描きたいという訳ではないのならば、一体どういう訳なのか。

「言ったらやってくれる?」

「じゃあ訊かないっす」

 俺はそのまま再び歩き出した。そこまで、どうしても訊き出したい訳でもない。

「待ってってば」

 肩を掴んで必死に引っ張るがチビ女の一人や二人、どうってことはない。

 ずりずりずり。

「もぉー!いーじゃーん!ゴハンくらい奢っからさー!こっちだって何もロハでとか言わないわよー!」

 ぴく。

 飯という言葉に俺の足が止まってしまった。

 いやいや待て待て、たかが一回の飯で釣られるなんて情けないにもほどがある。だが俺はバイト暮らしの独り暮らし。正直飯なんてものは奢ってもらえれば奢ってもらえるだけありがたい。

「お?」

「……も、モデルって、何日くらいなんすか?」

「おぉ?」

 三日くらい飯奢ってくれたらやってもいい、かも……。

「と、とりあえず二日!」

 いきなり折衷かよ。微妙だな……。

「二日間飯、おごりっすか?」

「いやー流石に二日間三食はちと無理、かも」

「……」

 ここであえて無言になってみる。さあどうするんだ髪奈裕江。

「二日で三回なら、なんとか……」

 冷静になって考えてみれば、少々ムカつきはしたが、そう意固地になって断る理由もない。先ほども思ったが、俺は髪奈の絵を描きたい気持ちを踏みにじりたい訳じゃない。絵を描くこと、それ自体に真剣になるということには、俺だって賛同できる。

 それに――

 周りに興味ないような風で周りが怖いんだね。

 この女は俺に向かってそう言ってのけたんだ。

 誰だって、自分だってそうなんじゃないのか。それを確かめたい気持ちにもなった。

「……昼、夜、昼」

 腹を決めた。そこまで我侭を通して描いている絵がどれほどのものなのか。俺は絵を見る目なんかはこれっぽっちも持ち合わせてはいない。だけれど、それでも見てみたくなった。

「やってくれんの?」

「だから、昼、夜、昼!」

「お、おっけ……」

 急に赤面して髪奈裕江は笑顔になった。

「そんじゃ早速アトリエ」

「今からぁ?」

 幾らなんでも急すぎる。大体今日の晩飯はどうしてくれるんだ。

「だって早い方がいいもん。今すぐ描きたいんだもん!」

「あのさ、バイト明け。疲れてんだけど」

「だって……」

 つまり、少しでも髪奈裕江と関わって時間を共有するということが、こういうことなんだと判るまで、俺にはまだ時間が必要だった。

「やっぱアレだ、あんた……バカっすよね」

「エヘ」

 なんだそれ。


 02:お気に召すまま 終り

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