第6話 手合わせ

 二人が手合わせを始めてから半刻はんこく(約7分、一刻いっこくは15分弱)もたたないうちに、宋秀そうしゅうの腕前をみてやると豪語していた王彪おうひょうの体は草むらの中に転がった。


 王彪おうひょうは最初、全く本気を出すつもりはなかった。相手は自分より小さいし華奢なのだから、単純な力比べでも負けるわけがないと思っていた。

 だが実際に向かい合ってみると、特に構えるでもなく立っている宋秀そうしゅうのどこを狙って踏み込めばよいのかわからなかった。どのように攻撃してもうまくいく気がしない。


 王彪おうひょうは軽く頭を振ると、すっと息を吐き出してから体内の気の流れに意識を集中した。これは剣術の師から教えられている鍛錬の基本であり、肉体と精神をしっかりと制御下に置くための準備である。熟達すれば生命力ともいえる気を自在に操ることで、ここぞという一撃に多大な力を込めることができる。


 息を深く吸って吐き出す。これを二度繰り返し、相手を見据えると素早く間合いを詰め、肩を狙って拳を突き出した。それを宋秀そうしゅうはさっと片足を引き体の向きを変えてかわした。王彪おうひょうはすかさず拳を手刀に変え喉に打ち込もうとしたが、防がれたためそのまま力を加えて押し込みつつ、軸足を払おうとした。だが宋秀そうしゅうの体はするっと回転し、王彪おうひょうの後ろに回ると背をてのひらで軽く押した。


 軽くポンと押されただけだったが、王彪おうひょうはつんのめってしまい、危うく転ぶところだった。


 振り返ると宋秀そうしゅうがにこっと笑いかけてくる。開始早々に実力差を見せつけられた気がしたが、ここで引くわけにはいかない。

 改めて呼吸を整えてから再度踏み込むが、躱され、いなされ、軽くあしらわれてしまう。

 そんなやり取りを何度もしているうちに焦りで呼吸も整わず、乱れた思考のままに宋秀そうしゅうへ掴みかかった。


 胸元を掴んだ手を相手に掴まれたところまでは見えた。が、そのあと何がどうなったのか、目の前の宋秀そうしゅうが身を屈めたように思った瞬間、自分の体が浮きあがり宙を舞っていた。


 背中から草の上に落ち、コロコロと転がってうつ伏せに倒れた王彪おうひょうは、投げ飛ばされたのだと理解するまで少し時間を要した。


「大丈夫?」


 倒れたままの王彪おうひょうを心配して宋秀そうしゅうが声をかけたため、慌てて立ち上がったが、落ちたときの衝撃のせいか、ふらふらと長く茂った草の方へよろめいてしまった。


 するとバシャンという水音とともに、王彪おうひょうの姿が消えた。


 驚いた宋秀そうしゅうが駆け寄って草をかき分けると、王彪おうひょうは泉の中へ落ちていた。泉の淵に生えていた草が水面に向かってしな垂れていたため、その上に踏み込んでしまい体勢を立て直す間もなく水の中へ落ちてしまったのだ。


