第10話 忘れないで【最終話】
「ってな話がうちの園にはありましてね。」
咲き誇る山茶花の花。
嬉々として子どもたちに語っているのは、飄々とした青年。
私はじーっとそれを語る人を見ている。
「お兄ちゃん!それから!椿園はどうなったの!?」
子どもたちは興味津々に青年の話に聞き入っている。
青年は両手を広げて笑った。
「君たちの目の前に今、見えるだろう?この通り、今咲き誇っている。しっかりと守られたのさ!」
わあっと上がる歓声。子供たちは小さな手でパチパチと拍手をする。
青年は紳士のように丁寧にお辞儀をした。
「僕も驚いているんですよ。会社員だった女の子が、いろんな関係者、経営者、植木職人、役所…って君たちには難しいか。ありとあらゆるいろんな人に頭を下げて、お願いして、気の遠くなるくらいの無理難題を一つ一つこなして、椿園を守ったんだよ。そして今じゃこの植物園でトップになったんだからさ。」
青年が私の顔を見る。
パチリと目が合った。その上彼は私にウインクをした。
「……少しお喋りが過ぎたんじゃないかしら。」
「いいえ、とんでもない。」
にっこり笑う青年。
私はそばに置いていた杖を手に取った。
あれから何十年経過しただろうか。
私の手は皺だらけ。
元々低かった背もさらに縮んで、あの時よりもずっと山茶花の背が高く見える。
いうことを聞かない足を撫で、ゆっくりとベンチから腰を上げた。
「座っていてもいいんですよ。」
「これ以上あなたにペラペラと話されるわけにはいきませんから。ねえ、君たち。」
子どもたちに笑いかける。
「こんな口から出まかせな人は放っておいていいわよ。」
「ほとんど真実ですよ。」
「あら、それはどうかしらね。年老いて忘れちゃったわ。」
そのやりとりを見ていた子どもたちは、顔を見合わせた。
「ねえ、あのお婆さんとお兄さんってさ。山茶花の妖精だったりして。」
「んなわけないだろ!あのお兄さんどうみてもただの人だぞ。」
「そうかなあ。」
集合、という声が遠くの方から聞こえる。この子たちの学校の先生だろう。
「ほら、集合だっていくぞ。あ、お兄さん面白い話ありがとう!」
「え、ちょっとまってよー!あ、お兄さん、お婆さんまたね!」
子どもたちは私たちに地面に頭がつきそうなくらい深くお辞儀をすると、何度も振り返りながら走っていった。
「全く、困った人だわ。」
「それは僕の台詞なんですけどね。」
青年は慣れた仕草で私の手を取ると、椿園の山茶花が一番良く見えるベンチへと私をゆっくりと誘導する。
「綺麗ねえ。」
「ありがとう。」
「あなたに言ったわけじゃないわ。『山茶花』に言ったの。」
「実質僕に言ってることになるんですけどね。」
「もう。」
青年は私の肩にふわりとストールをかけた。
そしてベンチの私の隣に腰を下ろした。
「……僕を置いていかないでくださいね、風子さん。」
「それはどうかしら。私もういい歳よ?」
「じゃあ、君がここに来られなくなったら僕は自主的に枯れることにします。」
「それはだめ。」
「えー。」
青年は残念そうにつぶやいた。
「何のために私がここまで守ってきたと思っているのよ。まったく、困った人ね。」
くしゃ、と皺を深めて私は笑った。
「あなたにはずっと。毎年、花をつけて咲き誇ってほしいの。そしてこの美しい姿をいろんな人に見せて、いろんな人を元気づけて欲しいの。ね、葉一さん。」
青年、葉一さんは姿はずっと出会った時のままだ。
私みたいに白髪が増えて、手や顔に皺を刻み、背中が曲がることもなく、彼はずっと若くて、黒い髪をふわりと揺らして、透き通るような色白な素肌で、背中はしゃんと伸びている。
そして出会った時と変わらない笑みを今も浮かべてくれている。
葉一さんは立ち上がると、山茶花に近づいたと思えば、パキンと小さな音を立てて一枝手折った。
その瞬間、葉一さんの白い素肌にツーっと血が流れた。
葉一さんはそれを気に留めるわけでもなく、枝をもって私の元へ戻って来た。
私は慌ててポケットからハンカチを取り出して、葉一さんの腕にを覆った。
「何やってるのよ!」
葉一さんは私の問いに応えず、スッとその一枝を私に差し出した。
枝の先には満開の山茶花の花が付いている。
「その時が来るまで、僕を忘れないで。ずっと傍においてくださいね。」
いつものような軽い笑みではなく、困ったように笑う彼の表情はめずらしかった。
「……あなたとの時間が濃すぎて忘れたくても忘れられないわよ。」
「それもそうですね。」
ふわっと少し強めの風が吹き、山茶花の花びらが舞った。
山茶花の君を守りたい! 茶葉まこと @to_371
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