第19話
「終わったぞ、出てこい」
「……冬夜」
奏は言われた通りにロッカーの扉を開けて姿を現す。この部屋にいたゾンビは全員元いた部屋に戻したためもう周りには誰も居なかった。
勿論その中にはあの男もいた。既に体は肉が抉れていてボロボロであり完全な死体であった。
ゾンビに噛まれていたため化物へと変貌するのも時間の問題だろう。なので他のゾンビ達と同じ部屋に入れて置いた。
もうその件は終わったからどうでもいいとして……俺は伝えるべき事があった。
「奏」
「どうしたの?」
「手当てをしてくれて助かった。あのままだったら俺は恐らく……」
「止めて、私は当たり前のことをしただけよ。それに今までの恩があるし……」
「それでも……感謝している。ありがとうな」
「っ……!」
俺は奏に向かって頭を下げる。まさか奏にこんな事をするなんて最初は予想もしていなかったな。
今までしてきたことなんて奏が俺にしてくれたことに比べれば些細なことだ。だからこの恩は必ずどこかで返そうと思った。
そして頭を上げる。すると俺が頭を上げたと同時に奏は顔を隠すように横に逸らした。
よくよく見てみると耳は真っ赤であり、照れているのを隠そうとしているのが丸わかりであった。
(全く……感謝しただけでそんなに照れるなよ)
かくいう俺も顔に熱を帯びているのを感じていた。こんな感謝の言葉を告げたのが久しぶりだったからなのか、それとも俺を助ける為に奏が頑張ってくれたことに対しての嬉しさからなのか、いや恐らく両方なのだろう。
「うっ……」
「と、冬夜……?」
気が抜けて緊張が解けたのか、今まで辛うじて立っていた事に気づき足元がおぼつかなくなる。
俺は平衡感覚が無くなっていくのを感じ、どうする事もできずそのまま地面に倒れ……ることは無かった。
「もうっ……無茶しすぎなのよ」
「す、すまん……」
俺が倒れないように頭を受け止めてくれたのは目の前にいた奏であった。そして目と鼻の先には奏の豊満な……いやそれは言い過ぎたが程よい柔らかさの膨らみがクッションとなっていてとても気持ちが良かった。
「堪能するな。後失礼な事考えてるとこのまま手を離すわよ」
「とても満足してます……」
「そ、堪能してるのは気に食わないけど満足しているなら良かったわ」
「……」
俺は奏の対応に妙な違和感を感じ、顔だけを上に動かして奏を見る。
(表情が柔らかくなってるような……気のせいか?)
俺は今日の朝の時の奏を思い出しながら、今の奏を見て比べる。今日の朝はどこかよそよそしさがあったのだが、今はそれが消えている。
(いくら俺が倒れそうだったからと言って自分の胸に俺の顔を埋めたままにするか?)
男に対して苦手意識があると聞いていた気がするのだが、今の奏は全く嫌そうな顔を見せていなかった。
先程まであの男に強姦されかけていたのだから、普通だったら俺に拒否反応を示していてもおかしくはない。
だが今の奏の表情は……むしろ親が子を見るような……そんな親しみのある表情をしている気がした。
「な、何よ……?」
「何か丸くなった?」
「そ、そう……かしら?」
「た、多分?」
「何よそれ」
俺も何が何だか分からない。ただ漠然とそう思っただけなのだ。
そんな俺をおかしく思ったのか、奏は小さく笑みを溢していた。やはりその顔には曇りのようなものは見えず、眼にはこれまであった弱々しさが残っていなかった。
(まぁいいか……今はとにかく寝たい……)
一気に疲れが押し寄せてきたのを感じ、俺はウトウトし始める。
「眠いの?」
「……ぅん」
「そう……おやすみなさい」
「ん……」
そして俺はゆっくりと目を閉じた。
「んんっ……うぉっ!」
目を覚ますと俺の目の前には奏の寝ている顔がすぐ近くにあった。
「これはまさか……膝枕ってやつか?」
俺の頭の下には枕とは違った柔らかさのすべすべした膝があるのを感じとり、目の前に奏の顔があるのでこれが膝枕なのだと理解するのはそう難しく無かった。
「別に床に寝させるだけで良かったんだけどな……」