 深くはなかったが、バランスを崩して倒れ込んだ王彪おうひょうはほとんど全身がびしょぬれになった状態で、後ろ手をついて座り込んでいた。


「うわぁ大変! 早く上がって!」


 差し出された手をぼんやり見ているうちに、王彪おうひょうは自分の醜態に恥ずかしさがこみあげてきた。

 腕前を見てやるなどと大口をたたきながら、全く相手にならず投げ飛ばされたばかりか、こんな濡れ鼠になってしまうとは、情けなくて涙が出そうになった。


「どうしたの? どこか怪我しちゃった?」


 心配する宋秀そうしゅうの言葉には少しも驕った様子がなく、当たり前のように自分を気遣う姿がさらに追い打ちをかけてくる。


 ぐっと涙をこらえて差し出された手を握ると、力強く引かれ岸へと上げられた。


「どこか痛い?」


 王彪おうひょうの背中に手を当てながら顔を覗き込んできた宋秀そうしゅうの表情は予想以上に焦っていた。

 なんとなく黙って顔を背けると、より一層慌てて、息がしづらいのかとか胸が痛むのかとか、一生懸命に話しかけてくる。

 手合わせをしていたときの泰然とした態度とは全く相容れないそれが妙におかしくなって、ぷっと吹き出してしまった。


「あ、大丈夫なの? どこも痛くない?」


 王彪おうひょうが笑ったためいくらか安心した宋秀そうしゅうが、それでもまだ心配そうに聞いてくる。


「どこも痛くない。大丈夫だ」


「それならよかった。あの、ごめんね」


「何が?」


「投げ飛ばしちゃったこと」


「いいよ。こっちこそ悪かった。おまえ、本当に強かったんだな」


「そんな……子良しりょうだって、強かったよ」


「はあ、気を遣うなよ。全然相手になってなかったじゃないか」


「そんなことないよ。子良しりょうが思ったより強かったから、とっさに投げちゃったんだ。ごめん」


「おまえが謝ることじゃない。俺がまだまだ弱かったってだけだ。これからもっとがんばって強くなる!」


「うん! 子良しりょうは強くなるよ! 僕も追い越されないようにがんばる!」


「次は勝つからな!」


 笑いあう二人に舞い散る花びらを伴って風が吹いてくる。美しい光景ではあるが、通常であれば心地よいそよ風も、ずぶ濡れの王彪おうひょうを身震いさせるには十分だった。

 濡れたまま外にいれば体を壊してしまいかねない。


「そのままじゃ寒いよね。風の当たらないところに行こう」


 宋秀そうしゅう王彪おうひょうが震えているのに気が付いて、風の当たらない場所を探した。壁面の窪んでいるところを見つけると、そこにたまっている枯葉やつたを取り除こうとした。だがつたを少し剥がしたところで違和感を覚えた。岩肌を覆っているつたの一部は垂れさがっているだけだったのだ。垂れ幕のようになっていたつたをよけてみると、そこには洞窟がぽっかりと口を開けていた。

 中は入り口から想像するより広く、地面も平らでそれほど危なくはなさそうだった。


 宋秀そうしゅうは垂れさがったつたをまとめて括ると、中へ入ってみた。

 ほんの数歩足を踏み入れただけだったが、そこは風もなく静かな空間だった。空気の流れがないように思えるのに、淀んでいるということもなく不快にならない。むしろ安心感すら覚えるような、何とも言えない不思議な場所だった。


宋秀そうしゅう?」


 外から声をかけられて振り返ると、王彪おうひょうが入り口まで来ていた。


「わあ、すごいな。こんな洞窟まであるなんて、本当に隠れ家みたいなところだな」


 王彪おうひょうの足元に雫が落ちるのをみて、宋秀そうしゅうは彼の体を温めるという目的のため、まずは濡れた服を脱がせなければと思った。


「こっち来て」


 入り口からの光が届く範囲で奥までいざなうと、宋秀そうしゅう王彪おうひょうの帯に手をかけた。


「おい! 何するんだよ!」


 王彪おうひょうは自分の帯を引っ張る宋秀そうしゅうの手を掴んだ。


「何って、濡れた服を着てると風邪ひくよ。脱がなきゃ」


 宋秀そうしゅうは掴まれていた手を翻して難なく自由になると、流れるような動作で帯を解いた。その際、王彪おうひょうが帯につけていた飾り物を手に取って確認すると「これ借りるね」と言い、そのまま上半身の衣をすべて脱がせて洞窟から出て行った。


 あっという間に半裸にされた王彪おうひょうが呆然としていると、宋秀そうしゅうが小走りで戻ってきて、自分のほうを脱いで羽織らせてくれた。

 粗末な布だと思っていたそれは、以外にも肌触りがよく着心地が良かった。乾いた布にくるまってほっと一息つこうとしたところ、宋秀そうしゅう(ズボン)に手を伸ばした。


 当然のように行われたその行為に抵抗も反論もできないうちに、しゃがんだ宋秀そうしゅうが自分を見上げて足をあげるよう促したので、素直に従ってしまった。

 (ズボン)も靴も脱がされて、羽織ったほうの中が下着一枚となってから、一気に羞恥心が押し寄せてきた。


(俺は何をやってるんだ! なんであいつにされるがままになってるんだ??)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る