第5話 王家の術

 王彪おうひょうは人々の噂になった絵を、実は見たことがある。以前、王家の宝物ほうもつを保管している部屋へ父親と一緒に入った。別に宝物ほうもつを見たいとねだったわけではなく、父親から見ておくように言われたのだ。


 部屋には様々な品があり、小さな櫛や鏡、青銅の香炉、陶器の人形、玉の飾りなどが所狭しと置かれていた。どれも精巧で、作り手の技術の高さがうかがえる一級品だったが、子供である王彪おうひょうがそこまで興味を惹かれるようなものはなかった。

 父親から気になるものはどれかと聞かれ、何気なく部屋の中を見回したとき、布で覆われた衝立が目に入った。


「父上、あれは何ですか?」


 聞かれた父親が意味ありげな笑みを浮かべながら衝立に近づき、ゆっくりと布を外した。


「ひっ!」


 王彪おうひょうは情けない声をあげた。恐ろしい形相の女が血走った目で自分を睨みつけていたからだ。


「はは、ひょうよ、やはりお前にはこれの本性が見えるのだな」


 父、王燕おうえんは満足そうな顔で息子を見た。


「ど、どういうことですか父う……あれ?」


 王彪おうひょうがほんの少し目を離してから再び衝立を見ると、そこには誰もが見惚れてしまうような美女が描かれている。


 わけがわからず混乱している王彪おうひょう王燕おうえんが言った。


「これは羅刹女らせつにょを封じた絵だ」


羅刹女らせつにょって、経典きょうてんに出てくる人を食う鬼ですよね?」


「そうだ。昔王家の者によってこの絵に封じられたが、それでも人を惑わす力を持っていたため、誰にも見られないように隠していたのだ。しかし先々代の頃にうっかり人手に渡ってしまったことがある」


「え、大丈夫だったのですか?」


「大丈夫ではない。一人食われた」


「食われた?? この鬼は絵から出てくるのですか?」


 王彪おうひょうは慌てて絵から遠ざかった。


「そう怯えるな。どうやって食ったのかはわからないが、食われたものはこの絵に魅入られていたらしい。お前はこれを美しいと思うか?」


「思いません!」


「そうだろう、私にもこいつは醜悪な化け物に見える」


 そう言いながら王燕おうえんはバシっと絵の女の顔を叩いた。


「父上!」


 一瞬、女の顔が苦々し気に歪んだように見えたが、すぐに朗らかな笑みに戻った。


「おそらく、正体を見抜いている者には手出しできないのだろう」


 なおもペシペシと絵を叩いていた王燕おうえん王彪おうひょうの顔から血の気が引いていることに気づき、笑いながら近づいてきた。


「なんだ、ひょうは意外と怖がりなのだな。いつもやんちゃをして母上からこっぴどく叱られても平気でいるのに、これが怖いとは」


「母上とこれを比べるのですか!?」


 咎めるような息子の表情に苦笑しつつ、王燕おうえんは部屋の隅にしつらえられたとう(長椅子)に腰かけると、手招きして王彪おうひょうを隣に座らせた。


「良いかひょうよ、この世にはあの羅刹女らせつにょのように人の道理から外れた化け物がいる。凡人であれば抗うすべなど持たないが、我々は違う。王一族には代々受け継がれてきた力があるのだ」


「ちから?」


「そうだ。悪しきものを降伏ごうぶくする力だ。羅刹女らせつにょを封じた先祖もその力を振るうことによって権勢を得た」


 先ほどまでの笑顔が消え真剣に語る父親の姿に王彪おうひょうは固唾を呑んだ。


父祖ふその築いたものをゆるがせにしてはならない。私が今左丞相であるのは彼らの築いたいしずえがあってこそだ。そしてこれからも、我々は為すべきことを為す」


 王燕おうえん王彪おうひょうの肩に手を置くとしっかりと目を見た。


「力を使うためには正しく学び、修練をする必要がある。お前ももう少ししたら始めよう。王家の秘術を受け継ぐことができるよう、しっかりやるのだぞ」




 王彪おうひょう宋秀そうしゅうの「秘密の術」という言葉で、父親に言われたことを思い出していた。


宋秀そうしゅうが学んでる『秘密の術』ってうちに伝わる秘術みたいなものか? 白夏寺はくかじにもそういうのがあるのか?)


