第7話 誰にも聞かれたくない話
「やあ、どうしたんですか?そんなに走って。って、大丈夫ですか?その紙袋、水が滴ってますが。」
「これはさっき落としてしまって。気にしないでください。」
「そ、そうですか。」
葉一さんは手持ちの本をぱたりと閉じると私に向かって歩いて来た。
「あ、そうだ。これ風子さんにどうぞ。」
その本を私に差し出す葉一さん。
手描きの植物図鑑だった。この植物園にある花が丁寧にまとめられている。
「葉一さんが作ってくださったんですか。」
「はい。」
少し照れくさそうに笑う葉一さん。嬉しい、本当だったら満面の笑みを浮かべて、飛んで跳ねて喜びたい。
でもさっき聞いた椿園の件についての事が頭の中でぐるぐると回っていて、頑張って笑おうとしているのに、ひきつった笑顔になってしまう。
「どうしてそんな顔しているんですか?」
葉一さんは不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「すみません。さっき受付のお姉さんに椿園のこと聞いちゃって。」
「椿園のこと?」
「知らないんですか?」
葉一さんは何のことだろう、と言わんばかりに不思議な顔をしている。
おかしいな、植物園の人だって聞いているのに、この話を知らないなんて。
私はことの経緯を説明した。
葉一さんは黙ってそれを聞いてくれた。
「そっかぁ。そう……うーん。寂しくなるなぁ。」
ぼそり、と呟いたその言葉は思ったよりもあっさりとしていた。
「何かいい方法はないですかね。私、ここ大好きなのに。」
「ありがとう。その気持ちだけで十分だよ。」
そう笑う葉一さんの表情からは感情が読み取れない。諦めているようにも見えるし、悲しんでいるようにも見える、でもどことなく安心しているようにも見える。分からない。私はこの人が何を考えているのか、どう思っているのか。
「もしそのお話が本当なら、風子さんと会えなくなってしまいます。それは寂しいですね。」
今度は少しだけ寂しそうな顔をした。
「会えなくなるってどういうことですか?植物園自体が閉鎖するわけは……。」
言い終わる前に葉一さんは私のポケットから少しはみ出しているポストカードを見つけて指差す。
「これは?」
「あ、先ほど受付の方に頂いたんです。植樹100周年記念のポストカードだって。」
私はポケットから取り出して見つめる。
「あれ?」
一番最初に植えられたと言われている山茶花。
その木の根元には、この前花びらで見えなかった説明板がしっかりと映っていた。
写真越しでも文字が読み取れる。
『本園最初に植えられた山茶花、通称:葉一』
「別名…?葉一って…葉一さんと同じ名前。」
「ああ、この山茶花を植えた人が山茶花に名前を付けたんですよ。その人が植物に名前を付けたのはこの山茶花だけです。」
フフッと笑う葉一さん。
「懐かしいなぁ。」
「えっと、これはどういう…。」
「ちょっと来て。」
私の言葉を遮って、葉一さんは私の腕を掴んで駆け出した。
「どこ行くんですか。」
すれ違う老夫婦やカップル、学生にや散歩に来ている近所の人、全てを避けて、葉一さんは走っていく。
「誰にも聞かれたくない話をしたいので、とっておきの場所まで案内します。」
走りながら葉一さんはそう言うと、さりげなく私の手から荷物も取り、私が走りやすいようにしてくれる。
そしてほどなくして到着した。
「とっておきの場所って、ここ、椿園じゃないですか。」
「そうですよ。椿園です。そして僕の居場所でもあります。」
「居場所?」
フッと笑う葉一さん。ふわりと風が流れる。
サアっと音をたてて山茶花と椿の花が揺れる。
「僕はね、山茶花です。」
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