プロローグ 志葵めぐる②

 翌日、学校から戻ると、元宮から声が聞こえてきた。あの本の大祓の最中なのだろう、禰宜ねぎの祝詞宣りが聞こえる。

 今のうちだと、めぐるは自室に荷物を置くと急いで蔵に向かった。作業着を纏い、顔には目出し帽とガスマスク、両手にはゴム手袋を二重にはめて、足には長靴を履き、裾を縛ってとにかく地肌に何も触れないように厳重に衣を重ね、挑むことにした。

 蔵を前にするとさすがに緊張してきた。昨日の今日だ。あんな話を聞かされてしまって、怖くないはずはない。だがそれよりもずっとめぐるの中の好奇心は大きかった。


 さあ行くぞと扉を開けると、めぐるはそのまま固まった。そこにあるはずのないものと目が合った。暗がりの中で、ギラリと光る二つの目はめぐるをみとめたまま硬直している。

 めぐるは必死に逡巡しゅんじゅんする。え、誰?人?もしかして泥棒?しかし一体どこから入ったのだろう。蔵にはせいぜい腕が一本入るくらいの大きさの通気孔がある他には、横側に窓はあるが、格子状にくり抜かれる形になっており、人は絶対に入れない。恐らく母が言っていた事件の後に現在のようになったのだろう、そこだけ新しい漆喰で塗り固められている。

 表皮がチリチリと沸き立ち、総毛立つ。

 泥棒だ!

 めぐるは踵を返し、蔵の側壁に立てかけられていたくわをとっさに手に取り、再び蔵内に目を向けると、さっきの人影が見当たらない。気のせい?まさかオバケ!?

 いやそんなバカなとかぶりを振って蔵内に足を踏み入れ、見渡してみたが特におかしいところは見当たらなかった。昨日見たままの風景がそこにはあった。それで落ち着きを取り戻し、やっと落ち着いて見渡し確認してみたが、特に異変はなかった。


 気のせいだと自分に言い聞かせて、めぐるは蔵内の荷物にさらに慎重に目をやりながら本がまつられていた神棚まで歩を進めた。まずはここからチェックしよう。

 神棚の下にある桐箪笥。中に何か入ってるかもしれない。そう思って一番上の引き戸を開けたが、中には古い醤油皿のような小皿が並べられているだけだった。

 続いて引き出しの一段目に手をかけるが、開かない。中で何か引っ掛かっているようだ。無理やり開けるのはやめて、二段目に手をかけた時だった。ひゅう、と手元を冷たい風が撫で抜けた。咄嗟に手を引き、めぐるは二、三歩後退りしながらも、箪笥から目を離さなかった。めぐるは昨日も見たはずのその一帯に対して、奇妙な違和感を持った。


 床の埃が拭われている。違う、ズレてるんだ。箪笥と床の間に薄い鉄の板のようなものが見えた。

 箪笥の側面に両手を当てて、ぐっと自身の重心を傾けると、箪笥がスライドする手応えがあり、めぐるの心臓が跳ね上がって肺にぶつかる感触と共に、期待と恐怖と好奇心で、呼吸も浅く速くなっていく。

 箪笥の下から人一人がギリギリ通れる幅の穴がぽっかりと顔を出した。ハシゴがかかっていて、闇の中へ吸い込まれている。かなり深そうだ。意を決してハシゴに手をかけた。その先に何があるのか、めぐるは最早それを見るためなら死んでもいいとまで思っていた。


◇◇


 塩青以神社のある『根守町ねもりちょう』は、紀伊半島からはるか南の太平洋上にポツンと浮かぶ蓋代島ふたしろじまの南西海岸に位置する小さな町だ。古くから貿易の要所として発展したようで、現在も島の博物館では当時の舶来品の数々を見ることができる。

 もともとは本土へ向かうはずの船が迷い込んでこの島に辿り着き、積荷と食料を交換してもらったところから始まった。海流の影響なのか頻繁に船が迷い込むので、島にはどんどん舶来品が集まってきて、そのうち交易した品を、また別の国の迷い船と取引したりして、そうして多くの国のがこの島に集まることになった。


 だが、どうにも奇妙なのが、この島と日本本土との交易そのものを記録した文献がまったく見当たらないのだ。迷い込んだ船もこの島でほとんどの荷を食料と交換してから本土に向かっていたらしい。

 それだけではない。この島の発祥自体も結局分からず、ある日突然沸き起こったかのように、歴史に姿を表す。

 出所不明の古い海図に『Lemli』という表記でいきなり登場しており、迷い船の乗員が記した記録では、その時点で既にある程度の規模の村落になっていたようだ。「こんな島があったとは」と驚いた様子が書き記されていた。

 完全に忘れられた孤島であった。なので正確な発祥はいまだ不明のまま、人々は今もこの島で営みを続けている。

 そういうわけで、本土との交流も全くないような時代が続いた背景や、長崎の出島より多様な異文化との交易が多かったこともあって、どこか浮世離れしているような雰囲気の漂う街並みが今も残っている。


 高度経済成長期以降、一時期は『幻の島』などと呼ばれて観光客で賑わいを見せ、商機とばかりにさまざまな商店や施設が立ち並んだが、不思議なくらい客足はどんどん遠のき、観光客も年に2〜3組訪れる程度で、祭りのような喧騒はあっという間に鳴りを潜めた。もともとそれほど見栄えのするような島でもないし、唯一の観光スポットとなる島中心部の山を囲む神社群も、煌びやかとは程遠い地味で質素な作りのためか、一部のスピリチュアルな人たち以外には見向きもされなくなった。

 現在ではSNSの普及もあって、写真も検索すれば見られるし、Google Earthもあるしで、「わざわざ行くほどの場所ではない」と人々も気づき始め、船が二日に1便1往復しかないという不便さ極まった交通インフラということも相まって、皆面倒くさがってしまい、訪問者はどんどん減っていった。

 そうして島はかつての姿に戻っていき、再び「閉じた島」となった。


◇◇


 箪笥に塞がれていた竪穴をゆっくり降りながら、めぐるは自分自身、ひいては志葵家、もっと言えば根守町、蓋代島のルーツについて思っていた以上に何も知らないことを痛感していた。同時に自らの原点があまりにも不透明だということをまざまざと今見せつけられているようで、めぐるはどうにもそれが我慢ならなかった。強烈な疎外感と信頼の喪失を感じていた。

 何も知らないのは嫌。自分の立ってる場所が壊れていく感じがするから。自分が今どこにいるのか、自分の目で理解していたい。めぐるのこう言った思想は私生活にも多大に影響を及ぼしていた。学校は絶対に休まないし、何か集まりがあれば必ず参加する。「自分だけ知らない、聞いていない」ということにコンプレックスと言っていいほどの執着を持っていた。


 めぐるはブツブツと悪態をつきながら、ガンガンガンとハシゴを鳴らして噛み締めるように一段一段降りていった。


 どれくらい降りただろうか。見上げると、もう入り口はかなり小さくなっていた。10メートルは降りている。次にめぐるは左右を見渡した。鉄板剥き出しの壁から、この穴はそこまで古いものではないことがわかる。一体この下に何があるんだろう。

 すこしだけ怖くなって来ためぐるは、それを打ち消すように一層力強く音をたてながら勢いを増して梯子を降りていった。

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