プロローグ 志葵真日路②

 境内の掃除に社務所の対応や事務仕事、町内会に買い物と真日路の日中はとかく忙しい。気がつけば昼を回っていて、そろそろめぐるが帰ってくる時間になっていた。

 シズが「お茶会に行ってくるわね」と言い残して出かけたのが、午前9時頃。行き先はいつもの「シニア都市伝説同好会」とか言う、根守ふれあい商店街内の美容室の2階で開かれる集まりだろう。

 真日路がそう思ったのは、シズが出かける際に小脇に抱えた包みからちらと古そうな像が見えたからだ。シズはその集まりに行く時は何かしら曰くありそうなものを持って行っていた。物好きな年寄りたちが、やいのやいのと真偽不明な話を披露し合い、結論の出ない話を延々と繰り広げるだけの、面白いのかどうかわからないような集会である。

 今日はどんなお土産を持って帰ってくるんだろう。真日路は、シズが出かけるたびに持ち帰ってくる土産が密かな楽しみであった。同好会の場で毎回締めにお土産交換会が行われるようで、メンバーの個性がよくわかる土産を持ち帰ってくるのだ。真日路が特に楽しみにしていたのは、筆者不明の古い書物だった。

 シズの都市伝説仲間の一人に古本コレクターがいるようで、お土産交換でその友人の古本がシズの手に渡る。そうなると真日路は夕飯はいつもより手塩にかけたものを出すし、次の日多少寝坊しても夜更かししてシズの持ち帰った古本を読み耽るのだ。ほとんどの場合、読めないくらい字が崩れていたり、本自体が破損していたりするのだが、そういった風体も含めて、真日路は古書が大好きだった。過ぎ去った時間や、かつて所蔵していたであろう人、当時それを読んでいた人、書いた人。いろんな想像が掻き立てられて、時に涙まで流してしまう。そういった切なさのような、連綿と流れ続けた時間の壮大さが、古書のボロボロな姿に映し出されて何とも言えない気持ちになるのが真日路にとってはある種の「生きている実感」とも言えた。


「前回はどこかの溶岩の塊、その前は海外の民芸品だったから・・・」

 真日路はなんとなく今回はお目当ての品が来そうな期待を持って、晩御飯はシズの好きなアイナメの煮付けにしようか、刺身か、それともシンプルにアジの塩焼きかと、高ぶる気持ちを抑えられず、腕によりをかけようと意気揚々と買い物に出かけた。


◇◇


 真日路がこの島にやってきてもう二十年になる。

 当時、神社仏閣巡りに没頭していた真日路は鹿児島の実家を飛び出して、京都に小さなアパートを借りて住んでいた。毎日のように仕事の合間を縫ってあちこちの神社やお寺を周ったり、さまざまなお経や祭神ごとの祝詞をあっという間に覚えたりと、ゆくゆくは巫女か尼になろうとまで考えていた程のめり込んでいた。

 当然スピリチュアルな話にもよく飛び付いては、パワーストーンだの次元の高い低いだの、ハイヤーセルフだのという話にも振り回されるようになり、本来こう言った思想や価値観というものは、自己をよりクリアにし、受け容れていくためのプロセスに過ぎないもののはずなのに、真日路は完全にこれらによって己を見失っていた。

「私は次元が高いから、迷うような試練とかが来るんだ。低次元からの嫉妬に晒されて引き摺り下ろそうとしてるんだ」。当時の真日路の常套句だった。

 そうして、一日中暗い部屋の中で独り言のように祝詞を唱えるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 連絡の取れなくなった真日路を心配して友人が度々訪れるが、真日路はなぜか友人たちの前では今までのような明るさをもって接し、もてなした。その姿に安堵して友人が帰っていくと、再び部屋のカーテンを閉め切り、照明を落とした真っ暗な部屋でぶつぶつと祝詞やお経をつぶやくというな始末だった。


 そんな状態の真日路にいち早く気づき、手を差し伸べたのが現在の夫、志葵潮しおいうしおだった。真日路の神社仏閣巡り仲間だった彼は、メンバーの中では物静かな方で、どちらかというと周りの賑やかさからは一歩後ろに引いて全体を把握しながら最低限の話だけ入るというような人間で、仲が良いとも悪いとも言えない、何事にも常に中立であろうとしていた。

