第2話 想定外

 仮面を被っている以外は、クリストファー殿下はいたって普通だった。いや、普通とも違うかもしれない。紳士的で、仮面さえ被っていなければ見事な王子様なのだろうと思える態度だった。


「これを……君に似合うと思って」


 そう言って、花を象った髪飾りを贈られたり。


「君のことを思い出したから」


 そう言って、大きな花束を持ってきてくれたり。


 一緒にボートに乗ったり、庭園を散歩したり。


 クリストファー殿下と話すのは楽しいし、エスコートしてもらえるのはドキドキする。

 だけどたまに、このドキドキがクリストファー殿下に対してなのか、能面に対してなのかわからなくなるだけで。


「……クリストファー殿下。ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


 そう訊ねると、クリストファー殿下は金色の髪を揺らして首を傾げる。

 仮面を被っている以外は、どこまでも普通だ。服もおかしな点はないし、髪を隠していたりもしない。

 本当に、能面だけが浮いている。


「なんでも聞いてくれていいよ。私に答えられることなら」


 柔らかな声で言われても、微笑んでいるのかどうかすらわからない。


「私にひと目惚れしたとおっしゃっていましたが……こうして過ごしてみて、想像と違った、とかはありませんでしたか?」


 私がクリストファー殿下の仮面に不満を抱いているように、クリストファー殿下も私に不満を抱いたかもしれない。

 どうにも能面の印象が強すぎて、クリストファー殿下と婚約するかどうか決められなかった。だから、クリストファー殿下に判断を委ねることにした。


 卑怯だということはわかってる。だけどどうしても、判断がつけられなかった。


「君に……?」

「はい。思っていたよりもガサツだったとか、何かありませんか?」

「とくにはないかな。その……ひと目惚れとは言ったけど、一緒に遊んだりしたこともあったから」


 ぱちくりと目を瞬かせる。遊んだ? 能面と?

 まったく記憶にない。


「お披露目前の女性と話すのが礼儀に反していることはわかってる。だけど、遊ぼうと誘ってくれた手を断ることができなくて……君にひと目惚れした後だったからとくに」

「一緒に……え、ええと、いつ、ですか?」

「八歳の頃だったかな」


 思い出す素振りもなく言うクリストファー殿下。すぐに出てくるということは、彼の中で強く印象に残っている、ということにほかならない。

 だけどやはり、私は能面と出会った記憶がない。ましてや、能面に遊ぼうと誘った覚えもない。


「……やはり、覚えてないか」


 しゅんと肩を落とすクリストファー殿下に慌てて記憶を探るけど、駄目だ。まったく思い出せない。

 私の中にある能面は、クリストファー殿下とのお見合いが初めてだ。


「ちょ、ちょっと帰ったら両親や兄に聞いてみます! もしかしたらそれで思い出せるかもしれないので……!」

「うん、まあ、思い出せなくても気にしなくていいよ。七年も前のことだし、二人とも子供だったからね。それに……思い出してもらえないほうが私としては嬉しいかも……あの時の私は泣き虫で、情けないところばかり見せていたから」


 泣き虫。七年前。


 その単語で、私はようやく、ようやく、本当にようやく、クリストファー殿下――幼い頃に遊んだ少年を思い出した。いや、思い出したというのは正確ではない。覚えていたものと、クリストファー殿下が繋がった。

 金色の髪に、青い目をした男の子。能面ではなく、普通の男の子だった。いや、あまりに可愛くて女の子だと思ったりしたこともあるので、普通ではなかったかもしれないけど。


「クリス、ちゃん?」


 そう、女の子と思った私はクリスと名乗られて、思いっきり女の子扱いして、泣かせた。

 当時の私の周りには使用人や兄、それから両親と、それは見事な仮面(比喩)を被った貴族然とした人ばかりで、すぐに泣いたりと感情を露わにする彼のことが面白くて、泣かせまくった。


「うそ、でしょ。あれで!? あれで好きだって!? 私いじめてたことしか覚えてないよ!」


 一喜一憂するクリスちゃんが大好きで、虫を持って行ったり蛙を持って行ったり花をあげると見せかけて花弁の中に虫を入れていたり。

 私はとんだ悪ガキだった。


「たしかに、私は泣いてばかりだったけど……楽しかったんだよ。私の周りには王子だからと気を遣う相手しかいなくて……今は、目すら合わないし」


 それは仮面のせいではないでしょうか。

 だけどしょんぼりと肩を落とすクリストファー殿下にそれは言えなかった。というか、能面のせいだと考えもしないクリストファー殿下を可愛くすら思いはじめていた。


「それに、君を好きになったから、あのままじゃ駄目だと思って……王子らしく振る舞えないか模索したんだ。今はほら、泣いても誰にもわからない」


 能面の下で泣かれるのも、それはそれで胸が痛む。

 とんでもない罪悪感と、クリストファー殿下が大好きなクリスちゃんだったという事実で、頭が爆発しそうだ。


 とりあえず、わかった。

 私が悪い。どう考えても私が悪い。能面は悪くないし、クリストファー殿下も悪くない。

 どうにかしないと。クリストファー殿下をどうにか方向転換させないと。


 婚約について考えるにしても、とりあえず口元ぐらいは出せるようにしないと。

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