プロローグ 志葵真日路①

 今日は畑の野菜で煮物にでもしようかな。志葵しおい真日路まひろは、布団の中で微睡まどろみながら、そんなことを考えていた。枕元の目覚まし時計を見る。AM6:00。いつもより1時間も早く起きてしまった。

 もう一眠りするかと再び目を閉じて、すぐに見開いた。今日は夫のうしおが島外へ出る日だ。知り合いの宮司からの呼び出しだった。

 いつもより少し乱暴に布団を捲り上げ、足音を立てない最大限の速度で寝室を出た。明かりの消えた廊下はまだ暗い。9月に入ったばかりだというのに日の出も遅くなって来ている。この薄暗さはいまだに慣れない。背筋をゾクゾクと強張らせながら、真日路はそろりと台所に向かって歩き出した。


 台所に通じる引き戸の前に立つと、物音がする。義母が起きている。真日路は一気に気分を落とし、これから訪れる小言の雨を全身で受ける心の準備をしつつ深呼吸をした。

(遅くなればなるほど長くなる)そう自分に言い聞かせ、えいやと引き戸をそろりと開けた。

「あ、おはよう」娘のめぐるが湯呑みの緑茶を啜りながら目だけ真日路に向けて言った。

「めぐかあ。おはよう」真日路は肩にかかった力を一気に緩め、ほうと息を吐きながらめぐるを見た。この子は高校生の割にはどことなく老けてるなあ。そう言えば私も同じだったな。ボロボロの寝巻きに眠気の抜けきらない目と四方八方に跳ね散らかした髪でお茶を啜っては母から小言を言われていたな。

「お母さん今日早いね」

「あんたも早いね。今朝はお父さん出張やから。お弁当早めに作らな」

「あー。そんなこと言ってた。あたしは今日部活の朝練あるから。短距離でインハイ出れんねん」

 真日路は自分のお茶を淹れながら耳を傾けていためぐるの最後の言葉に急須を落としそうになった。

「は?インハイって、インターハイ?出るの?あんたが出るの?」

「え、なにその言い方。ヘタレなあたしがなんで出れるんみたいな顔して」

「そうは言ってへんしそんなこと思ってへんわ。なんで言わへんのよ!」

「言おう思ったけど忙しそうやったもん最近」

 塩青以神社では毎年秋分の日前後に祭祀が催される。神社ができる前からこの地では変わった祭りが毎年開かれていたらしい。ここ数日、その準備で慌しい。

「そうやったけど、ご飯の時とか言えたやん。なんで言わんの」

「忘れてた」

「あんたはほんま・・・」


 そこまで言ったところで背後の扉が開く音がした。

「あら、みんな早いのね。珍しいね」義母のシズが真日路たちを見渡し、言った。

「おばあちゃんおはよう」

「お義母さん、おはようございます。すぐお茶淹れますね」

「みんなおはよう。真日路さんありがとうね、今日は昆布茶がいいわね」

「好きだね梅昆布茶」

「そういうめぐちゃんはいつも番茶ね。渋くて素敵よ」シズはめぐるのボサボサ髪を撫で整えながら愛おしそうに言った。


◇◇


 女3人がかしましく朝食を終える頃、夫の潮が起きてきた。

「おはよう」潮が眠気の抜けきらないぼやけた声で皆に声をかけた。

「おはよう。お弁当と神具、用意できてるよ」真日路が玄関を指差す。かまちの所に大量の荷物が積み上げられていた。

「あんたはもうちょっとシャキッとできんのか?はよ顔洗ってこんかい」シズは開口一番檄を飛ばした。

「おはよう。お父さん今日はいつも以上にだるそうやん」めぐるはけらけらと笑いながら潮を見ている。

「今日は本土まで行かならんのや。しかも富士山まで。遠いわ…あ、まあちゃん荷物ありがとう」まあちゃん、とは真日路の愛称だ。と言っても潮にしか呼ばれないし、その時のめぐるはあからさまに不快そうな顔で潮を見る。

「しかも夜通し祀り事」真日路が気の毒そうに付け加えた。

「もっとゆっくりして来たらいいのに」めぐるが同情するように言うと

「明日朝イチで帰ってこんとあかん。祭りが近いからな」

そう言って潮は席についた。

「顔洗ってこんかバカタレ!」シズが潮の頭を叩いた。

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