第62話 シルキーの手料理
サァァァと、風呂場にシャワーの音が響く。
「……」
とめどなく吐き出される水流。身体を伝う水滴。排水溝に消えていく透明な液体。
無気力にそれらを眺めていると、ふと脳内に浮かび上がる光景があった。それは混乱広がるマリンスノー。そのせいか、風呂場のタイルに広がるただのお湯が、一瞬だけ色付いて見えて──。
「……クソがよ」
悪態をつきながら、蛇口を捻る。疲れを癒すはずのシャワーが、どうにも落ち着かない。
原因は分かっている。帰ってきたからだ。ストーカーに襲われ、警察署にて事情を話し、帰宅してようやく肩の力が抜けた。
そして今更になって、実感が湧いてきた。自分がどれだけ危ない橋を渡っていたのかを。一歩間違えていたら、どうなっていたのかを。
「はぁ……」
いや、止めよう。もう終わったことだ。過去を振り返っても大した意味はない。ましてや、起こらなかった最悪など考えたところでだろう。無駄にストレスが溜まるだけ。百害あって一利なしだ。
「出るか……」
一人になると駄目だな。今更になって追いついてきた恐怖感で、色々とドツボに嵌りそうだ。
シャワーによるリラックス効果は確かに出ているのだろうが、そのせいでリラックスができてない気がする。自分で言ってて意味不明だけど。
そんなわけで風呂場を後にする。ザッと身体を拭って、部屋着に着替える。そして最後にドライヤーで髪を乾かして終わりだ。
「ふぅ……」
「あ、遥斗君。もう出てきたの? もっとゆっくり入ってれば良かったのに」
「今日は長風呂する気分じゃなかった」
「あらら」
風呂場から出てきた俺に対して、千秋さんが困ったような笑みを浮かべる。……なんか無駄に母性を感じさせる笑い方だな。
もしや自分の精神状態を看破されたかと一瞬焦るも、すぐにそうではないと思い直す。
さっきまでの会話から考えるに、もしそうならもっと騒がしくなっているはず。今の千秋さんには、過剰なまでの心配の気配はない。
どっちかと言うと、安堵の気配が強い気がする。それが結果として母性的な雰囲気に転じている感じか。
まあ、悪くはない。今の荒んだ精神状態には、千秋さんのこの雰囲気は心地良い。普段とのギャップもあって若干落ち着かない部分もあるが、そうしたむず痒さもまた良い癒しになる。
「ちょっと待ってね。もうすぐできるから」
「あ、うん。ありがとう」
「いえいえ。むしろ私の方こそゴメンね? 本当なら、遥斗君みたいに手際良く済ませたいんだけど」
「そうかな? パッと見た限り、そこまで気にしなくても良いと思うけど。少なくとも、前の時よりはスムーズになってるよ。フライパンの前で四苦八苦してないし」
「アレはちょっと違うじゃん?」
それはそう。流石にビキニエプロンで悲鳴上げてた時は参考にならんか。料理よりもコントの色の方が強かったし。
とは言え、やはり手際自体は良くなっている気がするんだよなぁ。気になって軽く観察してみたけど、全体的に迷っている時間が短くなってるし、動作の合間合間の部分にあったぎこちなさが改善されている。
完璧とはまだ言えないが、ちゃんと成長はしていると思う。多分だけど、実家で練習とかしているのだろう。数をこなしている人間特有の慣れが出てきてるし。
「にしてもオムライスか。意外なチョイスだね」
「え、何か駄目だった?」
「ああいや、文句とかじゃなくて。単純に意外だなって思っただけ。千秋さんのイメージ的に、張り切って凝った料理をチョイスしそうだなぁって」
「ちょっとー? 遥斗君は私のこと何だと思ってるのかなー? 流石に私もTPOは考えるから。この状況で凝った料理を出そうとは思わないよ」
「おー」
「その反応は失礼じゃない?」
「日頃の行い」
「あう」
いやでも、本当にビックリしてる。まさか千秋さんがちゃんと考えて行動するなんて。
今までの千秋さんなら、オーダーを受けた嬉しさでテンションぶち上がって、クオリティ重視の方向に舵を切ると思っていたのだが。
それがまさかの効率重視で、手早く手軽に作れるオムライスをチョイスしてくるとは。付け合わせにコーンポタージュも作ってるみたいだけど、それもお手軽に作れるインスタントだし。……どんな心境の変化だろう?
「いや、そりゃね? 私だって遥斗君には最高の料理を振る舞いたいよ? 何度も練習した、一番自信のある料理を作って、美味しいって言ってもらいたいよ。でも今は違うじゃん? このタイミングでそれをやっても、ただの独りよがりの自己満足じゃん」
「マジで千秋さんがマトモだ……」
「そんな愕然とされるほど!?」
「独りよがりすらできてなかった人間が、こんなエクストラ進化してんだから当然の反応でしょ」
「独りよがりすらできてないって何!?」
「ビキニエプロン」
「ア、ハイ」
日頃の行いってマジで大事だよね。マトモなことやっても、感謝より先に驚きのが先に来るんだから。
なによりビキニエプロンが致命的すぎる。千秋さんが手料理振舞った前例は現状あれしかないから、今回に限りどうやっても比較対象として挙げるしかないと言う。……やっぱり黒歴史って作るもんじゃねぇわ。
「でも、そういう気遣いは本当に嬉しいかな。実際、今日はかなり疲れてるし」
「うん。私も遥斗君には早く休んで欲しいもん。──はい、そんなわけで完成。オムライスとコーンポタージュ。ちょっと不格好なのは許してね?」
「全然美味しそうだから問題なし」
不格好と言いつつ、出てきたのは王道な見た目をしたオムライス。ビジュアルが家庭料理寄りってだけで、個人的には全然アリだ。
てか、本当にオーソドックスなやつだな。千秋さんのことだし、なんだかんだでケチャップでハートを描くぐらいはしてくるかなと思ってたんだけど。
今回は本当に茶目っ気すら出してこない。それだけ真剣に想ってくれているのだろう。
「……」
「どうしたの? 食べないの?」
「ああ、うん。もちろん食べるよ。いただきます」
──一瞬だけ思い浮かんだことがある。だが、今は閉まっておこう。まずは出された料理を食べる。全てはそれからだ。
ーーー
あとがき
遅れました。ごめんなさいなさいね。ちょっと私用でドタバタしてまして。
さて、それはそれとして。そろそろ更新頻度を上げようかなと思います。来週からブースト掛けれたらが理想かな。
どれぐらいupするかは未定だけど。それでも発売日には二章終わらせたいかなー。
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