 そんなどことなくドライな印象もある潮が、誰よりも真日路の異変に気づいたのは、生来の観察眼と、ちょっとした言葉のイントネーションや表情筋の強張りまで気にしてしまう繊細さのおかげだった。


 真日路の声が語尾だけ半トーン跳ね上がるような尖がった音の特徴が出始めた頃から、潮はなんとなく真日路のことを気にし始めていた。

 (若松さんには苦しんでほしくない)咄嗟にそう思った潮は、さりげなく真日路が自然体でいられるように話を振ったり意見を聞いてみたりと、あらゆる方法で真日路が安心できる空間を作ろうと尽力したが、結局それも叶わず、真日路は閉じこもるようになってしまった。


 精神科に入院となった真日路は、一時は手に負えないくらい錯乱し、革製の拘束具まで引っ張り出されることもあったが、潮が毎日仕事の途中で病院に寄ったり、面会できない時は手紙を認めたりと、とにかく毎日何かしらの接点を作っていた。

 素人が容易に手を差し伸べて、ただ彼女の内面をかき乱しただけだったのか。罪悪感だった。潮は禊をするように毎日、毎日、真日路を見舞った。


 半年ほど経った頃から次第に病状は落ち着いて寛解に至り、そして退院となった日に、潮は意を決して故郷の蓋代島へ誘った。

 潮は島内にある神社の禰宜ねぎで、跡取りだった。


 臥せていた間、自分を最後まで見捨てなかったのは潮だけだった。友人はおろか、両親でさえ真日路の状態に耐えられずに次第に疲れ果て、ついには連絡もなくなってしまった。

 退院してから数日後、実家に顔を見せたが、何か得体の知れない物でも見るような目でよそよそしく応対された。その様に強い孤独感を覚えて、それ以来実家に帰ることは無くなった。ほとんど縁を切ったようなものだった。

 もう捨てよう。全部捨ててしまおう。これまでの自分も、取り巻く環境も、思い出もぜんぶ。ぜんぶもういらない。


––––捨てられたのはあなたでしょ?


 後頭部から聞き覚えのある声が聞こえ、どきりとして振り向いたが誰もいなかった。自分が一番嫌いな人間の声。

 真日路は振り払うように荷物をバッグに詰めていった。旅行でもすれば気が紛れるだろう。潮から誘ってもらったのも何かの導きかも、と思い直し、遥か遠くの行ったことも聞いたこともない島の風景に想像を膨らませる。自然に囲まれて過ごすのも悪くない。不便さも見方を変えればある種の癒しになるかも。


 –––––スポーツバッグ一つでJR京都駅にやって来た真日路を、潮はいち早く呼びかけて車へ案内した。車内でどんな話をしたのかあまり覚えていないが、最近行った場所や見た映画、読んだ本とか、そういう他愛のないことばかりだったと思う。少しだけ島のことを聞いたりもしたが、「きっとびっくりするよ」と言ったきりだった。

 どれくらい移動したのだろう。途中で高速に乗り、1時間ほど走った後パーキングエリアで軽い食事をして、2時間ほど走って、そしてまた休憩して、さらに1時間ほど走っただろうか。ついうとうとしてしまった真日路は、潮にそっと起こされて初めて窓からの風景に目をやった。どこかの地下駐車場のようなところだった。

「ついたよ。ここから船に乗るよ。」そう言って潮は車を降り、真日路もそれに続いた。

「ここは?」真日路は潮の後ろをついて歩きながら訊いた。

「舞鶴港。ここの遊覧船の一つが蓋代島へ行くための唯一の船なんだ」。潮はそう言って階段を登っていく。階段の先の扉を重そうに開けると、磯の匂いの混じったどこかほっとする風が真日路に当たり、散っていく。

 島って紀伊半島の沖って言ってたけど、舞鶴だと全然逆じゃない。どういうことなんだろうと、少しだけ潮に対して疑念が湧いてきていた。

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