深窓のレイネ

汐海有真(白木犀)

1.レイネ

 わたしは、絵をくのが好きだ。


 真っ白な紙の上に、絵筆えふでを使ってさまざまな色をのせていく。一度として、全く同じ絵ができあがることはない。そのとききたいと思っている景色や、心模様こころもようや、うんみたいなものまでもがからみあって、一つの絵は完成する。


 でも、わたしがく絵の多くには、一つの共通点がある。

 とある少女が、存在そんざいしているのだ。


 深海しんかいがとけだしたかのような、い青色の長髪ちょうはつ。どことなく幻想的げんそうてきな、薄茶色うすちゃいろの目。右目の下には、双子ふたごのように二つ並んだきぼくろ。高い背丈せたけをした体は、黒色で統一とういつされた衣服によっておおわれている。


 彼女かのじょのことを、わたしはレイネと呼んでいる。


 初めてレイネをいたのは、中学一年生の春だった。まようことなく入部した美術部での最初の活動は、好きな絵を一枚くことだった。わたしは放課後ほうかご河川敷かせんしきにおもむいて、そこから見える景色をくことに決めた。紙と風景を交互こうごに見ながら、わたしは少しずつ、下書きを進めていった。


 ふと、それだけでは物足りないような心地におちいった。見たものをそのままえがくことはもちろんすてきだけれど、わたしはそこに何か一つ、自分らしさのようなものを、加えたいと思ったのだ。


 なやんだすえに、川の中で楽しそうに水あびをしている一人の少女を描いた。彩色さいしょくの段階になって、わたしは彼女かのじょを思いのままに色づけた。完成した絵の中で、彼女かのじょはやわらかくほほえんでいた。わたしはその少女に、ふと頭の中にひびいた「レイネ」という名前をつけた。


 これが、わたしとレイネの出会いだった。


 それからは、見たものをそのままえがかなくてはいけないとき以外は、わたしは世界の中に、レイネを描いた。花畑、森林、海岸かいがん書斎しょさい、都会、雪原せつげん――レイネはどんな場所にも、存在することができた。


 自分が段々だんだんとレイネにかれていくのが、わかった。彼女のいろいろな表情をえがくたびに、見つめるたびに、少しずつレイネのことを知れていくように思った。彼女はときに笑い、ときにき、ときにほほえんだ。どんなレイネの姿すがたも、わたしにとってはうつくしかった。


 でも、わたしとレイネは、ほんとうに出会うことなどできない。わたしはレイネをえがく存在だ。つくりだすものと、つくりだされるものの間には、決してみこえることのできない一線があった。かすかにさびしかったけれど、それはしょうがないことだとも、よく理解していた。


 でも、それはわたしの思いこみだった。


 わたしはその日、ほんとうの意味で、レイネと「出会う」ことになるのだった。


 *


 もうすぐ春が終わろうとしている季節の、休日の昼下がりだった。


 わたしは中学校を卒業して高校一年生になり、始まった新しい生活にもようやくなじんできた。地元の町を、音楽をきながら散歩していた。


 ふと、前から歩いてきた一人の少女に気づいて、思わず息をするのを忘れた。


 まず目にまったのは、い青色をしたストレートヘアだった。の光をあびて、きらきらとかがやいていた。冬の海の水面のようだと、思った。


 高い背丈せたけの彼女は、シャツ、スラックス、革靴かわぐつに身をつつんでいて、そのどれもが夜空のように真っ黒だった。わたしはもう、目をそらすことができそうになかった。


 段々だんだんと、彼女かのじょが近づいてくる。

 目があう。彼女かのじょはどこか不思議ふしぎそうに、わたしのことを見ていた。


 距離きょりがほとんど、まった。


 うすい茶色の目と、二つのきぼくろまでもが、うたがいようのないほどに――レイネ、で。

 桜色のくちびるが開かれるのが、スローモーションのように、思えた。


「……どうして、私のことを見ているの?」


 かすかに低くて、それでいて聞き心地のよい、声だった。


「あ、その、すみません」


 わたしは反射的はんしゃてきに、あやまっていた。目の前の彼女かのじょこまったように、ほほえんだ。


「別に、あやまらなくていいよ。それで、どうして?」

「えっと、あの、こんなこと急に言いだしたら、やばいやつだなって思われちゃうかもなんですけど」


「ふふ、そんなこと思わないよ。続けて?」

「ありがとうございます……その、わたしがよく絵にいてる女の子に、あなたがほんとうに、似ていたんです」


 彼女かのじょ興味深きょうみぶかそうに、目を細めた。


「へえ。それって何だか、面白いね。私、貴女あなたく絵の中の住人だったんだ」

「そうなんです……わたしもすごく、おどろいていて」

「そりゃ、おどろくよね。貴女あなた、名前は何て言うの?」


「わたしですか? わたしは、沢井花奈さわいかなって言います」

「へえ、花奈かなさんって言うんだ。私の名前は……レイネ、だよ」

「え」


 レイネ。

 目の前の彼女かのじょは、たしかに、そう言った。


 呆然ぼうぜんとしているわたしに、彼女かのじょうすく笑いながら、さらに続ける。


「……うるわしいに音と書いて、麗音れいね。どうぞよろしくね、花奈かなさん」


 そう言って、彼女かのじょ――麗音れいねさんはすっと、その白い手をわたしに、さしだした。

 わたしはおずおずと、自分の右手で、彼女かのじょの手をにぎった。


 ほのかに冷たい手の温度。

 その体温が、どうしてか、なつかしいように感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る