第4話 宋秀を従者に誘う

 王彪おうひょうはどうすれば宋秀そうしゅうを自分の従者にすることができるか考えていた。


 主人に仕える立場とは言え、隷僕れいぼくとは違うのだ。共に学び切磋琢磨する仲になるよう努めるのだから、それにふさわしい身分がなくてはならない。

 たとえ本人が気にしなくても、周囲に付け入る隙を与えないよう、身近に置く人間をうかつに選べないのが政に関わる家の常だ。


 王彪おうひょうは自分の立場を理解していたため、親も後ろ盾もない寺住みの孤児をそのまま従者にすることはできないとわかっていた。

 もし宋秀そうしゅうが何か一芸に秀でているということであれば、父親に頼んで左丞相派のどこかの家門に縁の者として引き取らせ、その後自分の従者として呼ぶことができるかもしれない。


「おまえさ、普段なにしてるんだ? 何か得意なことあるか? 例えば、そうだな、俺は経典きょうてんを読めるし絵も描ける。あと剣も習ってる」


「あ、経典きょうてんなら読め……ます。王公子おうこうしはいろいろできるのですね」


「おいなんだよ、さっきまでと同じように話せよ」


 王彪おうひょう宋秀そうしゅうに距離を置かれそうだと感じ、話し方を改めないように言った。

 宋秀そうしゅうは困り顔で「でも王公子おうこうし」と返したが遮られてしまった。


「誰も見てないし、公子とか言わなくていいよ。王彪おうひょうが呼び辛いなら子良しりょうって呼べばいい」


 子良しりょう王彪おうひょうあざなで、十歳になったときに父親につけてもらった。

 あざなは名よりは気軽に使用されるものだが、それでも親しい間柄で呼び合うものであり、身分差がなくても初対面ではまず呼ばない。先ほど宋秀そうしゅうが呼んだように、他家の子息に対しては公子こうしと尊称で呼ぶのが一般的だ。

 王彪おうひょう宋秀そうしゅうに対して尊称を用いないのは、彼の格好から身分が低いと判断しているためである。

 宋秀そうしゅうはなおも困った顔で何か言いたげにしていたが、王彪おうひょうは無視して話をつづけた。


経典きょうてんが読めるなら賢いんだな」


 経典きょうてんは過去の偉人たちの言動や教えを記した十数巻の書物で、官職を目指す者が学ぶが、寺で修行する者もその一部を学ぶと聞いたことがあった。

 

「何巻読んだんだ?」


「一応、全巻です」


「え!? 全巻?」


 読めると言っても当然一部だけだと思っていたため、宋秀そうしゅうの回答に驚いた。自分と同じ歳で全巻読んだというのはよほど熱心に学んでいるのだろう。

 実際、王彪おうひょうは四歳頃から文字を学び、毎日師の指導を受けながら少しずつ経典きょうてんを読み始めて、どうにか十歳になる前に全て読むことができた。

 冷静に考えれば、優れた師をつけてもらっている自分と同等に学ぶことができている十歳の子が、孤児で寺住みというのは妙な話である。

 だがこの時の王彪おうひょう宋秀そうしゅうが自分の従者として十分な素質を持っているということで舞い上がっており、あまり深く考えることができなかった。


「おまえすごいんだな!」


「ありがとうございます。王公子は何巻読まれたんですか?」


「普通に話せって。あと子良しりょうって呼べよ。俺をあざなで呼んだからってお前を罰する奴なんていないだろ?」


「……うん、わかった」


 王彪おうひょうは上機嫌で、最後の巻に書かれている一節を、滔々とうとうそらんじてみせた。それから宋秀そうしゅうを見て顎をしゃくった。

 するとにっこり笑った宋秀そうしゅうが続く一節をすらすらと口にした。


 それは、大昔に一国の王が飢えに苦しむ獣のために自らを捧げ、またその慈愛によって魂にも救いを与えたことで、獣は王に報いるため修行に励み、やがて天へ昇ったという説話だった。


 宋秀そうしゅうの澄んだ声はとても耳心地みみごこちがよかった。

 語り終わった余韻にしばし浸ったあと、王彪おうひょうが言った。


「おまえ俺の従者になれよ」


「ええ??」


 穏やかな表情に戻っていた宋秀そうしゅうは再度驚きのあまり目を見開いてしまった。


「父上が俺に従者をつけようとしてるんだけど、あんまり気が乗らなくて断ってたんだ。でもおまえなら一緒にいても大丈夫そうだからさ」


「で、でも……」


 内心では寧ろ一緒にいたいと思っているのだから断られては困る。


「身分のことなら気にしなくていいよ。経典きょうてんを読めるくらい賢いから、父上に頼めばすぐにどこかの家門の縁者にできる」


「ええ、それはちょっと」


「遠慮するなよ。本当にどうってことないんだ。俺の従者になれば今よりずっといい暮らしができるぞ」


 宋秀そうしゅうはものすごく気まずそうな顔でうつむいてしまう。


「王公……子良しりょう、僕は今の生活に不満はないよ」


「それって寺の教えなのか? 今あるもので満足しろみたいな。まあ寺の教えってそういうもんかもしれないけど、服も履物はきものもボロじゃないか。髪に簪だってない」


「え、まだボロじゃないと思うけど、僕ってそんなにみすぼらしい?」


「みすぼらしいなんて思ってない!」


 思わず大きな声を出してしまい、慌てて言葉を続けた。


「だからさ、おまえをけなしてるわけじゃなくて、もっといいものをあげられるって言いたかっただけだ」


 しばし沈黙があり、宋秀そうしゅうが口を開いた。


「ありがとう。でも従者にはなれないよ」


「どうしてだよ」


「……今いるところで大事なことを学んでいるから、終わらないうちは他へ行きたくないんだ」


「何を学んでるんだ?」


「う~ん」


 宋秀そうしゅうはまたしばらく眉間に皺を寄せて考えたのち、探るような口調で言った。


「秘密の術……みたいなもの」


 王彪おうひょうはハッとした。王家にも一族にのみ伝えられてきた秘術がある。どんなものかはまだ教えてもらっていないが、これから学ぶことになる。

 王家は何代も前から朝廷に深く関わり、少しずつ権力を持つようになった一族だったが、その中で対立する者たちが不可解な死を遂げることも少なくなかった。人々の間では王家には呪術を操る力があるという噂がまことしやかに語られていた。


 かつて王家の当主を面と向かって罵った高官が、自分の邸宅内で体をずたずたに引き裂かれて死ぬという事件が起こった。

 何があったかは分からないが、夫人が半狂乱で「鬼に食われた!絵の鬼に食われた!」と叫んでいたそうだ。

 その絵というのが王家より送られた品だったのだ。描かれていたのは艶めかしい美女であり、高官は絵を手に入れてから魂が抜けたように眺め続けた挙句、話しかけるようになり、他の者が近づくと殴りかからんばかりの勢いで怒声を浴びせた。

 しばらくして、部屋から出てこなくなった夫を案じ、様子を見に行った夫人のけたたましい悲鳴に駆け付けた者たちは、血だまりの中で腰を抜かした夫人が叫び続ける惨状を目の当たりにした。


 後に現場を調べた廷尉府ていいふ(調査機関)の者は、床も壁も飛び散った血に塗れていたのに、その絵だけは少しも汚れてはおらず、描かれた美女のたおやかな微笑があまりに場違いで、身の毛がよだつほど不気味だったと語っていた。


 この事件後、王家の呪術の噂はあっという間に広まった。

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