58.『竜殺し』は本気で気づかない

「ちっ」


 小さな森の中央。

 なぎ倒された木々の中で、コルトは露骨に顔を歪めた。足元には、そのままであれば寝心地の良さそうなふかふかとした木の葉の寝床がある。コルトと、彼が率いる部隊の足で踏み荒らされているのだが。


「どこのドラゴンも腰抜けだな。住処を追われて焼かれても、まるで暴走しねえなんてよ」


 ぺっと吐き出した唾は、無残に折られた木の枝の間に消える。それを見ることもなくざくざくと歩いていくコルトのもとに、古そうに見える竜革の鎧を身に着けた兵士の一人がやってきて跪いた。


「コルト様」


「どうだった?」


「魔術師も使ってくまなく調べましたが、ドラゴンの気配はありません。既にこの地にはいないと思われます」


 その報告を受け、コルトはあからさまにつまらない顔をした。兵士の報告の言葉が全く感情を伴わない、冷たいものだからということではないようだ。


「もしかして、俺が来るのを察知して逃げたか。くそったれ、ドラゴンのくせに」


「いかがなさいますか」


「命令されなきゃ動けねえ木偶どもが。まあ良い、気づかれる前に撤収だ。次行くぞ次」


「はっ」


 自分が吐き捨てた悪態に反応しない兵士を、コルトは木偶と呼ぶ。そうして、命令を与えたことでその兵士は立ち上がり仲間の元へと走り去っていった。

 ふん、と鼻を鳴らしたコルトの耳に、今度は少し軽い足音が近寄ってくる。古ぼけては見えるがしっかりした作りの衣をまとう、ラーニャだ。顔を隠すように、フードを深くかぶっている。


「……ねえ、コルト」


「どうした」


「こんなことを続けてて、ほんとにあたしたちの名誉って復活するの?」


「当然だろ?」


 聖女、と呼ばれるのはあくまでも彼女がそう、ギルドに登録されているから。人の傷を癒やし守ることのできる術者を、そう呼ぶから。

 だが、その聖女は今、不安げな表情で『竜殺し』にすがるような視線を向けていた。

 彼女と彼、そして冒険者パーティ『太陽の剣』は今、実はドラゴンを倒したのはただの偶然、もしくは誰かの功績を奪ったからではないか、と疑われている。ヒムロ伯爵領での散々な結果のせいだ。


「『竜殺し』としての名誉なんだから、暴走したドラゴンを殺せばいくらでも上がるに決まってるだろ」


「でも、暴走させようとしてるのは私たちじゃない」


「それがどうした」


 その疑いを晴らし、『太陽の剣』こそがドラゴン討伐パーティであるという名誉を回復させるべくコルトは実家に頼り、『魔術契約書』を手に入れた。

 そうして彼の命令にのみ従う私兵部隊を引き連れて……コルトはまず、討伐するためにドラゴンを暴走させようとしている。その住処である森のいくつかを破壊し、焼き払って。


「バレなきゃいいんだよ。冒険者ギルドの情報じゃあ、ドラゴンのねぐらを襲ってるのはならず者の集団だってことになってるんだからな」


「で、でも」


 『ドラゴンの住処を破壊する暴力集団』に対して、当然のことながらそれぞれの所在地を領地に持つ貴族たちは、自身の軍をもって捜査追跡している。

 今のところ、フィルミット侯爵家よりも立場の強い家はその中にはないため、コルトの父と長兄がその権力と私兵を使って捜査妨害を行っている。万が一それがバレれば侯爵家に未来はないだろうから、実家側も必死なのだ。

 その代わり、コルトがドラゴンの首を取れば彼らの『努力』は報われる、はずだ。これまでに複数のドラゴンを討伐した例はほぼ存在せず、あるとしても伝説の類でしかない。つまりは、伝説級の名誉を得ることとなる。


「ラーニャ。ガロアもフルールもそうだけど、お前も共犯なんだから誰にも言うんじゃねえぞ。まあ、言えねえけどよ」


「わ、分かってるわよ……」


 にやりと歪んだ笑みを浮かべるコルトに、ラーニャは頷くことしかできない。

 兵士たちは思考すらも縛られ、コルトの命令に背くことはできないよう『魔術契約書』で束縛されている。対してラーニャ、ガロア、フルールの三名は以前のエールと同様程度の束縛だけを受けている。


「だったら、あいつらにも伝えろ。次に行くぞ」


「分かった、わ……」


 故にラーニャは、コルトの命令に従うことしかできない。ふらふらと歩み去る少女の身体を、コルトは奥の奥まで知り尽くしている。適当に敵の目を逃れたら、また可愛がってやるかと衣の下に隠れた尻を眺めながら『竜殺し』に固執する男は、更に口の端を歪めた。


「準備が整いました」


「おう」


 別の兵士が、コルトの背後に膝をつく。その短い言葉を受けて、ふと彼は問うた。


「んで、次はどこだ。もう竜の森か?」


「このルートで行くと、そうなります」


 いくつかの小さな森にもドラゴンは住んでいるが、やはり一番大きな住居はその名も竜の森。結局のところはそこを荒らし、ドラゴンを怒らせるのが自身の名誉を取り戻す道だと思い込んでコルトは、大きく頷いてみせた。


「よし。追跡の目をごまかすように、うまく移動するぞ。いいな」




「……まったく。どうしてこう、愚かな人間がいるのかね」


「グレッグが教えてくれなければ、あの愚か者のトロフィーになっていたところだった」


「我らとて、先に知っておればそう怒ることもない」


「森には済まないが、焼けた森はいずれ生まれ変わる」


「そういうことだ。では、参るか」


「参ろうか」


 囁くように森の間を吹き抜ける声々に、コルトとその一行が気づくことはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る