 王彪おうひょうは自分の家にある恐ろしい絵を思い浮かべ、思わず身震いをした。


「ねえ、子良しりょうは呪術を使えるの?」


 話しかけられ我に返った王彪おうひょうだったが、とっさに返事ができずにいると宋秀そうしゅうが言葉を続けた。


「王家の噂って有名だから、本当に呪術が使えるのか気になって。ずっと前に王家の絵が人を食べたって言われてるけど、そんなことできるの?」


「あれは事故だ」


「え! 本当に食べちゃったの?」


 王彪おうひょうはうっかり肯定してしまったことを悔いたが、ここで宋秀そうしゅう一人を相手に認めようが否定しようが大した影響はないと考え開き直った。


「そうらしい。先々代の頃にその絵を持ってた人が食われたって聞いた」


「それって先々代当主様が呪術を使ったの? 食べられた人は王家と仲が良くなかったんだよね?」


 宋秀そうしゅうが自分を見る不安そうな目に、何が聞きたいのかを悟った王彪おうひょうはため息をついた。


「父上はうっかり人手に渡ってしまったって言ってた。おまえも王家が邪魔者を呪い殺してるって噂を信じるのか?」


「あ、ごめん。嫌な気持ちにさせるつもりはなかったんだ。でも本当に人を食べる絵があるなら、子良しりょうもそういう術が使えるの?」


「俺はまだ教えてもらってないから使えない」


「使えるようになったらどうなるの?」


「どうなるってなんだよ。俺が人を殺すとでも思ってるのか? いいか、そんなことはありえない。だいたいあの絵だって先祖が羅刹女らせつにょを封じたもので、ちょっと危ないけど呪いじゃない」


「そうなんだ。じゃあ、噂は嘘なんだね」


 宋秀そうしゅうが自分の従者になりたがらないのは、王家の術を恐れているからかもしれないと思い至り、自分の知る範囲でそれがどういうものかを説明した。


「おまえが不安に思うようなものじゃない。俺はこれから邪悪なものに立ち向かう力を正しく使えるようになるために学ぶんだ。だから怖がるなよ」


「怖がってないよ。ただ子良しりょうが王家と仲良くしない家門の人を消しちゃうつもりなら、思いとどまってほしかっただけ」


「そんなことしないって。約束する。今後もし妖怪なんかが人を襲うことがあれば俺が倒すし、おまえを守ってやる」


「ふふ、ありがとう。でも僕はけっこう強いんだよ」


「え? 全然強そうに見えないけど」


 王彪おうひょうの言葉に少しだけむくれた顔になった宋秀そうしゅうが反論した。


「見た目で判断しないで。武術を習ってるし、武器がなくても戦えるんだから」


 外見からは一切そう思えないため、王彪おうひょうはかえって好奇心をくすぐられてしまい、それならと宋秀そうしゅうの腕を掴んで立たせた。


「おまえの腕前がどれくらいなのか俺がみてやるよ。言っとくけど俺は強いからな」


「怪我させたくないからいやだよ」


 宋秀そうしゅうの言葉は自分が勝つのが当たり前と言っているようで、王彪おうひょうはむきになった。


「なんだよ。やっぱり本当は強くないんだろ。俺は本当に強いけどな」


「僕だって本当に強いよ」


 しばらく子供らしい言い合いが続いたが、最終的には勝負をすることになった。


「よし、じゃあ負けたやつは勝った方のお願いを聞くってことでいいな?」


「うん、いいよ」


 王彪おうひょうはこの勝負に勝って、改めて宋秀そうしゅうに従者になるよう言うつもりだった。

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