第18話

「いっ、嫌ぁ!」


 目の前の男は下半身を押し付けながら私の身体のあらゆる所を滑らしながら撫でる。


 私が男性にボディタッチされる事は数えられるほど少ない。それくらい私は男性に触られる事に嫌悪感があった。


 それほど嫌なのに……私は両腕を拘束されて抵抗できずにいた。そしてこの男は私の嫌がる表情を見て更に愉快そうな笑みを作りながら私の身体を触り続ける。


「そんな大きな声を出しても誰も助けに来ないよ?僕以外の警察官はどうせゾンビになっちゃってるし」


 そう言いながらシャツの裾の下、私のお腹部分にあたる素肌に手を滑り込ませる。


「だっ、だめ……嫌ぁぁっ!」

「あはっ!だ~か~ら~そんな大きな声を出しても……」

「ヴォォォ……!!!」

「!?」


 ドンドンッ ドンドンッ


 隣の部屋からゾンビが大きな呻き声をあげながらドアを叩いてるのが聞こえた。おそらく私の大きな悲鳴に引き寄せられたのだろうと考えた。


 (あそこにっ……この階のゾンビが全員……)


 私はこの部屋に溢れ出てくるかもしれない大量のゾンビに顔を引き攣らせる。この男に肌を触られるのと同じくらい、ゾンビに囲まれるプレッシャーはもう二度と味わいたく無いくらいの恐怖があった。


「あんな所にゾンビが?しかも一匹だけの声じゃない、一体何匹あの部屋の中に潜んでるんだ……?」


 男は私から視線を外して私と同じ方向の部屋を見ていた。その部屋のドアを何匹もの数のゾンビが何度も叩き続けていた。


 ドンドンッ ドンドンッ


 ドアは鉄のような頑丈な作りとはなっておらず、見た感じ木製で作られているようだった。


 その木製のドアは何十匹ものゾンビに圧迫されている為、中心部分がこちら側に少し凹んで折れ曲がっているように見えた。


 そしてそれは恐らく気のせいでは無い。


 今はまだ耐えてはいるが、いつヒビが入ってドアが壊れるかは分からなかった。私は今が抜け出す好機だと思い、抵抗できずも提案はする。


「いつあのドアが壊れるか分からないわ……逃げるなら今しかないんじゃ無い?」

「に、逃げる……?この下にもゾンビはいるんだぞ?」

「それは平気よ。私は一階からここまで安全に上がって来れたから。ゾンビは全員廊下にはいなかったわ」

「確かに君がこの階まで無事でいることが安全であることの証拠だな……」


 私は悔しくもゾンビのおかげでこの危機を抜け出せる希望ができてしまった。後は地上まで出てゾンビが周りに居なければ何とかなる。


 (か弱い女みたいに可愛く甘えていればこの男も油断するはず……。正直私の性に合ってないけど、やるしか無いわ)


「なら……」

「それは僕の性欲を鎮めてからだ」

「……は?貴方自分が何を言ってるか……」


 私はこの一分一秒を争うタイミングで、まだ行為に及ぼうとしているこの男に戦慄をしてしまう。


「あぁ僕はなんて頭が良いんだ!教えてあげようか?僕が今何を考えているかを……」

「……」


 虚勢を張っているように見えなかった。この状況で何故まだ余裕を持っているのかが分からなかった。


 (もしかしてここでも死ぬつもり……?)


