第5話 暴君皇帝との初対面

 ヴィルヘルムさんの微妙な顔が晴れないまま、玉座の間にたどり着く。

 そこでようやく、私は自分の夫となった人に会うことができた。


 夜の闇を閉じこめたかのような漆黒の髪に、夕焼けのような赤い瞳。肘置きを使って頬杖をついているせいか、どこか気怠そうに見える。


「俺はお前を妃に迎えるつもりはない」


 首を垂れる間もなく、氷を思わせる冷たい眼差しに射抜かれ、挨拶すらもなく、拒絶の言葉を向けられた。


 妃に迎えるつもりはない。それは、そうだろう。

 希望していたのは銀色の髪のお姫様で、私は灰色の髪のお姫様もどきだ。

 銀と言い張るつもりではあるけど、誰が見たって灰色にしか見えない髪色では、自分が希望した相手ではないということは一目瞭然だろう。

 だから妃にしたくないのはわかる。だけどすでに、私と彼は夫婦だ。


「婚姻の誓いはすでに済んでいるので、なんと言われようと私はあなたの妃です」


 お姫様の名前を出してしっかり指定しなかった自分を恨んでほしい。


「そんなもの無効だ」

「ですが、書類には私の名前とあなたの名前が載っています」


 両国間で正式に受理された書類だ。それを無効と言ってしまえば、ほかの書類ものきなみ意味をなくす。

 ふふんと勝ち誇った笑みを向けると、皇帝の顔が歪んだ。


「私は死ぬまで、あなたの妃です」


 だからどうぞ、玉座に立てかけられている武骨な剣で首を刎ねてください。

 不遜な態度を咎めてくれてもいい。そもそもとして、先に礼を欠いたのは皇帝だ。しかも、初めて会ったその場で殺されたとなれば、いい具合に同情が集まるだろう。


「私が死ねば、薬姫と名高い――アルテシラ様が嫁がれるかもしれませんが……」


 次はお姫様を指定できるように、彼女の名前をしっかり伝えることも忘れてはいけない。

 銀の髪で妖精眼を持つ姫君はお姫様しかいないので、別人が送られてくることはないとは思うけど――王様はお姫様をとても愛している。

 とんでもない解決策を出してきてもおかしくない。


「薬姫……? お前ではないのか?」


 眉をひそめながら不審そうに聞く皇帝に、私ははてと首を傾げる。


「残念ながら、私は毒姫と呼ばれている妹姫です。指定されたのが銀の髪に妖精眼の姫君でしたので、国にとって大切なアルテシラ様ではなく、私が嫁ぐことになりました」

「……お前の髪は灰色に見えるが……」

「銀です」


 きっぱりと言い切ると、皇帝の顔もヴィルヘルムさん同様、微妙なものに変わった。

 だがそれは一瞬で、すぐに元の仏頂面に戻る。


「……まあ、どちらでも構わん。俺はお前を娶る気はないから、即刻荷物と共に国に帰れ」

「ですから! 私はすでに娶られていて、あなたの妃です! 妻です!」


 なんて聞き分けがないのだろうと声を張ると、皇帝の眉がぴくりと跳ねた。


「式も挙げていない結婚など無効だ!」

「挙げました! 盛大、ではありませんが、ちゃんと挙げました!」

「誰と……いや、そもそも俺が参加していない挙式など無効に決まっているだろう!」


 堂々巡りな会話に互いにしびれを切らしてしまったのだろう。怒鳴り合っていると、傍らから小さなため息が聞こえてきた。


「子供ですか、あなたたちは。まず、ライラ様……気難しい方ですので余計なことは言わないようにと申し上げたはずですが、その点についてはどうお考えですか?」

「先に余計なことを言ったのは彼のほうです」

「次に陛下……あなたがなんと言おうと、書類は受理されました。この婚姻は有効となっておりますので、諦めてください。そして、ライラ様も嫁がれてすぐ帰るのでは立つ瀬がないでしょう。それに土地はすでに返還しましたので、無償というわけにはいきません。おとなしく妃に迎えてください」


