2.二人

 落ちついた色あいで統一とういつされたカフェの中に、わたしと麗音れいねさんはいた。


 彼女かのじょは足を組みながら、ホットのブラックコーヒーに口をつけていた。わたしはそんな麗音れいねさんに、ちらちらと視線しせんをうばわれながら、アイスのミルクティーを飲んでいた。


 お茶にさそってくれたのは、麗音れいねさんの方からだった。レイネにそっくりな彼女かのじょのことを、もっと知りたくて、わたしはすぐにうなずいた。そんなわたしに、麗音れいねさんはどこかうれしそうに、ほほえんでくれた。


 近いようで少し遠い過去かこを思い出しながら、わたしはもう一度、ミルクティーに口をつける。ほのかな砂糖さとうあまみが、口の中にひろがった。


 麗音れいねさんが、わたしのことを見た。


 キャラメルを思わせる二つのひとみが、確かにわたしを、とらえている。


「さっき私のことを、貴女あなたいている絵に出てくる人に似ている、と言っていたよね」

「うん、そうです」


「ということは、花奈かなさんは、絵をくのが好きなんだ」

「はい、そうなんです!」

「すてきだね。どうして、好きなの?」


 麗音れいねさんのいかけに、わたしは少し考えてから、口を開く。


「どうして、ですか。……改めて考えてみると、難しいですね。物心ものごころついたときから、絵をくのが好きだったので、そこにとくに理由とかは、ないのかもしれません。いて言うなら、一枚の絵をき上げたときの、あの高揚感こうようかんみたいなものは、好きなんだと思います」


「へえ、いいね。私は絵なんてからっきしだから、花奈かなさんがうらやましいよ。今、何年生だっけ?」

「高校一年生です! 麗音れいねさんは?」

「私は……高校二年生だから、一つ上だね。ということは、中学校のとき、美術部だったりしたの?」


 その質問しつもんに、わたしはこくりとうなずいた。


「そうです、美術部でした!」

「そうなんだね。……美術部、どういう雰囲気ふんいきだった? 私、部活とか入ったことないから、そういう空気感みたいなもの、聞きたいかも」


「え、麗音れいねさんの学校は、部活動は強制きょうせいじゃないんですか?」

「うん、任意にんいだよ。入っても入らなくてもいいから、私はずっと帰宅部をやってるんだ」

「そうなんですね! ええと、そうだ、雰囲気ふんいきでしたよね……」


 わたしは、少しずつ過去かこのものへと変わっている中学時代の美術部のことを、ゆっくりと思い出した。


 あまり部員の数は多くなかった。わたしの通っていた中学校は、スポーツ系の部活の方が人気も実力もあったから、そっちに入る人が多かったのだ。美術部の同期はわたしをふくめて五人で、わたしはそのうちの二人と、とくに仲がよかった。


 雰囲気ふんいきは、そこまで明るいわけでも暗いわけでもなくて、その中間くらいだった。わたしには、そんな美術部の空気があっていた。すごく元気な人とごしているとつかれてしまうし、だからといってあまり話さない人には気をつかってしまう。わたしにとって美術部は、大好きな絵をけて、居心地いごこちもよくて、ありがたい存在そんざいだった。


 思い出すのを終わりにして、わたしは麗音れいねさんと目をあわせた。


「いい雰囲気ふんいきだったと、思いますよ。優しい人が多かったですし、部内でのいじめとかもなかったですし。ほら、たまに聞くじゃないですか、先輩せんぱい後輩こうはいをいびる部活みたいな……」


 ミルクティーから視線を上げて、わたしは思わず、話すのをやめた。


 麗音れいねさんの表情が、かすかなゆがみをおびていたから。何かまずいことを言ってしまったかと思って、視線をさまよわせる。そんなわたしの様子に、麗音れいねさんは「ごめん、何でもない」と言ってほほえんだ。


「ちょっと、いやなことを思い出しただけ。……そうだよね、中学校だと、いじめがあったりもするよね」


「そうなんです。わたし、そういうのがほんとうに、きらいで。中二の春、クラスで男子たちが、一人の女子にひどいことを言ってるときがあって。あ、その女子、美術部の同期だったんですけど。

 わたし、それがほんとうにいやで、やめろって言ったんです。それから、そういういじめみたいなのはなくなって。それがちょっとだけ、自慢じまんなんです」


 わたしは少しだけほほえみながら、話し終えた。

 麗音れいねさんは青色の長髪ちょうはつかすかにらしながら、うなずいてくれた。


花奈かなさんは、すごいね。そういうときに、そういうことを言うことができるのは、とても勇気のある行動だと思うよ。人はそのような場面において、傍観ぼうかんしてしまうことが多いからね」

「そう、ですかね。うれしいです」


「そうだよ。きっとその子も、花奈かなさんの存在にすくわれたんじゃないかな。私はそう思うよ」

「えへへ、そうだといいんですけど」


 自分から話したのに、何だかれくさくなってしまって、わたしはそれをかくすかのように、ミルクティーを一口飲んだ。


「そういえば話は変わるけれど、花奈かなさんは、こいとかしたことある?」

「ええっ、こいですか!? あらためて聞かれると、ずかしいですね……」


「ふふ、聞かせてよ。私、こう見えて、こいバナとか好きなんだよね。あ、もちろん、いやだったら全然かまわないよ」

「あ、いやなわけでは全然ないです! でも、むずかしいなあ……わたし、みんなみたいにだれかを特別とくべつ好きになったことって、ないかもしれません。あ、でも、いて言うなら、」


 心にかんだ答えを伝えようとして、口を少しだけ、開いた。でも、それを麗音れいねさんに話すことに、ほのかなためらいをおぼえた。だまってしまったわたしに、麗音れいねさんは首をかしげた。


いて言うなら、何?」

「ええーと……」

「そこまで言ったなら、聞かせてほしいな。気になるんだけれど」


 真っ直ぐに見つめられて、わたしは曖昧あいまいな笑顔を浮かべながら、話すことにする。


いて言うなら……レイネ、です。あ、その、ちがいますよ、麗音れいねさんじゃないですよ! その、ずっと絵にいてきたレイネは、わたしにとってどうしようもなく、特別とくべつ存在そんざいなんです。わたしはレイネを、愛しているんです」


 わたしの言葉を聞いている麗音れいねさんの表情は、いろいろなものがざりあったような、複雑ふくざつそうなものだった。どこかうれしそうで、どこかさびしそうで、どこかかなしそうだった。彼女かのじょがどうしてそんな顔をしているのか、わたしにはわからなかった。


「……花奈かなさんは、ほんとうに、レイネのことが好きなんだね」


 麗音れいねさんは目を細めながら、つぶやくように言った。

 わたしはしっかりと、うなずいた。


「もちろんです!」


 麗音れいねさんは何かをかくすように、ほほえんでみせた。

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