 しかし私はすぐにその考えを否定した。この男は私と同様ゾンビを恐れている。ならゾンビに襲われて死ぬなど真っ平御免なはずだ。


 ゾンビが襲ってきても平気な何かがきっとあるのかと予想した。


「ちぇっ……教えて欲しいって言えよ。まぁ良いさ、特別に教えてあげるよ」


 この男はとても言いたそうにソワソワとしていたのは分かっていたので、私は敢えて無言でいた。そしてやはり我慢ができなくなり自分から言い出した。


「あそこにさ……最高のエサがあるじゃん?」


 その男が背後の何かに視線を向けているのを見て、私も僅かに頭を起こして同じ所に視線を向ける。


 その視線の先にいたのは……


「……冬夜?」

「冬夜?あぁそいつの名前か。まぁこれからゾンビのエサになる奴の名前なんてどうでも良いけど」

「ゾンビのエサって一体どういうこと?」


 私はゾンビが襲ってきても平気な理由が冬夜をエサにすることと何の関係があるのかが全く理解できずにいた。


 その理解できていない私を察しの悪い鈍い女だと思ったのか、溜息を吐いた後にペラペラとまた話し始める。


「まーだ分かんねえのかよ……仕方ないなぁ。ゾンビが襲ってきたらコイツを囮にして逃げれば良いだろって言ってんだよ。な?俺頭良いだろ?」


 その男は自信満々そうにそう説明した。そこで何故私が男の考えをすぐに理解できなかったのかが腑に落ちた。


 私が冬夜と会う前だったらこの男の言う事をすぐに理解できていただろう。そして冬夜のことを知った私は、この男が考える策は全く効果が無いことも理解する。


 (この男……冬夜がゾンビに襲われない事を知らないのね)


 私は冬夜がゾンビに襲われないことを知っていた為、冬夜をゾンビのエサにすると説明されても納得できなかったのだ。


 そして冬夜のこの事情は言わないと約束している。約束している為、その策を否定できずにいた。


「エサにするにしても……それで必ず逃げれるわけじゃ無いでしょう?」


 私は何とか今すぐ逃げられる方法がないかを探る。


「大丈夫さ、ゾンビ共はそこに人間の肉が転がっていれば全員そこに群がるよ。根拠は僕がそうやって生き延びたから」

「!?……何て外道なのっ!貴方は……」

「僕が生き延びる為さ。この世には仕方がない事もあるよ……そこで死にかけているそいつの事もね」

「死ねっ!死んでしまえば良いのにっ……!」


 拳銃で撃たれた冬夜の事を仕方ないと無理矢理納得させているこの男に、私は侮蔑と憎しみを剥き出しにした眼を向ける。


 しかしその眼と言葉でも全く動じた様子は無い。


「あはっ!怖いねぇ……でもこんな状況じょ君には何もできないよぉ」

「くっ……!」

「君にはできるのは……僕を早めに満足させられるように精々頑張ることだよ」

「誰が貴方なんかにっ……!」

「別にどっちでも良いさ!どのみち君は僕に犯されるんだからね!」

「っ……!」


 両手を拘束する力が強まる。そして止まっていたシャツの下の手がもぞもぞと上へ滑らすように動く。


「い、嫌ぁ……嫌だぁ……」


 私は気持ち悪い手つきで肌を触るこの男に抵抗できず、泣きそうな声を上げて堪えるように目を閉じる。


 私は抵抗をする事を諦めた。ならせめて別のことを考えて意識をしないようにする。


 (冬夜っ……冬夜ぁ……)


 私が頭の中に思い浮かべる人間は冬夜であった。


 別のことを考えるとしたら冬夜の事を考えたかった。


 肌を触られるなら冬夜が良かった。


 (冬夜が初めての相手だったら良かった……)


 一筋の涙が流れるのを感じた。


「おい……何、してんだ……」

「「!?」」


 声がした。それはよく知る声だった。


「……冬夜?良かった……生きてた……」

「勝手に……殺すな……」


 しかし冬夜は辛うじて立ち上がれただけで、足元がおぼつかない感じでふらふらとしていた。


「しぶといなぁ……生きてたのかよ。はぁ面倒臭いな……」

「奏を……離せ」

「!」

 