俺は同年代の女に初めて膝枕をされていたせいで妙な羞恥感が込み上げてきて、愚痴を少し溢す。
しかし俺のためを思ってわざわざ膝枕をしてくれた訳で、その気遣いを無下にするのは良くないと思いもう少しだけ膝枕状態を継続させようと思った。
幸い奏は俺に膝枕をしている途中で寝てしまったようで、少し寝息をたてながら安心し切ったように気持ちよさそうに寝ていた。
(男女で二人なんだからそんな安心したような顔見せんなよ……俺も一応男だぞ)
しかし手を出すなら昨日の内に手を出していた訳で、そこで手を出さなかった以上俺にそんな欲がないと思ってしまったのだろう。
実際昨日の俺は奏にそんな欲を抱かなかったのも事実で……まぁ全く欲を抱いてない訳ではなかったけど、9割くらいは意識をしていなかったから奏がそれを感じ取って警戒心を下げるのも仕方がないと思った。
「にしても……こうして寝顔見てるとマジで美人だな」
化粧は薄いのにこんなにも美人だと感じさせられるのは相当素材が良いのだと感じる。
(まつ毛も長いし……垂れ落ちてる長い髪の毛からはめっちゃいい匂いがするし……)
しばらく風呂は入っていないはずなのに何故こうも良い匂いがするのだろうか……これが女という生き物の特性なのか?それとも奏が凄すぎるだけか?
俺はじっと奏の顔を見つめながら観察し、分析を繰り返していた。女という生き物の顔をこんな間近に見れることなど滅多に無いため、観察せずにはいられなかった。
ましてや素材は一級品、ただでさえ女というだけで興味をそそられるのにこうも美人だと自然と目を奪われてしまう。
(こんな至近距離にあって見ない男がいるなら教えて欲しいくらい……ん?)
寝ているはずの奏の顔の眉がピクリと少し動いたのが一瞬見えた。俺が気のせいかと思っていると今度は瞼の辺りが何度もピクリと動いたのを確認する事ができた。
(ん……んん?も、もしかして……)
「お、起きてるのか?」
「……」
答えは返ってこない。しかし明らかに顔は寝ているとは思えないくらいに強張っていた。しかも俺が質問した瞬間、身体が驚いたように大きくピクリとしていたのを膝枕越しから感じ取っていたので、もう起きているのは明白だった。
(いつから起きてたんだよ……)
おそらく美人って言ったのは聞かれていない……はず。聞かれていたならわかりやすく身体を反応させるはずだし。
(しかし……どうしたものか。起きていることを認めさせたら俺が奏の顔をずっと見ていた事について言及されかねないし……)
それはさすがに恥ずかしすぎる!しかも膝枕されているのにそれを嫌そうにしないで全然離れようとしなかったのも大分キツい……。
俺は悶え死にたくは無かったので、奏が実は起きていたという事に対して、言及しようとするのを止めることにした。
「よっこらせっ」
俺は膝から急いで離れるように体を起こす。もう十分に疲れは取れており、気分は思いの外良かった。
一応撃たれた傷は残っているので体は万全では無いのだが、それでも体の調子は良い気がした。
(これが膝枕効果……?いやまさかな)
いくら何でも膝枕にそんな効果は無いと思い、俺はすぐに立ち上がる。
そして何も無かったように奏を起こす事にした。
「おい奏、こんな所でずっと寝てると風邪引くぞ。いい加減起きろ」
奏が起きていた事については全く言及せず、まるで今俺に呼び掛けられたから起きたんですよという風な茶番を演じさせる。
そうする事で先程まであった出来事は全部見ていなかった事にするのだ。
「んっんん……冬夜?おはよう。お、起きてたのね……」
「あ、ああ……今丁度起きたんだよ」
「そう……私も今丁度起きたわよ……」
「そ、そか」
「ええ……」
今丁度ってわざわざ強調すんなよ……演技下手か。やっぱり起きていたんだって思っちまうじゃねーか。
どちらも今丁度起きたはずなのにやはりと言うべきか、部屋には気まずい空気が流れてしまっていた……。
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