 私がむすっとしている横で、ヴィルヘルムさんが淡々と皇帝に告げる。


「……俺はこの帝国の王だ。そんな書類など、破棄してしまえばいい」


 そして皇帝も、私と同じようにむすっとした顔で言った。


「私が帰るのは死んでからです。どうしても無効にされたいのなら、どうぞその剣で私の首を落としてください」


 私は殺されるためにここに来た。殺されるまで、帰るつもりはない。


 私の宣言に皇帝の眉間に皺が寄る。射抜くような視線に私は負けじと睨み返した。


「……お前の国とは、同盟を結ぶつもりだ。それなのに姫を殺しては、両国間にひびが入る」


 それについては心配いらないけど、私がどういう立場にいるのかをつまびらかにすれば、非があるのはエイシュケル王国ということになってしまう。

 それではお姫様の安全は保障されないし、お母さまの治療もしてくれなくなるかもしれない。

 私は返す言葉が見つからず、口を閉ざした。


「だが……お前をすぐに帰すわけにはいかない、ということはわかった。しばらくの滞在を許可する。しかるべき日には帰すので、そのつもりでいることだ」


 帰る気はないと言い募ろうとしたけど、その前にヴィルヘルムさんが私の前に立ち一礼した。これで話は終わりだという合図なのだろう。


 ここで引き下がらなければ剣の錆にしてくれるかもしれないが、あまりやりすぎてはこちらに非があることになってしまうかもしれない。

 滞在は認められたのだから、塵を積もらせて我慢の限界を狙う作戦に切り替えるべきだろうか。


 そうして悩んでいる間に、あれよあれよと私のために用意したらしい部屋に連れていかれていた。


「こちらは個人用の私室でして、隣に陛下の私室と繋がっている寝室がございます。お休みの際にはそちらを利用していただくことになります」

「……陛下も、そちらでお休みに?」

「ええ、まあ……そうなりますね」


 どうやら妃を迎える準備は万端だったようだ。

 銀の髪ではなく灰色の髪で残念だったことだろう。


「部屋の出入りの際にはひと声おかけください。いえ、部屋の出入りだけでなく、何か入り用であればいつでも声をかけていただいて構いません。その際には……あちらにあるベルを鳴らしてください」


 手で示された先を見ると、小さな机の上に牛とかを呼べそうなベルが置いてあった。牛飼いが出てくる絵本に、こんな感じのベルが描かれていたことを覚えている。


「本来なら専属の侍女をお付けしたいのですが……現在人手不足な状態でして、ご不便をおかけいたします」

「いえ、それは大丈夫ですけど……あの、ヴィルヘルムさんって……天使の血をひいている人ですよね?」


 おや、とヴィルヘルムさんの藍色の瞳が瞬く。

 その瞳には、星を思わせる金色がいくつも散りばめられている。外で見た時には光の加減かと思っていたのだけど、こうして室内で見ているとよくわかる。

 騎士さんや、城で働く人たちにこんな目の持ち主はいなかった。そして、天使と妖精の血をひく人は、瞳に特徴が現れる。


 私の持つ妖精眼は、移り変わる空の色のように角度によって色彩を変える。正面からでは朝焼け色だけど、斜めから見ると紫色に見えたりと、ごまかしようのない特徴がある。


「そうですね。一応、故アドフィル王の血をひいております」


 なんてことのないように言うヴィルヘルムさん。

 つまり、彼は元は王子だということだ。


「ヴィルヘルム様って呼んだほうがいいですか?」

「いえ、今の私はただの一介の宰相ですので……先ほどまでの呼び方で構いませんよ」


 わかりましたと頷くと、ヴィルヘルムさんは一礼して部屋を出た。

 扉が完全に閉まり切るのを確認して、盛大に息を吐く。

 夕食は部屋に運んでくれるそうなので、今日はもう皇帝と顔を合わすことはない。


「……寝室が一緒なら、また会うことになるのかな」


 顔を合わせたらまた言い合いになりそうだ。それで激昂して首を刎ねてくれるのならいいけど、思った以上に忍耐力がありそうだった。

 言い合うだけでは気力と体力を消耗するだけになる。


「できるだけ叫ばないで、それでいて不敬な行動ってあるかな」


 そこまで考えて、寝室に繋がる扉が視界に入った。


 今夜はいわゆる初夜だ。それなのに妻になった女性が、ベッドの上で豪快に寝ていたらどう思うだろうか。

 妃に迎えるつもりはないとはいっても、さすがに自分も寝るベッドを占領して寝ていたらイラっとくるだろう。


「そうと決まれば、体力を使って眠れるようにしないと」


 持ってきた荷物を開けて、中身を取り出す。

 どこに飾るのが一番壊れにくいか、どこなら日光に当たりにくいかを並べてみたりして確認し、何度も何度も調整を重ねた。



 そしてきたる就寝時間。



 結果から言うと、失敗した。ふっかふかのベッドが合わなくて、寝室に置かれていた長椅子の上で丸くなったからだ。

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