 冬夜は今にも倒れそうなくらいにフラフラとしていたが、目の前の男に向ける眼はとても力強く感じた。


「へぇ……けど何とか立っているって感じだな。そんな状態で何ができるんだ?」

「……」

「おーーい」


 冬夜は顔を俯かせたままこちら側に向かおうとするが、足元がおぼつかないせいでバランスを崩し、ゾンビがいる方の部屋の壁に急カーブする様にぶつかる。


「あはっ!」

「冬夜っ!」


 冬夜は壁にもたれかかって居ないと立っているのが不可能なくらいに、限界に見えた。私はその必死な様に、傷が広がる事を危惧して涙を溢れさせながら止めさせる。


「もう止めて!冬夜はそこで休んでて……私は、私は……大丈夫だから」


 私は今できる精一杯の作り笑いの笑顔を見せる。この男に犯されるなんて死ぬ程嫌だけど、冬夜が死んでしまう方が何倍も嫌だった。


 冬夜は私の笑顔を一瞥した後、動こうとするのを止めて静止した。


「良いねぇ……泣けてくるよ。ますますその顔を汚したくなったよ!」

「きゃっ!」


 シャツの裾を思いっきり首元まで上げられて私の下着が露わとなる。その姿を凝視されるのはかつてない羞恥心があった。


「エロいなぁ……物足りない大きさだけど形は最高だよ……」

「くっ……!」


 悔しい。恥ずかしい。けどやっぱり……こんな男に大事な部分を見られるのが悔しすぎて堪らない。


「じゃあ頂きまーす!」

「っ……」


 男は顔を私の胸近づけようとする。私はせめてもの抵抗でその光景だけは見ないように顔を背けた。


「おい……こっちを見ろ」

「は?今度はなん……へ?」


 何と冬夜のそばにある少し凹んでいたドアは全開に開かれていた。


 その中には何匹もの化物がいて、眼は私達に釘付けであった。


 冬夜は解放したのだ。


 こちらへと繋ぐ扉を……。


「ヴォォォ!!!」


 ゾンビは喜ぶように呻き声を上げていた。


「なっ……!?血迷ったのか?」


 あまりの有り得ない行動に呆気に取られてしまい、私から手を離してしまう。


 私はその隙に男の膨れ上がっている下半身に蹴りをお見舞いした。


「ぎゃっ……!?」

「貴方の終わりよ……」

「な、何を言って……」


 男は蹴られた股間の辺りを抑えながら歪んだ顔で私を睨んでいた。余程痛いのが伝わってくる。


「奏……ロッカーで隠れてろ」

「うん」


 私は素直に言われた通りロッカーの中へ入って身を隠す。


「はっ!今更隠れてどうなるんだ……。お前らはここでゾンビに殺されるっていうのによぉっ!」


 私はロッカーで身を隠している為、外の様子は分からなかったが、男が愉快そうな笑みをしているのは想像に容易かった。


 しかしその愉快さも後もう少しで絶望へと変わるだろう。


「俺は逃げるぜ。お前らは俺の為にエサになってろ!」


 そう言い、その男は別の部屋のドアを使って外に出ようとする。


 その行動を読んでいた俺は、この男よりも早くその部屋の前に辿り着き、通せんぼをする様にドアの前に立つ。


「は……?お前まだそんな余力が……いや、まず何でお前ゾンビに襲われてない!?」

「なぁ……気持ちよかったか?」

「……は?」


 俺はこれから死にゆくであろう男に質問をする。


「俺を撃ったのは、奏を強姦しようとしたのは……気持ちよかったか?」

「お前何を言って……」

「今度は俺が気持ち良くなる番だ……」


 俺はそいつの胸を強く前に押す。俺の突然の行動に反応できず、後ろへと倒れそうになる男。


 しかしその男は後ろにいる誰かに受け止められて、倒れずに済む。


「あ、ありが……、!?」

「ヴォォォ……」


 その男を受け止めたのは何匹ものゾンビであった。


 それは善意で受け止めたのではなく、ただ捕食するためだ。


「えっ……な、何で俺だけ……?」

「ヴォォォ……!!」

「そこにもエサはいるじゃねーかよぉ!」


 ゾンビの至近距離にいる俺を指差す。しかし俺はゾンビから見向きすらもされていなかった。それは当然だ……俺はゾンビに襲われない体質なのだから。


「嫌だ……嫌だやだやだぁっーーー!」


 暴れる男を十匹以上のゾンビが取り押さえるように次々と噛み付いていく。


「あっ……あぁっ……!」


 襲うゾンビは増え続けており、男の体はゾンビの体に隠れて見えなくなっていた。辛うじて見えるのは男の助けを懇願するような眼……。


 俺はその眼に刻みつけるように愉快そうな表情を作った。


「悪くねぇ気分だな」


 助けを懇願するような眼が虚に変わったのを確認した俺は、興味を失くしたように表情を戻した。


「はぁ……俺も化物と一緒だな……」




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